吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

おとなの恋の測り方

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 身長差30㎝以上の男女カップルが織りなす悲喜こもごものラブストーリー。ラブコメだけれど、かなり真面目に社会的差別について描いており、何よりも役者が美男美女揃いなのでとっても気に入った作品。
 ある日出会った相手が自分より遥かに身長が低い男性だったら? ともに離婚歴がある大人同士の恋は、何も障害がないどころか、高学歴高所得インテリカップルの誕生と思われるのに、新たな恋に踏み出せないのは、彼の身長が136センチだということ。ユーモアがあって親切でハンサム。著名な建築家で大きな家があり、大きな犬と大きな息子がいるアレクサンドルは、本人だけが小さい。でも小さいのは見かけだけで、あとは何の欠点もない人間だ。 
 というわけで、美男美女が出会ってすぐに意気投合してカップルになる、というラブストーリーに設定された障害は「身長差」である。古今東西、ラブストーリーには必ず愛し合う二人に何か障壁があるのだが、今回は身長差である。これは思考実験でもあり、観客は鋭く自分の中の「理想の恋人像」を問われることになる。金持ち・イケメン・性格がいいという長所と、離婚歴あり・子どもありという多少の瑕疵と、身長が極端に低いという「大きな問題点」のある男性をはたして女性は(あなたは/わたしは)愛することができるのか。
 これ、さらに過酷な条件を付けたらどうなるんだろう。彼がハンサムでもなければ金持ちでもないとなれば? 
 いろいろ条件の組み合わせを考えてしまうのだが、障害者を「障害者」にするのは障害のある本人ではなく周囲の偏見だということを鋭く、そしてしみじみとわからせる映画だ。「障害はきみの心の中にある」という名セリフが響きます。
 ヒロインのディアーヌを演じたヴィルジニー・エフィラは愛らしくて知的な雰囲気がとても好ましい。アレクサンドルの息子役のセザール・ドンボワがイケメンで明るく可愛い青年で、彼を見ているだけで心が和む。あの年代の若者は輝いていてよいわー。
 この映画はどうやってジャン・デュジャルダンを身長136センチに見せたんだろう、と不思議でたまらなかったのだが、劇場用パンフレットによると、代役がいて、その彼とデュジャルダンをCGで合成したそうだ。なかなか演技するのは難しい役どころだけれど健闘している。
 初対面でいきなり「人生をかえる体験をさせてあげる」と強引に口説きにかかるアレクサンドルが実行した「体験」というのが金がないとできない危険な遊び。それはスカイダイビングなのだが、これだと身長の高低は関係ないからね。巻頭のこのあたりのスピード感はすさまじい。あとはドタバタコメディを混ぜ合わせて緩急をつけた演出はなかなか軽快だ。ただ、度を越したドタコメぶりはちょっとどうかと思わせる部分がないわけでもない。
 景色よし、音楽良し、主役二人と息子が美しくて、いつまでも画面を見ていたくなる映画だった。全然眠くならないっていいねぇ。

UN HOMME A LA HAUTEUR
98分、フランス、2016
監督:ローラン・ティラール、脚本:ローラン・ティラール、グレゴワール・ヴィニュロン、オリジナル脚本:マルコス・カルネヴァーレ、撮影:ジェローム・アルメーラ、音楽:エリック・ヌヴー
出演:ジャン・デュジャルダン、ヴィルジニー・エフィラ、セドリック・カーン、ステファニー・パパニヤン

 

誰のせいでもない

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 ものすごく静かでほとんどなんの盛り上がりもないストーリーなのに、なぜか惹かれてしまった。

