1月に見た映画なので、今さらという感じだが、思い出しつつ感想を。見終わった当初はとっても感動していたのだが、数ヶ月経った今では、ラストの演説が強烈な印象を残した以外はほぼ詳細を忘れてしまっているのが情けない。
舞台はインド北部の郊外。主人公ラクシュミと結婚したばかりの妻は生理のたびに隔離部屋にこもってしまう。しかも、経血の処理のために不潔な布を使っているのである。生理用ナプキンを使えばいいのだが、それは高価すぎて買えないという。そのことに衝撃を受けたラクシュミは、なんとか安価なナプキン(パッド)を作れないかと試行錯誤する。
涙ぐましいラクシュミの研究と開発は誰にも理解されず、なによりも愛する妻にも理解されないことが最大の悲劇であった。自作のパッドを股にはさんで着け心地を実験するラクシュミを、村人たちは変態扱いしてしまう。村に居られなくなり、妻とも離縁させられたラクシュミは、それでもナプキン開発をあきらめない。この根性には恐れ入る。
ラクシュミの素晴らしいところは単に発明の才能があっただけではない。ナプキン製造機を貧しい地域の女性たちに無料で提供し、彼女たちが自立できるように仕事を与えたことだ。新製品を開発して企業が儲けるだけならいくらでもある話だが、ラクシュミの場合はそうではなかった。特許権をとるつもりもなく、女性たちに自分の発明品を惜しげもなく分け与えた。
そんな彼に共鳴し、協力してくれる都会の女性たちもいた。そんな彼女たちの働きも忘れてはならない。英雄は一人で英雄になることはできないのだ。
ラスト間際のラクシュミの演説があまりにも素晴らしく、このシーンだけでも何度も繰り返し見たくなる。国連に招待されたラクシュミが大勢の人々の前でなまりのきつい英語でスピーチするシーンは、映画史に残る名演説だ。
この出来事は遠い昔のことではなく、21世紀に入ってからの物語なのだということにさらに衝撃を受ける。娯楽作として大変よくできていると同時に、社会派作品としても考えさせられることが多い、素直なつくりの映画だ。
(一点だけ気になるのは、使い捨てのパッドよりも実は布製ナプキンのほうが環境にやさしいということ)
2018
PADMAN137分
インド
監督・脚本:R・バールキ