吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

とらわれて夏

f:id:ginyu:20140514210744j:plain

 これはもう、メロドラマ一直線。ある日突然巻き起こった恋の風に吹かれてこのままどこまでも地の果てまでも、と思うことはあるだろう。その風はいつか吹き止むのか? 母のナイト(騎士)にならんとする少年がけなげで愛おしい。

離婚した母の元に残った少年は、精神的なショックから立ち直れない母をそっと見守り、何かと母の役に立とうと懸命になる。その視線が愛らしく切ない。「母の悲しみは、父を失ったからじゃない。愛を失ったからだ――」 

 そんな母の前に現れた男は殺人罪で服役中の脱走犯。映画は脱走犯を匿うことになった母と少年の5日間を描く。たった5日。しかし、人生を変える5日。その5日間の恋に生涯をかける恋人たちがいたっていいじゃないか。出会うべくして出会った一組の男女と一人の少年。脱獄犯は心優しく、母子だけの家ではできない修繕作業などを快く引き受けてくれる。そのうえ、美味しいパイも焼いてくれる。なんという逞しい男だろう。この家に欠けている父性のすべてを補ってあまりある男の存在に、母はすっかり魅入られる。母が男に惹かれていく様子を見守るのは13歳の息子ヘンリー。難しい年頃で、母に反発しても当然なのに、彼は独り身になった母を守ろうと懸命だ。そのけなげな瞳には涙がこぼれそうなほど切なさを感じる。脱獄犯のジョシュ・ブローリン、母親役のケイト・ウィンスレット、息子役のガトリン・グリフィス、彼ら三人がもたらす化学反応が映画に素晴しい昇華をもたらした。 

 アメリカ東部の田舎町にひっそり暮らす母子家庭の小さな家に転がりこんで来た脱獄囚は妻を殺した殺人犯だった。彼の犯罪をフラッシュバックで幻想的に描く映像感覚も秀逸で、さすがは「マイレージ、マイライフ」「JUNO/ジュノ」「サンキュー・スモーキング」 の監督である。説明的な台詞を挟まずに、繰り返し彼の過去を映像化することによってこの男の性格や犯罪を浮き彫りにする手法は、映画的快感に満ちている。 

 本作のストーリーは典型的な「ストックホルム症候群」の事例である。Wikipediaによれば、「犯罪被害者が、犯人と一時的に時間や場所を共有することによって、過度の同情さらには好意等の特別な依存感情を抱くことをいう」。非日常の時空間を共有することによって惹かれあう犯罪者と被害者。しかし、そのような精神医学上は病名がついている事態が、半ば死んだようになっていた女を生き返らせたなら、これは素晴しいことではないのか? 

 原題の「レイバーデー」(労働者の祝日)は、アメリカでは9月第一週の月曜日に設定されている。日本ではメーデーにあたる日が、元祖のアメリカでは5月1日ではなく9月に祝われる。なぜ9月になったのかについては多少長い説明が必要なのでここでは端折るが、レイバーデーは夏の終りを象徴する日。その日に終わった母の恋を息子の目から描いたこの作品は、少年の成長譚でもある。

 特に母アデルを演じたケイト・ウィンスレットのムチムチした中年女性の身体が魅力的。太い二の腕もいい感じ。若く美しく、かつ中年の母性を感じさせるふっくらした身体性が何よりもこの作品にはぴったりだった。 

 人生を変える5日間は、時を超える。何年経とうが何十年経とうが、本物の相手との出会いは生涯忘れることはない。何があっても変わらない愛は、確かにある。そのことを改めて強く思う作品だった。

LABOR DAY

111分、アメリカ、2013

製作・監督・脚本: ジェイソン・ライトマン、原作: ジョイス・メイナード 、音楽: ロルフ・ケント 

出演: ケイト・ウィンスレットジョシュ・ブローリン、ガトリン・グリフィス、トビー・マグワイア、トム・リピンスキー、クラーク・グレッグ