 カナダ、雪の降り積もる季節に、主人公のスランプ作家トマスは子どもを車で轢いてしまう。と思って冷や汗をかいたのだが、すんでのところで子どもは助かったのだった。いやしかし。。。
 という始まりから終わりまで、トマスはずっと沈鬱な表情を崩さない。ジェームズ・フランコをこの役に当てたのは正解だ。彼の表情はこの陰鬱な映画に実によく合っている。個人的に、眉間に皺のある男性が好きなせいもあるかもしれないが、この映画のフランコはとても魅力的だ。眉間に皺のある女性はなぜ魅力的に見えないのだろう。ジェンダーバイアスに違いない。最近皺だらけになってきた上にたるんでいる自分の顔を鏡で見てぞっとしている(;^ω^)
 閑話休題
 で、この事故を境にして、トムをめぐる女性たちの人生が変わり、別れと出会いがあり、喪失があり、嘆きがあり、憎しみと許しがあり、という展開なのだが、悲劇的な内容の割には誰も喚いたり怒ったりしない。終始物静かに登場人物は語り合い、月日は静かに、そしてあっという間に流れていく。
 見終わってからこの作品が元々3Dで撮られていたことを知った。これを劇場で3Dで見ていたら、また違った感想を抱くかもしれない。しかし、自宅のテレビモニターで見たって、十分この登場人物に感情移入はできる。ストーリーや登場人物の感情の動きは現実離れしていると思うのだが、そんなこととは関係なく、なぜか画面に惹き込まれていく。それは画面構成が巧みだからだろう。ひたすら主人公トマスの表情を追う画風は、ジェームズ・フランコに過大な負担を負わせる演出だが、ヴィム・ヴェンダース監督の要求にフランコはよく応えている。音楽の効果といい、脚本と演出の間合いの巧みさといい、ヴェンダース監督のなかでも屈指のお気に入り作になった。世評の高い「パリ、テキサス」はちっとも面白いと思わなかったが、この「誰のせいでもない」はわたしにはとても印象に残った。たぶんその理由は、主人公が作家で彼の父親が大学教授という設定、つまりインテリが主な登場人物だからだろう。
 そうそう、トマスの父は引退した教員で、「毎日何もすることがない」と嘆いている。「森に入って木こりになるとか、100キロマラソンを走るとか、いくらでも挑戦することがあるでしょー」と思わず画面に向かって突っ込みを入れておりました。

 原題の"EVERY THING WILL BE FINE"は皮肉でしかない。(DVD)

EVERY THING WILL BE FINE
118分、ドイツ/カナダ/フランス/スウェーデンノルウェー、2015
監督:ヴィム・ヴェンダース、製作:ジャン=ピエロ・リンゲル、脚本:ビョルン・オラフ・ヨハンセン、音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:ジェームズ・フランコ、シャルロット・ゲンズブー、マリ=ジョゼ・クローズレイチェル・マクアダムス

 

岸辺の旅

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 最近幽霊づいている黒沢清監督作。幽霊が出てくるといっても別にホラーではないので、ちっとも怖くない。ちょっと「今、会いに行きます」系の雰囲気もある。あれはタイムスリップだったけど、こちらはあの世とこの世を彷徨う話。
 主人公は深津絵里が演じるまだ若い人妻・瑞希(みずき)で、彼女の夫・優介は3年前から行方不明。ある夜突然その夫が帰ってくるのだが、本人は「おれもう、死んでるんだ」と言う。死んでいるけど、生きている時と何も変わらない姿で、ひょこっと帰ってきたのだ。浅野忠信は相変わらず浅野忠信で、実にひょうひょうとこの優介を演じる。幽霊なのに存在感ありすぎ。ちゃんと体重もあるし、普通にご飯を食べるし。でもやっぱり幽霊だから、普通の人には見えないわからないことがわかったりする。優介がこの三年間世話になった人を訪ねていく旅では、何度も死者に出会う。死者はこの世に未練を残し、自分が死んだことも気づかない者すらいる。世の中にはこんなに死んだ人がウロウロしていたのか、驚くばかりである。

 優介と瑞希の旅はたびたび中断する。ひょっとしたらこれは全部、瑞希の夢だったのではないかと思えてくるぐらい、その中断は突然であり、物語全体が茫洋としている。しかし、さすがは黒沢清作品だけあって、なんということのない場面でも人を怖がらせるような仕掛けがある。それは大仰な音楽であったり、これ見よがしな照明であったりするのだが、それでもこれまでの黒沢作品に比べれば随分牧歌的だ。
 この世に残した未練はどのように昇華されるのだろう。生きているうちに理解し合えることがなかった夫婦の絆はどのように結べるのだろう。いまさら、なのか、今だから、なのか。
 死んでからでなければ理解し合えないような関係は無意味だ、とわたしは思う。生きているうちに愛する人に本当のことを告げるべき(「愛している」という簡単な一言)であり、お互いの気持ちを伝えあうべきだ。言いたいことも言わず我慢するのはお互いにとってよくないのだ。この夫婦の場合、生きているときになにがあったのかは映画の中では明らかにされない。しかし、おそらくいろんな行き違いがあったのだろうことは想像できる。


