吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

おとなのけんか

 長男Y太郎が今年見た映画の中で一番面白かったというから期待したら、期待値が高すぎたのか、それほどでもなかった。


 物語は子ども同士の喧嘩から始まって、文字通り大人の喧嘩に発展していくスリリングな室内劇。原作の戯曲が持っている面白さをそのまま映画にした模様だ。ポランスキーは演劇的な演出を一度はしてみたかったのだという。よって、映画内時間の経過は現実時間とほぼ同じ。ワンカットでこそ撮ってはいないが、観客には同時進行で進む大人の喧嘩がリアルに感じられる仕組みになっている。

 とはいうものの。とはいうものの。この「リアルな時間経過」が曲者で、原作が舞台劇であるだけに、これを映画にしてしまうと大変不自然な場面がいくつもある。子どもどうしがささいなことで喧嘩をして相手の歯を2本折るという事件を起こし、その決着をつけるために加害者の両親が被害者宅へ赴く。映画はその「和解文書」をPCで打っているところから本編が始まる。和解したのだからさっさと帰ればいいものを、被害者宅の高級アパートのドアを開けて加害者夫婦が帰ろうとすると「お茶でもいかが」と被害者夫婦が呼び止める。じゃあ、せっかくだから、と加害者夫婦がアパートの部屋に戻る。そんなやりとりが何度も繰り返される。何で帰らないのよ、変でしょ、と観客は思うだろう。これが舞台演劇ならば不自然さはないのに、映画になると途端に不自然な展開になる。そして、お茶だけではなくお酒まで入って大人4人の会話が錯綜しヒートアップしてくると、ヒステリックなジョディ・フォスターの演技が鼻についてくる。この不自然さもやはり舞台演劇的だ。

 この大人4人はインテリであり、経済的にも裕福で、特に加害者夫妻はどちらもきちんとスーツを着こなしたハイソサエティぶりを見せつけている。加害者の両親カウアン夫妻は、夫が弁護士で妻が金融ブローカー。いかにもニューヨーカーである。この弁護士が鼻持ちならない皮肉屋で、携帯電話を手放すことができない。みんなで息子達のことを話し合っている最中に何度も何度も何度も何度も何度も電話がかかってくるし、かけている。もちろん他の3人はイライラしているし、観客もイライラに同調する。わずか80分の映画の中でMr.カウアンが電話をかけている時間のなんと長いことよ。

 大人の喧嘩の中で露呈してくるのは、インテリリベラル派の胡散臭さやヒステリックで「上から目線」な物言い。そして会話劇の妙は、そのときどきで「敵と味方」が複雑に入れ替わるサスペンスフルな展開を見せる。

 アフリカの内戦問題についての著作があるジョディ・フォスター=ロングストリート夫人を見ていて思いだしたのは村上春樹の『海辺のカフカ』に登場するいけすかないフェミニストだ。リベラル派に対する冷ややかな脚本には嫌味ったらしさを感じたが、そのことをYに言うと「まあ、左翼ってあんなもんやんか」と応えるではないか。むー。

 子どもの喧嘩に介入した大人どうしが、やがて二組の夫婦のいがみ合いに収まらない、互いの家庭の不平不満のぶちまけあいまでに至る露悪趣味的な結末は、さらにその後に続くエンドクレジットとともに映し出される皮肉が強烈に効いている。

 演技力では文句のつけようがない4人が出演する映画だけに、安心して見ていられるのだが、その中でも光っていたのはクリストフ・ヴァルツの冷淡な皮肉屋悪徳仕事中毒弁護士ぶりだ。この人はほんとうに上手い。ちょっとここまでの味を出せる役者は現在のところ、他にいないのではないか。

CARNAGE
79分、フランス/ドイツ/ポーランド、2011
監督: ロマン・ポランスキー、製作: サイド・ベン・サイド、原作戯曲: ヤスミナ・レザ、脚本: ヤスミナ・レザ、ロマン・ポランスキー、音楽: アレクサンドル・デプラ
出演: ジョディ・フォスターケイト・ウィンスレットクリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリー