吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

でんげい

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 「でんげい」とは、伝統芸術部の略称。大阪にある在日コリアンのための民族学校「建国学校」に作られた、文化クラブの一つだ。学校法人白頭学院建国幼・小・中・高等学校は、1946年創立の民族学校で2016年には創立70周年を迎える。在日韓国・朝鮮人の子弟に言葉と文化と歴史を学ばせたいとして作られた学校である。建国学園は幼稚園から高校までの児童・生徒が同じ敷地に学ぶ学園なので、伝統芸術部にも中学生と高校生が所属する。本作は、2014年にその「でんげい」の高校生たちが全国高校総合文化祭に出場し、見事入賞した過程を追ったドキュメンタリー。

 そもそも全国高校文化祭て何? 建国学園て何? なんで日本の「文化部のインターハイ」と呼ばれる競技会の「伝統芸能」部門に韓国の民族芸能を演じる高校生たちが参加しているのか? 謎は謎を呼ぶ。

 この映画のもとになったのは韓国のテレビ局が作った番組だ。若き在日同胞の姿を本国の人々に伝えるために制作された。だから日本語のセリフにはハングルの字幕が付く。そのドキュメンタリーを映画用に再編集し、日本では「いばらきの夏」と題して今年3月の大阪アジアン映画祭で好評上映された。

 でんげいの生徒たちが取り組む演技は、朝鮮半島に伝わる民衆舞踊「農楽」である。打楽器による音楽に合わせて踊り手がリズミカルに体を動かし、アクロバティックな動きで頭を振りながら帽子の頭頂部についたテープを自在に動かす。彼らは学校の体育館で毎日遅くまで練習に精を出す。

「子どもをでんげいに入れたら、嫁にやったと思え」と言われるほど夜遅くまで学校にいるため、家族が顔を合わせることも少なく、一家団欒も望めない。その練習はまことに過酷で、高校生たちは文字通り汗と涙にまみれている。

 彼らを指導する在日韓国人のチャ・チョンデミ(車 千代美)先生は藤山直美に顔も体型も声も似ていて、映画の観客も震えあがるほどに厳しい叱咤の声を飛ばす。徹底的に叱られたある女子高生は泣いて泣いて泣いて、しまいにはトイレに籠ってしゃくり上げている声が廊下にまで漏れ、わたしなどは思わずもらい泣きしそうになった。

 韓国から招聘した大学教員も彼らの指導に当たり、韓国の学生たちよりも建国高校の生徒の方が熱心なので教えがいがある、と穏やかに笑う。

 映画全体の雰囲気はド根性のスパルタ練習風景が続く厳しいもので、彼らの奮闘努力には頭が下がるのだが、これが甲子園を目指す高校球児たちの激しい練習とどこが違うのかと聞かれると、何も変わるところはないと答えるしかない。一つのことに打ち込む若者の姿には国境も民族の違いもない。

 本作は韓国人に在日の高校生の様子を伝えるために作られた、という目的に合致する作品なのだろうか。建国高校の生徒達が韓国語を自由に使うことができるのは、在日全体の状況から言えばきわめて珍しいことだという断りがなければ、韓国人たちは誤解するのではないか。この映画には在日への民族差別の実態などまったく描かれていないし、日本の高校総合文化祭にでんげいが12年連続出場することになったきっかけも語られず、都道府県の代表はどうやって選出しているのかもわからない。描かれていないことが多すぎて、かえって好奇心が刺激される。思わず建国学校や全国高等学校文化連盟のWEBサイトを読みふけってしまった。

 この映画は見る人によってかなり異なって映るだろう。あえて日韓の政治的な軋轢や溝には触れず、ひたすら懸命に練習に励む生徒と、厳しくも熱い思いで彼らを鍛える教師との格闘の姿を描く、日本の高校生たちとなんら変わることのないその様子は、同化と異化、包摂と排除のパワーポリティクスを読み込みたい観客の期待を脱臼させる。一方で、「自分たちの文化を知って初めて朝鮮人であることに誇りが持てた」というチャ先生の言葉を挿入することも忘れない。マイノリティが持つ「アイデンティティへの渇望」がここには横たわっていることがわかる。

 日本の伝統芸能だけを競技の対象とするのではなく、在日マイノリティがその遠いルーツに持っている伝統文化をも日本社会の文化の一つとして認めた全国高等学校文化連盟の判断は、多様性への開かれとして大いに評価したい。できればその経過も映画の中で伝えてほしかったものだ。いずれは在日中国人の京劇や在日ブラジル人のサンバが高校総合文化祭で披露される日が来るかもしれない。その日が楽しみだ。