 生者と死者がふつうに行きかう世界が日本では当たり前のことなのだ、と改めて実感した民俗的な作品だった。 

 幽霊よりもなによりも、生きている蒼井優の笑顔がいちばん怖かった。(ネット配信)

128分、日本/フランス、2015

監督:黒沢清、製作:畠中達郎ほか、原作:湯本香樹実、脚本:宇治田隆史、黒沢清、音楽:大友良英、江藤直子
出演:深津絵里浅野忠信小松政夫村岡希美奥貫薫蒼井優柄本明

 

パトリオット・デイ

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テロ等準備罪が成立しようかという晩に、テロの映画を見る。
 この社会は「テロとの戦い」という非和解の位置に立つことを選び、そのために手段を問わなくなっている。アメリカではテロとの戦いが日常生活にまで及んでいるが、日本では「テロ等準備」なるものが実在しないにも関わらず、法律だけが暴走する。


 ボストンマラソンでの爆弾事件はまだ記憶に新しい。関係者は皆生きているから、映画の最後には当事者たちが登場するし、映画の場面の随所に実写映像が使われている。主人公だけは3人の警官をミックスした架空の人物に仕立てられたが、それ以外は全員実名で登場する。
 パトリオットデイというのはアメリカの3州の祝日だということをこの映画で知った。〝「パトリオット・デイ」(愛国者の日)とは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州メイン州ウィスコンシン州の3州において4月の第3月曜日に制定されている祝日で、毎年ボストンマラソンが開催される日である。〟とWikipediaに書いてある。

 爆弾事件は2013年に起きた。市民マラソンであるレースのゴール近く、ランナーと沿道の応援者とがごった返す中で2回にわたって爆弾がさく裂し、3人が死んだ。そのうち一人は8歳の少年だった。その102時間後に犯人のイスラム教徒兄弟が逮捕された。この映画は犯人兄弟と、警察、犠牲者たちの群像劇である。

 群像劇にしたために、登場人物一人ずつの背景説明がおざなりになってしまったことが残念だ。特に犯人側の情報をもっと描いてほしかったのだが、ここはほとんど触れられない。それよりも、どうやってこんな短時間で犯人が特定できたのか、その状況をドキュメンタリータッチで描くことに主眼が置かれていて、その点は成功している。わたしは意外といろんなことを知らなかったんだ、ということを知った作品である。犯人逮捕に至るまでにどんな逃走劇があったのか、すさまじい銃撃戦があったこともこの映画で知った。人質になった中国人留学生のキャラクターもとても興味深く、ほとんどコメディかと思うほどだったがこれもまた実話だというから、まさに事実は小説より奇なり。

 この事件によって、新婚夫婦が脚を失っている。彼らは希望を失うことなく、映画のラストシーンで再びボストンマラソンを走る姿が映し出されていた。義足で走る彼の姿を見たとき、胸がいっぱいになった。この場面を見られただけでもこの映画を見た値打ちがある。

PATRIOTS DAY
133分、アメリカ、2016
監督:ピーター・バーグ、脚本:ピーター・バーグ、マット・クック、ジョシュア・ゼトゥマー、音楽:トレント・レズナーアッティカス・ロス
出演:マーク・ウォールバーグジョン・グッドマンケヴィン・ベーコン、J・K・シモンズ、ミシェル・モナハン

 

