吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

運命は踊る

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 イスラエルに住む裕福な家庭のもとにある日突然軍の関係者がやってきて、「息子さんのヨナタンが昨夜亡くなりました」と告げる。その言葉を聞いた若く美しい母親は卒倒し、父親は冷静を装いながらも感情のやり場に困惑し、絶望に震える。だがそれは誤報であることがその日のうちにわかり、再びやってきた軍人たちに怒りを爆発させた父親は「今すぐ息子を連れ戻せ!」と怒鳴り散らす。軍の上層部にコネがあると吐き捨てる父親は激情のままに携帯電話を手に取った。息子を取り戻すために。
 いきなり衝撃的な場面から始まる本作は、最後までその緊張の高さを持続する。全体が三部に分かれた構成といい、強度の高い物語性といい、ギリシャ悲劇を思わせるものがある。原題は「フォックストロット」。アメリカで流行した簡単なステップの社交ダンスのことを指す。ボックス型に足を運び、元のところに戻ってくる。これは本作のテーマである「運命は帰るべきところに戻る」の隠喩である。映画の中でこのステップは3度登場する。これもまた三部作の三部それぞれに用意されたステップが異なる側面を見せ、観客に強いインパクトを残す。
 強いセリフのやりとりと激しい感情が行きかう第1部とうってかわり、第2部のヨナタンの赴任地ではあまりにも退屈な国境警備が描かれる。ヨナタンと同じく二十歳ぐらいの若い兵士4人が守る検問所では、ラクダがのんびりと通過するたびに遮断機を上げる。たまに通り過ぎる車を止めては身分証明書を確認する。それだけのことだが、彼らは検問を通過する人々に極めて冷淡な態度をとり、雨の中でも平気で通行人を立たせておく。だがある夜、いつものように退屈な警備の最中に事件が起きた。ヨナタンの運命が狂っていく。
 第3部、ヨナタンの二十歳の誕生日を祝うケーキを作る母親。罪を告白する父親は、その罪が自身を苦しめていたことをようやく妻に語るのだった。しかしそれは遅すぎた贖罪の言葉だったのかもしれない。
 ホロコーストの生存者の子孫であるヨナタンは、代々伝わる物語を仲間の兵士に語った。上級将校は「今は戦争をしているんだ。戦争ではなんでもありだ」と強面の表情を崩さずに冷淡に言い放った。すべてのセリフがこの国、イスラエルの歴史と現状を指し示す含蓄に満ちていて、時にユーモラスに、時に苦く観客の感情に響いてくる。
 他責の言葉は自らを撃つ。ホロコーストの被害者が強者へと生まれ変わろうとし、他責・他罰の思考に凝り固まり、夫が軍を妻が夫を責めたとき、運命の歯車はフォックストロットのステップとともに動き始めた。
 本作のカメラはしばしば天井から見下ろす位置をとる。それは運命を嘲笑うかのように、人知を超えたものの存在を知らしめるように、観客とともに神の位置を独占する。ラストシーンは巻頭のシーンと同じ、イスラエル北部の広野の一本道が映し出される。運命はどこに向かったのか。それはどうあがいても変えることができないものだったのだろうか。
 いつまでも余韻が残る作品。ベネチア映画祭で銀獅子賞受賞。

FOXTROT
113分、イスラエル/ドイツ/フランス/スイス、2017
監督・脚本:サミュエル・マオズ、音楽:オフィル・レイボビッチ、アミト・ポツナンスキー
出演:リオル・アシュケナージ、サラ・アドラーヨナタン・シライ、ゲフェン・バルカイ、デケル・アディン、シャウル・アミール、カリン・ウゴウスキー

愛と法

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 大阪で開業する弁護士夫夫(ふうふ)の日常を追ったドキュメンタリー。二人の名前はカズとフミ。二人で「なんもり法律事務所」を開業したのは2013年のこと。映画は2014年、性の多様性を祝福する「レインボーフェスタ」会場で派手なTシャツ姿の二人が壇上に上がる場面から始まる。