エンド・オブ・ホワイトハウス

 意外に面白かったので、高得点。
 同じような”ダイハード・ホワイトハウス版”の映画がチャニング・テイタム主演で同時期に上映されていて、どっちも面白いから、やっぱりこの手のネタは何度繰り返しても面白いのだろう。むしろ、結末がわかっていて安心してみていられるという水戸黄門的な楽しさがあるのかもしれない。 
 しかし、北朝鮮のテロリストが米軍機を乗っ取ってホワイトハウスを陥落させていったい何の得があるんだろう? その設定が全然理解できなかったので、もうストーリーはわたしにとってはどうでもよくなった。どうでもいいから、どんな展開でも面白ければよい。

 ジェラルド・バトラーの身体能力の高さととっさの判断力の良さ、何よりも、大統領の妻を事故で死なせてしまった責任を問われて左遷されていた元シークレットサービスが、落胆の日々から起死回生するというストーリーにスカッと爽やかな気分がする。大統領自身も体育会系らしくて、この点も「ホワイトハウス・ダウン」と同じだね。よくこれだけ同じ話を作ったもんだ。しかし「ホワイトハウス・ダウン」がコメディタッチも多用したのに対して、こちらはほぼシリアス路線でグイグイいく。適役の北朝鮮テロリストもかっこよかった。

 というわけで、四方八方かっこよく、万事めでたし。え? いやそんなわけないって。北朝鮮のテロリストが実は韓国の組織? え?違う? わたしの頭では理解できない不思議な設定にどっかからクレーム来ないんでしょうか。ホワイトハウスの警備陣が弱すぎて、米軍も弱すぎて、そんなんでクレームなし? まあえっか。続編もあるし。(レンタルDVD)

OLYMPUS HAS FALLEN
120分、アメリカ、2013
監督:アントワーン・フークア、製作:アントワーン・フークアジェラルド・バトラーほか、脚本:クレイトン・ローゼンバーガー、カトリン・ベネディクト、音楽:トレヴァー・モリス
出演:ジェラルド・バトラーアーロン・エッカートモーガン・フリーマンアンジェラ・バセットロバート・フォスターコール・ハウザーアシュレイ・ジャッドメリッサ・レオ

 

The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛

 2013年に見た映画だけれど、アウンサンスーチー氏来日を記念して感想をアップ。

 この作品、リュック・ベッソンが監督するのだから(実はわたしはアン・リーが監督だと勘違いしていた)、あまり期待していなかったのだが、どうしてどうして、なかなか面白かった。現在進行形の苛烈な政治劇を「面白い」と言ってしまうのはためらわれるが、波瀾万丈のアウンサンスーチーの半生を実に小気味よく描き、美しく勇敢な女性を称える作品として、心が洗われる。

 彼女の伝記事項についてはほとんど知らなかっただけに、すべての事実が驚きであったし、映画が政治的背景の説明よりも家族愛に軸を置いた点でも観客にはわかりやすかったのではなかろうか。しかしその分、軍事独裁政権のあくどさが戯画的で、ビルマの複雑な政治状況が全然この映画ではわからない、という点がマイナスではある。

 ミシェル・ヨーはマレーシア出身の女優だが、ビルマ語と英語を駆使して熱演している。個人的には、彼女の夫であるイギリス人学者のなんとなく情けない表情が魅力的に見えた。53歳の若さで癌死するかの夫は、ビルマの政治指導者を妻にしたそのつらさを表にはみせず、ひたすらスーに尽くす。その愛に泣かされる。そもそも建国の父アウンサン将軍の娘というだけで、実際にはスーは政治活動の経験はなかった。たまたま母親の看病のために帰国したときに、民衆に熱狂的に迎え入れられ、突如として50万人の民衆の前で演説することになる。
「大勢の人の前でしゃべるのは初めてなのよ」と夫に不安気に囁いたあと、一転、凛として民衆に語る姿が素晴らしい。

