吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

あの日、欲望の大地で

 照りつける太陽、荒涼たる原野の真ん中に止まったトレーラーハウスが突然炎上する衝撃の場面は、この車の中で抱き合ったまま死んだ不倫カップルの愛と渇望を象徴する。からみあったままの焼死体、という警官の言葉からトリュフォー監督の「隣の女」を思い出した。あんな濃い情念の世界で心中したカップルの話なのだろうか…と。



 死んだのは母=キム・ベイシンガー、その娘がシャーリーズ・セロン。この美しい母と娘は愛し合っていたが、母の不倫によって思春期の娘は母を激しく憎むようになる。母が不倫の果てに死んだ、そして娘は母の不倫相手の息子と禁じられた愛の世界に落ちていく。母と娘の愛は二人の結びつきが断ちがたく強いのか、同じ轍を踏んで地獄へと堕ちるのか…。



 さすがは「アモーレス・ペロス」「21グラム」「バベル」の脚本家だけあって、ギジェルモ・アリアガ初監督の脚本は時間軸シャッフルのわかりにくい構成。しかし、母と娘の過去と現在がシームレスに繋がるこの構成は、彼女たちが熱い血の繋がりと愛と渇きを共有していることを示すために必要なものであった。母の葛藤は大人になった娘の愛の飢(かつ)えと同じ。砂漠で愛を交わした母のように、娘もまた妻ある男と乾いた愛を交わす。



 トラウマは、何度も同じ物語を語ることによって癒されていく。時間軸を交差させて母と娘の罪と罰の物語を紡ぐのは、トラウマ治療の道筋と同じ。だから、この映画は娘の傷=罪がなんなのか、割と早くに気づいてしまう。そして結末まで、意外な展開というのは一切ない。構成が複雑でわかりにくい割には、秘められた謎というほどのものは存在しない。とはいえ、ストーリーの重さに見合うだけの見事な演技を見せたシャーリーズ・セロンと子役のテッサ・イアが光っている。シャーリーズ・セロンの若い頃を演じたジェニファー・ローレンスも巧い。


 母の愛が明るい荒野の強烈な光の中で燃え尽きたのと対照的に、娘は湿った灰色の空の下に崩れた裸体を曝して愛に飢える。そして、生まれてすぐに棄てられた少女がまた母の愛を拒みつつ母の愛を求める。女たちの輪廻は、やがて最後に静かな愛に落ち着くのか。



 期待したわりにはありふれた展開、ありふれた結末なのでやや期待はずれの感があるが、不倫の恋に燃えて荒野で求め合うキム・ベイシンガーの美しい情念と全裸に点数アップ。わたしより5歳も年上とは思えません。(レンタルDVD)

−−−−−−−−−−−−−−
THE BURNING PLAIN
106分、アメリカ、2008
監督・脚本: ギジェルモ・アリアガ、製作: ウォルター・パークス、ローリー・マクドナルド 、製作総指揮: シャーリーズ・セロンほか、音楽: ハンス・ジマー、オマール・ロドリゲス=ロペス
出演: シャーリーズ・セロンキム・ベイシンガージェニファー・ローレンス、ホセ・マリア・ヤスピク、ヨアキム・デ・アルメイダ、テッサ・イア マリア