 そして時間は少しさかのぼって二人の結婚式のビデオが流れる。家族に祝福されて結婚した二人は、ゲイのカップル。そして、彼らの法律事務所では二人を祝福してくれたカズの母親も働いている。初めて息子がカミングアウトしたとき、母も兄もその事実を受け止められず、激しい口論になったという。しかし、その時の母の言葉「だって、知らなかったもん。誰も教えてくれなかったもん」を聞いてカズはハッとした。「そうか、知らない人のことは責められない」
 このドキュメンタリーはカズこと南和行、フミこと吉田昌史の二人の家庭と仕事の日々を記録していく。生活も仕事も一緒という二人は時には言い争い、喧嘩もする。それはどんな夫婦も家族もそうであるように、普通のカップルなのだ。そして二人はとても仲がいい。
 なんもり事務所で扱っている事件も映画の中で紹介される。猥褻物陳列罪で起訴された「ろくでなし子」さん、「無戸籍者問題」の当事者、「君が代不起立」で処分された教師など、二人はさまざまな人々の反差別・人権獲得訴訟に取り組んでいる。そしてカズは音楽活動にも精を出し、プロモーションビデオを撮影して二人で照れ笑いもしながらその動画を見ている。
 そんな二人のマンションに一人の少年が同居することになった。フミが身元引受人になったため、一時的に引き取ったものだが、彼は弁護士たちが同性婚していることを「ふつうやん」と受け止める自由な感性の持ち主だ。三人で暮らすうちにその少年も徐々に料理を覚え、生活になじんでいく。
 訴訟では裁判官の心無い言動に怒りを覚えたり、法の世界に限界を感じながらもそこが社会の最後のよりどころだと信じる彼らは、まさに「愛と法」の世界に生きていると言える。この映画の主人公二人はもちろん魅力的な人たちだが、それだけではなく、たくさんの魅力的な無名の人々が登場する。そして、ろくでなし子のようなぶっ飛んだアーティストも登場して、まったく飽きない。
 ユーモアに溢れたドキュメンタリーは見ていて力づけられるが、いっぽうで、彼らが弁護士という士業に就いている恵まれた人々だからこそ、この生活はありえるのではないかと思われる。彼らと違って閉鎖的なコミュニティで苦悩するLGBTの人々が楽に生きられるためには、言葉の力を使うことのできる人々が自ら表に出てその存在を曝していかないと世の中は変わらないのだろう。
 39歳の誕生日を祝うカズとフミは里親になろうとしている。彼らは、「家族」とはなにかと問い、家族として子どもを持ちたいと願っている。同性婚がごく普通のこととなる時代はいずれやってくるだろう。黙っていては変わらない世の中で、彼らはカミングアウトして自らの生活を公表した。彼らが親になる日が楽しみだ。
 そうそう、音楽も忘れてはならない本作の魅力だ。映画の邪魔をせず、けれどラストシーンで流れるピアノの軽やかな旋律は楽曲そのものが前面に出てそれが心地よい。愛と信頼で結ばれた人々の物語はさわやかだと、素直に思えるいい作品だ。

94分、日本/イギリス/フランス、2017
監督:戸田ひかる、プロデューサー:エルハム・シャケリファー

 

ドリーム

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 あふれる才能がありながら人種差別の壁にぶち当たって正当な評価も待遇も受けられなかった時代、黒人かつ女性という二重の差別の下にあった女性たちが自らの存在を認めさせるまでになる過程を描いた。
 東西冷戦という時代背景があるから、アメリカとしてもソ連に対抗するためには才能のある人間は誰でも登用するのが当たり前と言えば当たり前。この時期に黒人差別が撤廃の方向に向かっていたのはむしろ国家的な利害に一致していたといえるだろう。

