吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

カティンの森

 アンジェイ・ワイダは「カティン(カチンの森)事件」の遺児なのだという。本作は亡き両親に捧げられている。



 「芸術性」という点から見れば、ワイダ監督の昔の作品のほうが優れている。検閲下に作った作品のほうが隠喩に富んで文学的だ。「カティン」は検閲がなくなって自由に作れるようになった分、物語が明快に過ぎるところがある。とはいえ、これは今年のマイベスト10間違いなしの作品。本作は、カティンの森事件そのものよりも、「カティン、その後」に重点を置いている。そこが本作の優れたところだ。カティンの森事件の真相は、ナチスドイツとソ連によって、互いの犯罪であると罪をなすりつけあわれていた。事件そのものがポーランドの歴史と同じように、大国によって政治的に利用されてきたのだ。



 ポーランド、それは18世紀以来、何度も大国によって分割支配されてきた国。何度も国を失った国。そんな祖国に対する名付しがたい愛を、アンジェイ・ワイダは描き続けてきた。この感覚は日本人にはわからない。



 物語は、3組の家族とカティンの森事件との関わりを描く。1939年9月、第2次世界大戦勃発となったドイツのポーランド侵攻直後、アンナは夫であるポーランド将校アンジェイが捕虜となっているソ連国境へと向かう。大勢の避難民でごった返す中、夫に巡り会えたアンナは、一緒に逃げようと言うが、アンジェイは「僕は将校なのだ。しっかりしろ、君は将校の妻だ。僕は軍に忠誠を誓った」と、アンナの言葉に従わない。アンナは涙ながらに夫アンジェイをなじる。「あなたはわたしにも誓ったわ! 永遠の愛を、神様の前で! もう愛していないのね!」

 
 そして物語の中心はアンナと彼女を巡る人々へと転回する。観客にはカティンの虐殺事件の真相は知らされない。それがドイツのせいなのかソ連の蛮行なのか、わからないのだが、アンジェイと一緒に捕虜となった大将の留守家族の元に大将の遺品が届けられ、事件の真相が判明する。この大将夫人の毅然たる様が強く印象に残る。軍人の妻とはかくあるべし、という鑑のような女性だ。



 帰らぬ夫を待つままに、戦争が終わり、アンナは戦後になってようやく真実を知ることになる。戦後、ポーランドが解放されて自由が取り戻せたはずの日々に、カティンの森の真実は語ることを禁じられ、ポーランドのタブーとなった。ソ連の衛星国となったポーランドでの陰鬱な日々に、青春のきらめきに輝いた若者達のつかの間の恋も踏みにじられる。夫や父や兄の死の真相を語り残そうとするだけで生命の危険にさらされる、恐るべきポーランドの戦後が始まった。



 カティンの森で虐殺された将校たちの悔しさと無念を渾身の力で抉ったラストシーン、その凄絶な光景に観客は息をのむ。



 カティンの森事件とは、その虐殺の瞬間だけで終わった事件ではない。戦後を生きた家族の愛と慟哭の歴史が血の滲む文字で綴られた事件なのだ。


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KATYN
2007年、ポーランド、上映時間 122分(R15+)
監督・脚本: アンジェイ・ワイダ、製作: ミハウ・クフィェチンスキ、原作: アンジェイ・ムラルチク、脚本:ヴワディスワフ・パシコフスキ、プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ、音楽: クシシュトフ・ペンデレツキ
出演: マヤ・オスタシェフスカ、アルトゥル・ジミイェフスキ、マヤ・コモロフスカ、ヴワディスワフ・コヴァルスキ、アンジェイ・ヒラ、ダヌタ・ステンカ、ヤン・エングレルト