光をくれた人

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 最後のほうはずっと泣きっぱなしで、劇場を出たときには目がはれ上がって恥ずかしかった。おまけに駅に向かう道々、映画を思い出しては涙があふれてくるので困った。今年一番泣いた映画。まあ、泣けるようにできているんですけどね。「パーソナル・ショッパー」に続いて観た映画で、「パーソナル」の後味の悪さを吹き消す、よい映画でありました。
 マイケル・ファスベンダー主演なので見に行った映画で、やっぱり彼の憂いを含みすぎて演技なのか素なのかわからない目に惹き込まれることを再発見してしまった。この人、演技がうまいのか下手なのかよくわかりません。もうほとんど同じ役しかできないんじゃない? コメディとか絶対に似合わないタイプだと思う。
 物語は1918年12月、オーストラリアに始まる。第一次世界大戦が終わって、復員してきた兵士がトム・シェアボーン。彼は絶海の孤島に建つ灯台守になるために町役場で面接を受けている。孤独で過酷な仕事に違いないのに、あえてその仕事を選んだトムには戦場での傷ついた記憶があったのだろう。そして出会った地元の名士の娘イザベルと恋に落ち、手紙をやりとりしながら二人はやがて結婚する。孤独な灯台守のもとにイザベルは嫁いできた。二人きりの無人島の生活はすさまじい風と波の音にかき消されそうになりながらも、微笑みと明るさに満ちたものであった。特に、トムの髭をイザベルがそり落とすシーンがとても印象深く、二人の仲睦まじい様子がほほえましい。
 しかし、二人に悲劇が襲う。イザベルが二度も流産してしまったのだ。二度目の流産(早産)で激しく落ち込むイザベルだったが、なんという偶然か、そこに赤ん坊とその父とみられる男性が小さなボートで流れ着くのだ。父親は既に亡くなっていた。業務日誌に記録して町に報告せねばならないというトムを押しとどめてイザベルは必死に訴える。「この子が来たのは偶然じゃない。どうせ養護施設にやられてしまう子だ。わたしたちの子として育てよう」
 こうして、二人のもとにやってきた可愛らしい女の子はルーシーと名付けられ、深い愛情を注がれて大切に育てられることになったのだが。。。。。
 育ての親と生みの親。どちらの愛情が深いのか、どちらのもとに居るのが子どもの幸せなのか。そして、拾った子どもを自分たちの子どもとして育てることは大いなる罪ではないのか。倫理的な葛藤と夫婦の軋轢が交錯し、事態は深刻な局面を迎える。そこには、第1次世界大戦が残した憎悪と心の傷も絡んでいた。 
 おそらく原作には、大戦で傷ついたトムの過去もきっちり描かれているのだろうが、映画ではそのあたりはほとんど言及されない。ルーシーの実父がドイツ人だったというのもこの物語のキモの部分で、戦争の敵国人であったドイツ人を愛したルーシーの実母の想いもまた深いものがあるのだ。
 この映画が観客を泣かせるべく作られていることは否定しない。子どもを登場させれば感動物語になることは間違いないのだから。しかし、ズブズブのお涙頂戴ものにならなかったのは、アリシア・ヴィカンダーの見事な演技と、レイチェル・ワイズの抑えた演技の素晴らしさによる。
 許すことが人を癒すことをこの作品はまた教えている。「人を憎むことはずっと続くつらいことだ。赦すのはたった一回でいい」


 灯台が立つ島は「ヤヌス島」という。二つの大洋がぶつかる荒波にさらされるこの島は、二つの顔を持ち、引き裂かれるヤヌス神にその名が由来する。

THE LIGHT BETWEEN OCEANS
133分、アメリカ/オーストラリア/ニュージーランド、2016
監督:デレク・シアンフランス、原作:M・L・ステッドマン『海を照らす光』、脚本:デレク・シアンフランス、撮影:アダム・アーカポー、音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:マイケル・ファスベンダーアリシア・ヴィカンダー、レイチェル・ワイズ

 

マンチェスター・バイ・ザ・シー

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 喪失から立ち直ろうとする人々の心の動きを静かに、しみじみと描き出す佳作。それにしても邦題は英語そのままって何の工夫もないのはいただけない。マンチェスターというタイトルにすっかりイギリス映画だと騙されたが、これはアメリカの小さな港町の名称である。なんと、このタイトルそのものが正式な町名なのだって。だから主人公は人間ではなく、町そのものなのだ。
 物語の始まりは雪の積もるボストン。アパート管理業務の便利屋をしているリーは腕はいいが不愛想で、住人からしょっちゅうクレームをつけられている。そんな彼のもとに兄が倒れたという知らせが入る。生まれ故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーまで車で1時間半。運転しながら彼の脳裏には過去のさまざまな思い出が去来していた……。
 物語はゆっくりと進む。いったいどこに向かっているのか、何を描いているのかよくわからない。そして過去の場面がいきなり挿入されるので、映画を見慣れていない観客は戸惑うだろう。リーがつらい過去を体験した人である、ということが徐々に明らかにされていく過程が秀逸だ。画面がいきなり過去に戻るところは、まさに記憶が主人公リーを襲う瞬間であり、記憶の亡霊が彼に取りついている瞬間なのだ。
 兄は結局、持病の心臓病の悪化によってあっけなくこの世を去ってしまった。残された一人息子、すなわちリーにとってはたった一人の甥っ子がこれからはリーの家族となる。兄は自分の余命が短いことを知っていたので、息子(リーの甥)の後見人をリーに指名する遺言状を残していた。誰からも好かれた好人物であった兄に比べて、リーは不愛想で短気で喧嘩っ早い。しかしこれとて彼の生来の性格ではなかったことが徐々に明らかになる。それほど、リーは凄惨な体験に打ちのめされてきたのだ。
 リーをめぐる人々との会話やさりげないしぐさ、モゴモゴと何をしゃべっているのかよく聞き取れないリーの陰気なしゃべり方といい、脚本と演出が実に巧みだ。少しずつ解きほぐされていく過去の悲しみによって、リーの心理が手に取るように観客に伝わり、彼のつらさが観る者の心に響いてくる。リーの前妻・ランディを演じたミシェル・ウィリアムズの演技のうまさに改めて舌を巻いた。ほんとうに彼女はいい役者だ。 
 人は喪失からそんなに簡単には立ち直れない。それでいいのだ。時間が癒してくれる、などという安易な言葉で慰めを言うことも意味がないかもしれない。そんな状況をこの映画は静かに、そしてリアルに観客に示した。

MANCHESTER BY THE SEA
137分、アメリカ、2016
監督・脚本:ケネス・ロナーガン、製作:キンバリー・スチュワード、マット・ディモンほか、撮影:ジョディ・リー・ライプス、音楽:レスリー・バーバー
出演:ケイシー・アフレックミシェル・ウィリアムズカイル・チャンドラーグレッチェン・モル

 

リミットレス

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Amazonプライムで無料配信。これまた頭を使わない作品だと思って鑑賞。期待通り頭を使わなかったのでよかった。観客が頭を使わない代わりに、主人公はやたら頭を使うのである。人間の脳は普段ほとんど眠っているのだが、それを覚醒させるとどうなるか、というお話。
 なんで脳の活性化が可能になるかと言えばそういう新薬が密かに発明されたから。で、それを怪しい男から手に入れた主人公エディが100パーセント活性化した能力をフルに活用して輝かしい成功を手に入れる、というお話。エディは売れない小説家で、ちっとも筆が進まないのだが、その薬のおかげでスイスイと作品が書けてしまう。しかし彼は気づく。「なんだ、小説なんか書いているより、株でもやって儲けるほうがいいじゃん」
 というわけでさっぱりと小説はやめて株の投資にのめり込み、彼は驚異の記憶力と直観力と洞察力であっという間に投資で莫大な儲けを出す。彼の才能にほれ込んだ投資家からも声がかかり、今や彼の人生は輝かしい成功へと導かれていたのであった!
 などという美味しい話はいつまでも続かないんだよ。よく効く薬は毒と同じ、副作用に苦しむエディにはヤクザな男たちとの活劇も待ち受ける。追いつめられて絶体絶命の危機、もう死ぬしかない! という場面でエディは頭脳をフル回転させてこの危機をどうやって突破するのか。
 スピーディな演出と程よく配置されたアクションシーン、美女(アビー・コーニッシュ)も登場し、娯楽映画の粋を集めてみましたという作品。最後まで面白く見られたけれど、結末には納得できない人が多いだろう。
 優秀な頭脳を使って小説を書くよりも金儲けに走るという道を選んだ時点で人間としてどうよ、と思うのが「良識派」であり。いや別に金儲けそのものが悪いというわけではないんだけどね。薬の乱用は怖いですよ。

LIMITLESS
105分、アメリカ、2011
監督:ニール・バーガー、製作:アーウィン・ゲルシーほか、原作:アラン・グリン『ブレイン・ドラッグ』、脚本:レスリー・ディクソン、音楽:ポール・レナード=モーガン
出演:ブラッドリー・クーパーロバート・デ・ニーロアビー・コーニッシュ