吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

金子文子と朴烈(パクヨル)

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  原題の「朴烈」を邦題では「金子文子と…」としたことが大正解だ。この映画は朴烈の生涯を語るものではなく、金子文子の鮮烈な生き様を描いているからだ。朴烈の72年の生涯のうち、映画はわずか数年しか描いていない。だが、彼が金子文子と暮らし、関東大震災のどさくさに逮捕されて結局は大逆事件で死刑を言い渡されるその数年間が、彼にとって最も輝いていた時代なのかもしれない。
 物語は1923年、東京有楽町の小さなおでん屋から始まる。「社会主義おでん」という品書きのあるその店で働く二十歳の金子文子は、「犬ころ」という詩に強く惹かれていた。その作者朴烈は植民地朝鮮から東京にやってきた若きアナキストである。店で朴烈と出会った文子は、いきなり「同居しよう」と持ち掛ける。
 このように、文子は破天荒で明るく、無邪気でお転婆な娘であった。演じたチェ・ヒソは浅野温子にそっくりな韓国人。大胆不敵な不逞の日本人・金子文子を魅力たっぷりに演じた。チェ・ヒソは小学生のころ日本で過ごしていたこともあって、たいそう日本語がうまいし、下手な朝鮮語も雰囲気に違和感がない。女優根性を見せた努力の結晶のような演技だ。
 さて、二人が出会って同棲するようになって間もなく、関東大震災が起きる。朝鮮人虐殺が6000
人に上るという数字が閣僚たちに知らされると、その事実を隠蔽するために、社会主義者無政府主義者たちが検束・逮捕されていく。朴烈と金子文子も逮捕され、やがてフレームアップされた皇太子爆殺未遂の「大逆事件」として死刑を宣告されることになる。
 しかしこの取り調べの過程で不思議なことに若き判事は文子と烈に惹かれたのか何か下心があったのか、妙に手ぬるい待遇を施す。これが後に一大スキャンダルを巻き起こす「朴烈怪写真事件」へと結びつく。
 この辺りは実際にはかなりシリアスな展開のはずなのだが、演出はあくまでもユーモラスであり、自ら大逆事件を捏造したかに見えるような朴烈の大言壮語や文子の過激な発言が熱を帯びていく。
 その明るい笑顔で見る者を魅了する文子だが、実際には彼女の境遇は悲惨なものであった。獄中で自伝「何が私をかうさせたか」を書きあげた文子は、法廷でも堂々と自説を述べ、公判はほとんど彼女と烈のアジテーションの場と化していく。裁判所側は二人に演説の機会を与えてしまうことを避けるために、とうとう裁判を非公開としてしまった。そしてついに死刑判決が下ることになる。
 この映画の最大の魅力は、何といっても金子文子のしたたかで力強い抵抗精神の発露である。その不屈の魂は朴烈のそれをも上回る。映画ではその後の朴烈については描かれていないが、彼は何度も転向を繰り返すこととなる人物なのである。
 この映画に登場する日本人については何人も韓国人が演じているが、その日本語のうまさに驚く。在日韓国人が演じた場合はもちろんであるが、ネイティブ韓国人でも相当に日本語が上手なのでほぼ違和感がない。
 また、日本人官僚の中で悪役を一手に引き受けている水野錬太郎内務大臣役のキム・インウの悪魔的演技が見ものである。それはやや過剰とも見えるが、演出が全般にわかりやすさを追求するものなので、これもさほど違和感がない。
 あとは、彼らを取り調べた予審判事の心理的葛藤が不明なので、ここを描けていれば深みが出たのではなかろうか。
 しかしこういった小さな瑕疵を差し引いても、本作は金子文子と朴烈の生きざまが熱く胸に響く、痛快な作品である。
 なお、映画では史実を多少変えてあり、時間軸にも変更が加えられているため、もっと深く知りたい人のためには、金子文子『何が私をかうさせたか』(国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。当エル・ライブラリーでも戦後の再刊書を所蔵
)や、金一勉『朴烈』、『金子文子 朴烈裁判記録』黒色戦線社などをご覧いただきたい。いずれもエル・ライブラリーで所蔵している。
 また、この映画の公開を記念して、当館ではミニ展示を開催中。詳しくはこちら。
(本稿は機関紙編集者クラブ「編集サービス」に掲載した記事に加筆したものです。同誌に掲載した時点ではチェ・ヒソさんを在日韓国人だと思い込んでいたので、そのように誤記してしまいました。お詫びして本文にて訂正します)
 金子文子と朴烈(パクヨル)
129分、韓国、2017
監督: イ・ジュンイク
脚本: ファン・ソング 
撮影: パク・ソンジュ 
音楽: パン・ジュンソク 
出演: イ・ジェフン、チェ・ヒソ、キム・インウ、山野内扶、キム・ジュンハン、金守珍
 