 映画の時代は1960年代初頭。ケネディ政権の下で進む宇宙開発のチームの中には、計算専門の部署があった。当時のNASAではスパコンもなかったから結局人力で計算していたのね! 映画「アポロ13」でもいざとなったら計算尺で計算している様子が写っていたが、今ならPCであっという間にできる計算も当時は人間が一生懸命計算していたのだった。計算専門の部署では事務所にずらっと並ぶ机に向かって座っているのは黒人女性たちで、彼女たちが懸命に紙と鉛筆で計算している様子が映し出される。
 この物語の主要人物は三人の黒人女性たち。いずれも優秀な頭脳を持ち、向学心と向上心が強く、数学の才能があった。彼女たちはトイレが人種別であるために、作業所の近くのトイレに行けず、遠く離れたトイレに行かねばならない。そのために毎日往復何十分もの無駄な時間をトイレのために費やしていた。そんなこんなの不満を上司に訴えて彼女たちは自分たちの存在を認めさせる。もっとも、最初はおずおずと。彼女たちの優秀さに気づいた上司も一目置き、次々と理不尽な差別を撤廃していく。その上司がケヴィン・コスナー演じるアル・ハリソン所長だ。しかしその道はそう簡単なものではなかった。
 白人上司たちが黒人差別の理不尽さに気づきもしない現実。そして徐々にその現実に気づいていくが、それでもなお自分たちは差別者ではないと思い込む傲慢。こういったことはいつでもあることだし、今でもあるし、私自身にもあると思う。内なる差別を解体するのは相当な努力が必要だ。それには外在的な助力も必要だろう。アル・ハリソンがそのことに気づき自らを変えていき、やがては胸のすくある行為をするまでに至るのには、目の前にいる黒人女性の類まれな才能という現実があったればこそだ。そして、彼自身がたいそう優秀な科学者であったと言えるのではないだろうか。だからこそ優秀な才能を見つけるとそれを伸ばしたいし、活用したいと思う。上司としてはある意味当然だ。 
 このように才能ある人々は自力と他力によって差別の壁を打ち破ることができる。しかし凡人はどうなる? 多くの凡人は伸ばせる才能もなく社会の底辺で腐っていく。差別と貧困から抜け出ることもその壁を自ら打ち破ることもできない。ほんとうの差別解体はそこを打破することができなければ難しい。社会の矛盾は志ある人々がまずは突破口を開くことによって克服されていくものなのだろう。歴史がその事実を物語っている。だからこそ前衛論は消えることがない。 
 わたしのケビン・コスナーがとてもいい役をもらっているので、個人的にも高評価。そして本作は労働映画の一つと言えるだろう。今は存在しない「計算室」での計算係という仕事がかつてはあった、ということがよくわかる。(レンタルBlu-ray

HIDDEN FIGURES
127分、アメリカ、2016
監督:セオドア・メルフィ、製作:ドナ・ジグリオッティほか、原作:マーゴット・リー・シェッタリー、脚本:アリソン・シュローダー、セオドア・メルフィ、音楽:ハンス・ジマーファレル・ウィリアムスベンジャミン・ウォルフィッシュ
出演:タラジ・P・ヘンソン、オクタヴィア・スペンサージャネール・モネイケヴィン・コスナーキルステン・ダンスト

僕たちの戦争

 樹木希林さんを追悼して。映画ではなく、TBSで放送されたテレビドラマをご紹介。

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 2005年の茨城県在住のフリーターが、サーフィンの途中で溺れたはずみに1944年にタイムスリップし、予科練飛行士と入れ替わってしまうというコメディ。ドタバタコメディから始まった物語がいつの間にか戦争の悲惨さを伝える内容へと移り変わっていく。
 無責任でチャラい若者、尾島健太は海で溺れて浜辺に打ち上げられる。見覚えのない田園風景に絶句し、一軒の民家に転がり込むが、そこが60年前の世界だということに気づくまでのやり取りが笑える。民家には老婆と若い娘が二人で住んでいた。この老婆が茨城弁をしゃべる樹木希林。十年以上前の演技だが、既に完全に気のいいお婆さんである。時代を超えた二人の会話が絶妙に面白くて、お互いの言っていることが理解できないミスコミュニケーションが笑いを誘う。
 一方、霞ヶ浦飛行場で飛行訓練を受けている途中に墜落事故を起こした1944年の予科練生・石庭吾一は、同じく茨城県の浜に打ち上げられて病院送りに。そこにやってきた恋人のミナミと頓珍漢な会話を交わすと、吾一は一時的な記憶喪失に陥っているのだと家族にもミナミにも思い込まれてしまった。やがて町に出た吾一はそこが未来の日本であることに気づいて愕然とする。
 タイムスリップした二人がそっくりな外見であったことから、二人ともそれぞれの時代の相手と入れ替わることになり、真実を語っても誰も信じてくれないだろうと思って、ついつい黙ってそのままズルズルと別世界で過ごすこととなる。当然にも二人はその二つの世界の価値観の違いに驚き、自分たちの入れ替わりが周囲に影響を及ぼすことを知って狼狽する。
 入れ替わった二人を森山未來一人二役で見事に演じ分けた。もともと彼の一種独特の風貌は、チャラい現代人にも生真面目な軍国青年にも見える。細い目で力んで思い切り横目で睨む演技も可笑しい。
 このドラマは反戦ものとして製作されているが、異なる視点から解釈可能で、たとえばフリーター健太は無責任でろくに努力もしない自堕落な男だが、戦時中の軍国青年は自己犠牲の美しい精神に満ちているといったステレオタイプは気になる。その二人が入れ替わることによってフリーター健太が成長していく、一種のビルディングスロマンでもあるわけだが、健太は決して軍国青年になるわけではない。日本が戦争に負けたことも原爆投下も知っている健太は、「お国のために死ぬ」ことを否定している。
 健太が滑り込んだ時代では日本の戦況はどんどん悪くなり、ついに特攻攻撃が開始されることとなる。本作では飛行機による特攻ではなく人間魚雷「回天」が登場する。若い命を犠牲にするこの特攻作戦が無謀でばかげていることを知りながら反対できない健太は、人間としていかに成長を遂げるのだろうか。ここには、ばかばかしいとわかっていながら抵抗することができなかったかつての戦争の姿がある。
 ところで、本作はまた図書館映画の一つとも言える。現代にスリップしてきた吾一は戦後の日本史を知るために図書館で懸命に勉強している。やはり、わからないことがあれば図書館に行け! ですね。
 見終わって、作品の解釈をめぐって誰かと語り合いたくなるようなドラマだ。