 通算15年も自宅に軟禁されていたアウンサンスーチーだが、あれだけ広いお屋敷ならまあえっか(いや、よくないけど)と思えるほど、やはり彼女はお嬢様なのだ。お嬢様であるスーチーがやがてビルマ民主化のリーダーとして成長していく姿が、その活動を支える家族の目を通して描かれる。イギリスにいる息子たちはビルマに離れて暮らす母親に会いたがる。「マミーに会いたい」という少年たちの姿がいじらくて泣ける。政治活動に献身する者は、いや政治に限らず、仕事に没頭する者は多かれ少なかれ家庭生活を犠牲にせざるをえない。アウンサンスーチーは夫が重篤になると、何とかして家族をビルマに呼ぼうとするが、政府が入国を許さない。アウンサンスーチーが出国する分には構わないという。つまり、ていよく国外に追放して再入国を許さないつもりなのだ。家族をとるか、国をとるか。究極の決断を迫られてスーチーは悩む。身を引き裂かれるようなつらさが観客にも伝わる。

 現在進行形のビルマ民主化はいまだ道半ばであり、アウンサンスーチーの政治的立場に批判的な意見もありえるだろう。映画が製作されてから5年が過ぎ、ミャンマーは事実上アウンサンスーチーが政権を執った。しかし前途はまだまだ多難ではなかろうか。(レンタルDVD)

THE LADY

133分、フランス、2011 
監督: リュック・ベッソン、製作: ヴィルジニー・ベッソン=シラ、アンディ・ハリース、脚本: レベッカ・フレイン、音楽: エリック・セラ
出演: ミシェル・ヨーデヴィッド・シューリス、ジョナサン・ラゲット、ジョナサン・ウッドハウス、スーザン・ウールドリッジ、ベネディクト・ウォン

 

キューポラのある街

 これぞ労働映画。
 埼玉県川口市の鋳物工場街を舞台にした、貧しくとも懸命に生きる人々の様子を活写した作品。

 巻頭、鋳物工場での作業風景が写る。今はこんなふうに鋳物を作ることはないのではないか。どろどろに溶けた鉄を運ぶ様子には、労働災害が多発することを予感させるものがある。案の定、主人公ジュン(当時16歳の永小百合の可愛いこと! 抱きしめてグリグリしたくなる)の父親は鋳物工場のベテラン職人だが、脚を怪我して結局は解雇されるのである。若い労働組合員が労災保険が適用できるとジュンの父を説得しようとするのだが、頑として父は言うことを聞かない。中小の町工場では、親方(経営者)と職人は兄弟のようなものであり、労働者の権利など見向きもしない。この映画では労働組合の活躍や、労働者の権利がきちんと描かれており、さらには中学生のジュンに「一人が5歩前進するよりも、10人が1歩ずつ前進するほうがいい」という名言を吐かせるなど、極めて社会主義的な作品である。

 貧しい長屋暮らしのジュンは中学3年生。高校進学を夢見て懸命に勉強しているのだが、父の失業でそれも実現が遠のいてしまう。しっかりものの長女ジュンはやんちゃな弟や生まれたばかりの妹の面倒を見る勝気な少女だ。すぐに感情的になって泣いたりわめいたりするのも可愛い。何もかも一生懸命なところがけなげで、あの愛らしい吉永小百合が演じているのだからもう言うことなし。

 小学生が「所得倍増、所得倍増」とスローガンを嬉しそうに唱えたり、北朝鮮への帰国者を駅頭で鳴り物入りで見送る風景など、当時の政治経済状況がよくわかる描写が随所にあり、とても興味深い。テンポもよく、子どもたちのいたずらや遊びなども生き生きと描かれていて、労働者生活かくありき、という映画である。未来に向かう希望が描かれているのが1960年代だなぁとしみじみしてしまった。

 キューポラは鋳物工場の溶解炉のことで、その先端部分の排煙筒が煙突のように工場の屋根に突き出ていた。映画の巻頭でこの排煙筒が林立する様子が映し出される。(レンタルDVD)

100分、日本、1962
監督:浦山桐郎、企画:大塚和、原作:早船ちよ、脚本:今村昌平浦山桐郎、撮影:姫田真佐久、音楽:黛敏郎
出演:東野英治郎、杉山徳子、吉永小百合、市川好郎、鈴木光子、森坂秀樹、浜村純、菅井きん浜田光夫北林谷栄殿山泰司加藤武岡田可愛

 