寝ても覚めても

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 雷に打たれたように恋に落ちる瞬間を奇跡のようにとらえた写真がもしあったとしたら、それがこの映画だ。
 長い長い夢から覚める瞬間に、後ろを振り返ることもなく駆けだしてそのまま地球を半周するような非現実的な物語、それがこの映画だ。

 わが息子Y太郎(27歳)がぜひとも見るようにとしつこく勧めてきたので、それならまあと思って見てみたら。これは本当に拾い物のような映画だった。原作が素晴らしいのだろう、その力も大きいと思うのだが、それ以上に映画的には原作でぼかされていた部分を見せてしまうから、インパクトが大きい。瓜二つの男を愛して二人の間で揺れる女、という設定が、原作小説では瓜二つかどうかが判然としないことになっている(らしい)のだが、映画では東出昌大が二役で演じているからまったく同じ顔である。同じ外見の別人に女は二度恋する。果たして彼女が愛しているのはどちらの「彼」なのか?

 バク(麦)という名前の、とらえどころのない不思議な男が突然失踪して2年が過ぎた。恋人だった朝子は今は大阪から東京に引っ越してきて喫茶店で働いている。そんな朝子がある日出会ったサラリーマンは大阪弁をしゃべる亮平。バクとあまりにもそっくりなその姿に打たれた朝子は「バク…?」と口走る。亮平もまた一目会った日から朝子に何かを感じたらしく、二人は徐々に距離を縮めていく。

 ここまでの設定がまず普通はありえない作り話だと観客は感じる。ところが、このあまりにも不自然で非現実的な設定をかくもリアリティに溢れた作品に仕上げたのが濱口竜介監督である。朝子の正面からのバストカットが多用され、観客は朝子の衝撃も朝子の戸惑いも朝子の決意もストレートに受け止めることになる。そして、セリフの間合いや発声、会話の重ね方、感情の爆発、すべてが素晴らしいタイミングで畳みかけるように演出されていく。

 この物語は朝子とバクの出会いから10年近い時を描く。その間、朝子は成長したのかどうか。2010年発表の原作には当然登場しない東日本大震災がこの映画では大きな位置を占める。ある日突然人がいなくなる。ある日突然家が流される。ある日突然すべての生活が一変する。昨日までの生活が明日も続く保証はどこにもないということを知らしめる突然の災厄は、たとえ被災者でなくても人生観を変えられてしまうような大きな衝撃であり、重りである。この災害を東京で経験した朝子は、ここで人生が変わる。

 そしてもう一度大きな転機が訪れる。亮平との穏やかな生活が続いていくかに思われたある日、バクが現れたのだ。

 という先の見えない展開にどんどんつかまれていく。「寝ても覚めても」っていうのは何の含意なのかほのめかしなのかと勘繰りながら見ていて、しかも重要なモチーフに双子の写真展が挿入されていたりと、いろいろな場面に思わせぶりが仕込んであるため、画面から目が離せない。朝子の大人しそうな顔と雰囲気からはとても考えられないようことが次々と起きて、ますます観客は振り回される。

 東出昌大がずいぶんうまくなっていて、いい役者に成長しているのが嬉しい。唐田えりかの素人くさい演技がこの映画の場合は奏功していて、内面がうかがい知れないミステリアスな雰囲気を見せてくれている。

 震災も病気も事故も、いつどこで誰の身に起きるかわからない。それでも人生は続いていく。地獄で笑いながら、天国で泣きながら、人は生きていく。この人たちの人生にはこれからどんな地獄が待っているのか、それとも地獄すら昇華して愛は続いていくのか。切なさと諦観とに彩られたラストシーンに呆然としつつ幸福感満ちて劇場を後にできる映画、それがこの作品。

