吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

海の沈黙

 製作から60年以上経ってやっと本邦初公開。


 なんと、信じがたいことに、クライマックスシーンを寝過ごして見ていません! 最も感動する場面を見ていないのだから、レビューする資格なし。とはいえ、この映画は、集合的徴(スティグマ)と個人の葛藤を描いた優れた作品だと思うので、やはりコメントせずにはいられない。


 巻頭、ナチスの占領下に地下出版された原作本の表紙が映る。そのデザインが雑誌『Becoming』に似て簡素で美しい。やがて呆然と立ち尽くす老人の独白から物語は始まる……



 ナチスに占領されたフランスの、とある片田舎の屋敷に複数のドイツ兵がやって来た。自分たちの上官である将校のために部屋を接収に来たのだ。その家には老人と若く美しい姪が二人きりで住んでいた。やがてやって来た片足の悪い将校は、礼儀正しく物腰の柔らかい青年だった。流暢なフランス語で自己紹介する将校に対し、家主である老人と姪は頑固な沈黙で応えた。彼らは決して将校に返事をせず、将校が存在しないかのように振る舞った。毎晩やってきては一人語りをして寝室に引き上げるドイツ人将校と、沈黙と無視で抵抗の姿勢を崩さないフランス人。この3人の妙な緊張感に満ちた日々もいつのまにか半年を過ぎた……



 映画はほとんどこの3人しか登場しない。しかもしゃべるのは将校だけだから、きわめてストイックな映画である。とはいえ、老人の独白がずっと続くので、音声が無いわけではない。いかにも小説を原作とする映画にありがちな演出であり、その独白が多少うるさい。将校は名前からして貴族らしく、本業は作曲家だと一人語りする彼は、フランスへの愛を蕩々と語る。フランスとドイツが結婚することによって両国に素晴らしい未来が開けると目を輝かせて語る彼は、やがてナチスのユダヤ人強制収容所の存在を知って衝撃を受ける。



 毎晩将校の一人語りを聞くうちにその人柄に惹かれていった老人と姪は、彼への無言の抵抗を止めないことを少しずつ恥じるようになる。いつしか将校の聞き慣れた足音がしなくなると落ち着かなくなるのだった。やがて将校はナチスドイツの恥ずべき政策と暴力を知って絶望し、自ら最前線の死地に赴くことを決意する。決意を固めた彼は、有る夜、老人と姪に向かって別れの言葉を語り始める。それまで常に彼をいないがごとく振る舞っていた家主二人は、初めて将校に視線を向け、次第に彼の言葉に聞き入り始める。別れのときが来たことを察したとき、ついに姪がたった一言、言葉を発する。「アデュー」と。



 この、たった一言の台詞、「アデュー」がこの映画のクライマックスであり、震えが来るような感動の場面である。しかしなんとなんと、わたしはその場面で爆睡していた。が〜〜ん! 寝てしまった理由はなんといっても単調な演出と、出ずっぱりしゃべりっぱなしの将校役の男優の顔が気に入らなくて、画面を見続けることが苦痛でたまらなかったこと。返す返すも残念なことをしてしまった。



 それはともかく、この映画では、敵同士として出会った3人の人間がやがて互いが敵であることを忘れて敬意を払うべき人間同士として一瞬の信頼感情を交わすに至る、その魂の動きが丹念に綴られる。そもそもフランス語が流暢に話せる人間としてやってきたドイツ将校は、ナチスがフランス占領初期に行った融和懐柔政策を体現する人物としてとらえることができる。主観的にどれほどフランスを愛していようが、彼は侵略者・支配者に過ぎない。だから、侵略者に沈黙を以て抵抗を貫いたフランス人は偉いと言うべきなのだろう。しかし、互いの間に越えられない溝があろうとも、支配・被支配という関係性の奴隷であったとしても、彼らには越境が可能であったし、そこを越境することでしか、彼ら自身の解放はない。


 思うに、パリ解放後、ドイツ兵の恋人だったフランス人女性たちが衆人環視の下で頭を丸刈りにされ辱めを受けたことは、フランスの汚点と言えるのではあるまいか。敵であっても愛してしまうことはあるだろう。敵であっても尊敬すべき人間は居る。

 

 占領下でなければ老人と姪とドイツ人は暖かく談笑しあえただろう。ドイツ人と姪は愛し合えたかもしれない。それを赦さなかったことこそが戦争を憎むべき所以だ。

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LE SILENCE DE LA MER
86分、フランス、1947年
製作・監督・脚本: ジャン=ピエール・メルヴィル、原作: ヴェルコール、音楽: エドガー・ビショフ
出演: ニコール・ステファーヌ、ハワード・ヴァーノン、ジャン=マリー・ロバン