殿、利息でござる

 これが、新しいテレビで初めて見たブルーレイディスク。あまりにもくっきりと画面が鮮明なので、背景が書き割りのように見えてしまう。人物と合成しているように見えるのはなぜなのだろう。こうなると、昔のフィルム映像が懐かしい。あの、なんとなく曖昧で厚みのあった映像がもう見られないのか。こんなふうに、くっきり鮮明だけれど、どこか平板な映像にはうんざりだ。そんなわけで、映像的にはきわめて不満足なんだけれど、ストーリーと演出には惹かれた。
 本作は、江戸時代中期の仙台藩で実際に起きた出来事を元に作られた。原作が「武士の家計簿」の作者だというから、きちんと調べてあるのだろうな、と思うが、ドラマとしてもよくできている。コメディにジャンル分けされているけれど、なかなかどうして、内容は実に真面目で、当時の町人や百姓の苦労がよくわかる感動物語だ。
 重税にあえぐ宿場の人々の困窮ぶりを見かねた商売人たちが、大名に金を貸して利子で町を救うというアイデアを思いつく。そのための資金も半端なく、当時の金で千両(今の3億円)を用意せねばならない。金持ちの大店(おおだな)の主人たちが、ある者は功名心に逸(はや)って金を出し、ある者はしぶしぶ提供し、またある者は店を傾けさせてまで身銭を切ろうとする。そんな悲喜こもごものてんやわんやを明るく楽しく、またしみじみと描いた。 
 日本中の大金持ちに見せたい映画。金というのは世のため人のために使うもんだよ! しかし、一番大事なのはそれよりも、重税を課している藩主に異議申し立てすることだろう。その根本のところが歯がゆいのが最大の難点だが、商人たちの異議申し立ては、それこそブルジョア民主主義革命が成功しないと無理だったんだろうなぁ(と、講座派みたいなことを言う)。(レンタル・ブルーレイ・ディスク)

129分、日本、2016
監督:中村義洋、原作:磯田道史『穀田屋十三郎』(文藝春秋刊『無私の日本人』所収)、脚本:中村義洋、鈴木謙一、音楽:安川午朗
出演:阿部サダヲ瑛太妻夫木聡竹内結子寺脇康文、きたろう、西村雅彦、松田龍平羽生結弦草笛光子山崎努

 

世界一キライなあなたに

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 ヒロインが超センスの悪い服を着ている上に体型がぽっちゃりしているという、田舎娘丸出しの恰好で登場し、さらには豊かすぎる表情で眉毛を自在に動かすのも気色悪く、「うわー、この映画は失敗だったか」と思っていたのだが、なかなかどうして、この彼女が実に愛らしく、その笑顔が見る人の心をほっこりさせる。

 物語の設定はまるで「最強のふたり」プラス「きみがくれたグッドライフ」。大富豪のイケメン若者が事故によって首から下が動かなくなり、彼は荒れて恋人とも別れてしまった。そんな彼の介護人として雇われたのはダサイ服装のルイーザ。よくしゃべりよく笑う彼女は、身体が不自由で心も荒んでいるウィルの気持ちを徐々に解きほぐしていく。ルイーザには健康そのものの恋人がいるのだが、いつしかウィルに惹かれていく。やがて二人は階級差を超えて恋に落ちるのだが。。。。

 イギリスが階級社会であることを強烈に印象付ける作品である。一方はお城に住む若者で、元気なころは企業買収の仕事をしていた。一方は労働者階級の娘で、狭い自宅には彼女の稼ぎをあてにする家族がいる。音楽の趣味も映画の趣味もまったく異なる二人は、文化資本の格差をまざまざと観客にみせつける。ウィルがルイーザを半ば馬鹿にして見せたDVDが映画「神々と男たち」というのが興味深い。「字幕なの?!」と驚くルイーザが、食い入るように見終わった瞬間に感動の言葉を吐くのがとても面白い。わたしももう一度「神々と男たち」を見直したくなったわ。

 ルイーザがウィルの生きる希望になり、二人は困難を乗り越えてハッピーエンドを迎える、というお話になるのかならないのかがミソで、ウィルが尊厳死安楽死)を決意していることが、彼らの愛にとって最大の障壁となる。

 男が賢くハンサムな大金持ちで、貧乏な女を教育し、金にあかせて彼女に贅沢な楽しみを教えていく、という設定はフェミニズム的かつ格差社会的な話題を提供してくれて、大学の教材によいのでは。

 ルイーザの父親ダウントン・アビーのミスター・ベイツです。

ME BEFORE YOU
110分、アメリカ、2016
監督:テア・シャーロック、原作:ジョジョモイーズ『ミー・ビフォア・ユー きみと選んだ明日』、脚本:ジョジョモイーズ、音楽:クレイグ・アームストロング
出演:エミリア・クラーク、サム・クラフリン、ジャネット・マクティアチャールズ・ダンス、ブレンダン・コイル、スティーヴン・ピーコック、マシュー・ルイス