2006/09/17放送、日本、110分
演出:金子文紀、原作:荻原浩僕たちの戦争』、脚本:山元清多
出演:森山未來上野樹里内山理名玉山鉄二古田新太麻生祐未田中哲司樹木希林

陸軍前橋飛行場 私たちの村も戦場だった

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 1940年1月から大量の日記をつけ続けていた人物がいた。その名は住谷修。そこには詳細に戦時下の村の様子がつづられ、軍によって強制的に田畑を徴収されたことも記録されていた。戦争の日々を冷静な目で描写するその筆致は時に辛辣で、村民への批判も容赦ない。その膨大な手書きノートを戦後になって本人は清書しようとした。その清書を手伝わされたのが息子の住谷佳禹(よしのぶ)さん。映画の中で住谷佳禹さんは膨大な文書群に囲まれて、自分が清書した「村日記」を前に思いを語る。その日記につづられた戦火の記憶を、今も健在の老人たちからの証言によってさらに豊かにしていくのがこの記録映画である。
 映画としては全体に大変地味だけれど、それはある意味しかたのないことだ。当時の生々しい映像はほとんど残っていないだろうし、当事者たちが文字情報しか残していないとなると老人たちの証言集にならざるをえない。しかしその老人たちの証言が70年以上経っても生々しいことに驚く。とりわけ空襲の記憶はくっきりと残っているようで、誰もがその悲惨な状況を昨日のことのように語るのだ。
 そういえば、うちの母も小学生高学年の時に米軍機に追いかけられた話を何度もしていたなぁとわたしは映画を観ながら思い出していた。操縦士の顔まではっきり見えたという母は、必死に走って近所の民家に飛び込んだという。それは滋賀県の田舎の話だから、そんなところを空襲する予定でもなく、米軍の飛行士は遊び半分で女の子を追いかけたのだろう。本人にとっては一生忘れられない、「あんなに怖い思いをしたのは二度とない」と言っていたぐらいにトラウマとなったのに。

 この映画の舞台となった前橋飛行場があった地域は今でも田園地帯である。飛行場の名残となる場所も登場する。軍が接収した畑を飛行場にするために動員された人たちも証言する。その当時は小学生だった人、高等小学校に通っていた人などが、「囚人や朝鮮人も働かされていた」と語る。「トロッコを押していたのが韓国人で、日本人は二人で一台のトロッコを押すが、韓国人は一人一台を押していた。彼らの給料は日本人の二倍だったよ(笑)」
 地元でずっと生活を続けている老人が多いことに驚く。しかも記憶が鮮明である。中にはしゃべりながら感極まって泣き始める人もいて、わたしももらい泣きしそうになった。

 1943年から1年以上かけてようやく44年8月に完成した前橋飛行場は特攻隊の訓練場としても使用された。ここから飛び立った若者のほとんどが帰ってこなかった。出撃の日の朝を思い出して証言する女性の言葉は涙なしには聞けない。

  強制徴用、学徒動員、敗色濃厚となる日々を日記は淡々とつづる。ついに前橋市内が業火に焼かれた空襲の日がやってくる。その記録写真はアメリ国立公文書館(NARA=National Archives and Records Administration 国立公文書記録管理局)に保存されていた。ここで元総理大臣福田康夫が登場する。彼は2009年に成立した公文書管理法の立案に尽力した人物だ。そもそもは、アメリカで前橋空襲の記録写真を見たことが公文書管理に興味を持ったきっかけだという。「ほとんど面倒な手続きもなく空襲の写真を閲覧することができた。外国のことなのに、アメリカではこんなにきちんと保存しているなんて。こういうことが日本でもできたらいいなぁと思うようになった」
 これに関連して、上映後の解説トークでは天理大学の古賀崇氏(公文書管理、アーカイブズ研究が専門)が次のように語った。
アメリ国立公文書館にあった写真などは、アメリカの戦果としての記録である。そこは気を付けておかねばならない。文書を残すのはアメリカにとって過去の戦争を正当化するための意味もあることは否定できない」
 つまり、公文書を残すのは、政府が自らの行為を正当化するため、という目的があることにも留意せねばならない、という指摘だった。 
 映画の最後に再び「村日記」と住谷佳禹さんの姿が映し出される。彼も既に八十歳近い今、この「村日記」はどうなるのだろう? このままずっと住谷家の家宝として保存されていくのだろうか。それとも、県公文書館や歴史館のような公的な機関に寄贈されるべきなのか? 父の住谷修は「村日記」の最後にあることを記している。その文言はある意味衝撃的だ。その気持ちを遺族が受け継ぐとしたら、この資料はどこに保存されるのが最適なのだろうか。そんなことを深く考え込んだラストだった。


※古賀崇氏の解説トークの記録(文責:谷合佳代子)
アメリ国立公文書館徹底ガイド』を紹介。監督もこれを手掛かりにしたか。
中島飛行場とかを撮影した地図が映画に出ていた。前橋の空襲の記録がアメリ国立公文書館にあってすぐに写真が出てきた。それを福田康夫が見たのが公文書管理法案を作るきっかけになった。というのは事実その通り。アメリカは戦果として記録していた。アメリカにとっての記録である。
NARAから歩いてすぐのところにスミソニアン歴史博物館がある。アメリカにとっての戦争の意味を端的に示す展示がある。「price of freedom」と表現されている。ベトナム戦争湾岸戦争の展示もある。
NARAの近くにさらに「ニュージアム」という民間の博物館がある。民間のジャーナリストの立場からの博物館。国とは一線を画す。言論・報道の自由つまり政府を批判する自由。そのためにこういう活動を行なってきたということが展示されている。
 文書を残すのはアメリカにとって過去の戦争を正当化するための意味もあることは否定できない。

 ※この解説のもととなった文章は下記で読めます。

天理大学総合教育研究センター『CRADLE』7号(2015年5月)所収の「ワシントンDCという街について:「文化資源」の側面を中心に」

http://www.tenri-u.ac.jp/cle/dv457k0000000e12-att/cradle_07.pdf

日本、2018、69分
製作・監督:飯塚俊男

レッド・スパロー

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 これは4月の初めに見たので、詳細はほとんど忘れてしまったのだが、実はとても面白かったのだ。