 

あゝ野麦峠

 日本の労働映画百選に選ばれた。
 飛騨の農村から信州岡谷の製糸工場に出稼ぎに行く12、3歳の少女たち。酷寒の野麦峠を決死の覚悟で越えていくのだが、何もわざわざそんな厳しい季節に雪山を渡らなくてもよさそうなのに、と思ってしまうが、夏は農繁期だから出発できないのだろう。険しい山道を歩くうちに、足を滑らせて谷底に落ちていく何人もの少女たちがいた。その中の一人が主人公政井みねである。大竹しのぶが本当に愛らしくけなげなみねを熱演していて涙をそそる。みねは実在の人物で、飛騨市に墓があり献花が絶えないという。
 みねは谷底に落ちたのだが、ロープでつながれていたため、引っ張り上げてもらえた。野麦峠から引き上げられて命拾いをした者は長生きするという言い伝えがあったという。

 佐藤忠男が『映画が語る働くということ』凱風社、2006.2 の中でこの作品を取り上げている。原作のルポルタージュとの違いを指摘しており、山本茂美の原作は、かつての女工たちが自分の労働に誇りを持っていたことや、経営者の中に立派な人物が少なからずいたことが書かれているという。おばあさんになった女工たちが昔の自分たちの生活を振り返って語ったその内容は、決してみじめなものではなかったという。製糸工場の長時間労働でも貧しい暮らしでも、郷里の農村暮らしのほうがさらに厳しかったのだ。
 「映画はその点、経営者の一家とその手先の検番をみんなロクでもない人格低劣な人間として描いている。資本主義の悪とはそんな中小企業経営者個々の人格的な悪ではないので、経営者と男はたいてい悪玉というこの描き方は作品としての奥行きを浅くしている」(p.33-34)と佐藤は述べている。 
 まさにその通りで、経営者一家は残虐無比な悪人で、女工たちは搾取される悲惨な存在というあまりにもわかりやすい描き方は退屈である。もっとも、女工の中にもしたたかなエゴイストがいて、経営者の息子とできて玉の輿に乗ろうという者もいるのだが。
 この映画では蚕のさなぎから繭を取り出し絹糸を引っ張り出すその工程が描かれていて、興味深い。お湯につけて蚕を殺し、糸を取るのはすべて手作業である。その工程が大変な悪臭を持つため、女工たちは汗と湿気と悪臭に苦しめられることになる。1日15時間労働はザラだし、宿舎には閂がかけられていて、まるで牢獄である。それでもお腹いっぱいに白米が食べられるので、彼女たちはたいそううれしそうだ。手先が不器用な者は製造数が少ないため、罰金を取られたり、飯抜きの罰を与えられる。みねは、不器用な同僚がお腹を空かせていることに抗議して、「飯抜き工女反対」と訴える。みね自身は腕がいいため「百円工女様」と呼ばれて故郷の父たちに尊重されるのだが、みねが懸命に稼いできた金を父は酒につぎ込み、仕事もしない。心優しいみねは、仲間たちを気遣い、励まし、懸命に支え合おうとする。

 この映画では、日露戦争時の好景気によって生糸相場があがり経営者たちが大儲けするさまが描かれてる。また、逆に相場の下落によって経営者が右往左往する場面もあり、糸相場の乱高下が印象付けられる。資本主義発展を最底辺で支えた紡績女工たちの姿を知ることは、今のわたしたちにも大事なことではなかろうか。多くの犠牲のもとに日本の経済発展は成し遂げられた。そのことを決して忘れてはならない。

 働き続けたみねが最後は結核を病んで死の床につき、打ち捨てられてく哀れさは涙をそそる。兄の背中に背負われて、野麦峠で「ああ、飛騨が見える」と嬉しそうにつぶやいてこと切れる姿に多くの観客が涙を流した。野麦峠から見える山々の美しさもこの映画の見所である。

 実話ではみねは結核ではなく腹膜炎で亡くなったという。齢わずか20歳であった。(レンタルDVD)

ああ野麦峠

154分、日本、1979
監督:山本薩夫、製作:持丸寛二ほか、原作:山本茂実、脚本:服部佳、音楽:佐藤勝
出演:大竹しのぶ原田美枝子、友里千賀子、古手川祐子三国連太郎西村晃地井武男、浅野亜子、森次晃嗣北林谷栄小松方正