 東西冷戦が終わったはずの米露のスパイ合戦がリアルに見られる興味深い映画。原作者が元CIA工作員だからかだろう、細部がリアルで迫力がある。主人公はジェニファー・ローレンス演じるバレエダンサーのドミニカ。彼女は将来を嘱望されていたが本番中のケガによってその夢を絶たれる。病気の母親の治療費が必要な彼女に手を差し伸べてくれたのは母の弟である叔父。叔父はロシア政府機関の人間であり、ドミニカの頭の良さと美貌に目を付け、ハニートラップ専門のスパイを要請する学校へ彼女を送り込む。厳しい訓練の後にスパイとなったドミニカは、ロシア内の二重スパイをあぶりだすためにCIA工作員に近づくという任務を帯びてブダペストに派遣される。
 というお話で、とにかくジェニファー・ローレンスのサービス精神があふれるばかりに発露された、肌の露出度の高いエロティック・サスペンス。とはいえ、見所はそこよりも、個人の感情や生活をすべて犠牲にする国家の恐怖が冷戦が終わっても続いているロシアという国の特異さが際立つ点だろう。また、サスペンスとしても緊張感あふれる演出が優れていて、最後まで手に汗を握る。
 ジェニファー・ローレンスは幼さの残る顔をしているのだが、妖艶な化粧を施し、美しく装ったときの大人っぽさがまたなんともいえないアンバランスな危うい魅力を放っている。とても達者な女優に成長していることが見て取れる。アクションシーンもちゃんと演技していて、これは「アトミックブロンド」のシャーリーズ・セロンの向こうを張る熱演。アクションの切れ味は「アトミックブロンド」に凱歌が挙がるが、サスペンスとしては「レッド・スパロー」のほうが面白い。

 いずれにしても女スパイの話は男に復讐するという基本路線がきちんと踏まえられているので、非常に気持ちがよい。いっぽう、男性観客は居心地が悪いのではなかろうか。いや、ジェニファーの全裸が拝めるのだからそうでもないか。ここで忘れてならないのはシャーロット・ランプリング演じるスパイ学校の鬼教官。冷酷な彼女にも一目置かれるほどの根性を身に着けたドミニカが教官と対峙するシーンが見どころの一つだ。 
 ストーリーは二転三転し、禁断の恋の物語も切なく、最後まで大変面白く見ることができる。多少つじつまの合わないところに目をつぶれば、十分楽しめる。残虐な拷問シーンもあり、当然のようにR15+です。

RED SPARROW
140分、アメリカ、2018
監督:フランシス・ローレンス、原作:ジェイソン・マシューズ、脚本:ジャスティン・ヘイス、撮影:ジョー・ウィレムズ、音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:ジェニファー・ローレンスジョエル・エドガートンマティアス・スーナールツシャーロット・ランプリングジェレミー・アイアンズ

ロスト・バケーション

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 よい子は一人で海へ遊びに行ってはいけません、という教訓話
 鮫ですよ、鮫。食われます、はい、約3名。誰が食べられちゃうのか、よーく画面を見ていましょうね。基本的に男はすぐ食べられて、女はなかなか食べられません。ごちそうは最後にゆっくり食べようってのかね、鮫くん。
 舞台はメキシコのとある絶景海岸。本当に美しい砂浜なので、死ぬまでに一度は行ってみたいと思わせるようなところ。誰もこない穴場波乗りスポット。ヒロインは一緒に来るはずだった女友達が二日酔いでホテルでダウンしている間に一人だけ浜へ出て、サーフィンを楽しむ。ブレイク・ライヴリー、そのスタイルの良さを強調してウェットスーツを着用する場面からきっちり映し出してくれる。
 波乗りを楽しんだヒロインだったけれど、一人海に残されてちょっと不安になってきたわ…。出た出た出た! 巨大鮫、原題は「浅瀬」。そう、ここは浅瀬で、干潮になると岩礁が現れるというのがネタの仕込みで、あとはクラゲとか痛いサンゴとか、装置は万全。映画の巻頭で鮫に襲われる人間の映像が提示されるから、その場面がいつ登場するのかと観客はハラハラしながら待つ。
 ヒロインが医学生というのもサバイバル能力の高さを保証する設定で、どうやって彼女は自分の身を守り、けがを手当てするのか? いろいろと見どころがあってなかなかよかった。

 ストーリーにはさしたるひねりもなく、ただシチュエーションの面白さでハラハラさせてみました、というお話だが、夏の暑い午後に見ると目が覚めてよろしい。86分という短さもよいね。
 ところで、実はわたしは怖がりなので、大ヒット作の「ジョーズ」を未見なのであった。この映画で免疫付けて次はいよいよ「ジョーズ」に挑戦しようかな…。(U-NEXT)

THE SHALLOWS
86分、アメリカ、2016
監督:ジャウマ・コレット=セラ、脚本:アンソニー・ジャスウィンスキー、音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ブレイク・ライヴリー、オスカー・ジャネーダ、ブレット・カレン、セドナ・レッグ