ファースト・マン

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  宇宙飛行士の姿と「ファーストマン」という言葉を見た瞬間に「人類初の月面着陸、アームストロング船長だ!」とわかるぐらい、我々世代にとって彼は超有名人だ。それは1969年7月20日のことである。日本では午前2時頃の出来事であり、当時11歳のわたしは真夜中にもかかわらず興奮して中継を見ていた。「こちらヒューストン」という同時通訳者の言葉が今でも耳に残っている。
 それから50年近くが経って、ようやく彼の伝記映画が生まれた。かくも長き時間にわたって映画が作られなかった要因は、一つに本人があまりに寡黙で伝記本そのものの出版がなされなかったこと。もう一つは月面着陸映画には莫大な費用がかかることが考えられる。
 かくしてこのテーマには「ラ・ラ・ランド」などの大ヒットで飛ぶ鳥を落とす勢いの若きデイミアン・チャゼル監督が挑戦したのである。
 高速回転するコクピットに観客を放り込み、荒涼たる月面に降り立たせるため、チャゼル監督はこの作品をIMAX用に65ミリカメラで撮った。ドラマの部分ではフィルムで撮影したかのような優しい風合いの色使いを見せ、縦横に撮影方法を変えて二時間半を飽きさせない。
 しかし、飽きさせないからといって疲れさせないわけではない。ドキュメンタリータッチで描かれたアームストロングの私生活や訓練風景では画面が揺れすぎて目がついけいけなくなる。そして、過酷な訓練場面ではこちらまで猛烈な宇宙酔いに合いそうなほどに画面に入れ込んでしまう。冒頭からして、テストパイロットだったアームストロングの緊張がじかに伝わるような爆音と振動が響き、いきなり緊張の中へと鷲掴みにされるのだ。
 アームストロングは幼い娘を病気で亡くした。彼は涙を人には見せず、悲しみを言葉にすることもなく一人で抱えていく。極端に無口な男は、常に冷静沈着。宇宙飛行士になってヒューストンに引っ越した彼は新しい家族も増えて毎日が充実しているように見える。宇宙飛行士たちはみな近所に住んで家族ぐるみでつきあい、仲がいい。しかし相変わらずアームストロングは無口だ。
 この映画はアメリカ映画らしいジョークもしゃれたセリフもほとんど登場しない。脚本家泣かせの主人公なのだ。
 そんな抑制の効いた男をライアン・ゴズリングは好演している。実物よりも男前のゴズリングが、仲間の死を乗り越えて前人未到の世界に挑戦するアームストロングの内面をほとんど変化しない表情で表現する。かなり高度なテクニックが必要な演技であり、チャゼルはアップを多用してぐいぐいと迫ってくる。
 ところで、なぜ何人も犠牲を出して多大な税金を使ってまで米ソは宇宙開発競争に血眼になったのだろう。東西冷戦時代は、今では考えられないほどに互いへの不信感で満たされていたのだ。世界中が興奮してテレビ中継を眺めた偉業といえども、それは世界中を幸せにしたわけではないだろう。この当時、宇宙飛行士は全員白人男性だった。アメリカ社会はベトナム反戦運動に揺れていた。月面着陸という熱狂は、政府に批判的な人々の目をそらす役目も果たしていたのではないかと勘繰りたくなる。
 この映画はアームストロング船長の個性そのままに、この熱狂を英雄個人とその家族との愛に満ちた静かな対峙として描いた。見終わって、心地よい疲れに満たされていることに気づくだろう。そして、この映画が決して月面着陸を英雄譚としてのみ描いたわけではないことにも思い至る。観客によって受け止め方がさまざまに異なる、そんな変化球をチャゼル監督は投げてきた。ここはぜひともIMAXでその球を全身没入して受け止めてほしい。(機関紙編集者クラブ「編集サービス」に掲載した記事に加筆)

ファースト・マン(2018)
FIRST MAN
アメリ
監督:デイミアン・チャゼル
原作:ジェイムズ・R・ハンセン
脚本:ジョシュ・シンガー
出演:ライアン・ゴズリング
ジェイソン・クラーク
クレア・フォイ
カイル・チャンドラー
コリー・ストール
キアラン・ハインズ
クリストファー・アボット
パトリック・フュジット
ルーカス・ハース

2018年の映画

 2018年は年末に共同通信社のネットニュースで当エル・ライブラリーを取り上げてもらったおかげで、寄付が増えて大変助かった。ただただ感謝あるのみ。これからも働く人々の記録を未来に伝えるという使命を全うしていきたい。

this.kiji.is


 さて、2018年の映画。ようやく、これはと思う作品の感想文を書き終わったので、恒例のマイベストを選出したい。数えてみたら、映画館で84作、DVDなどで123作を見た。結構見たんだなぁと驚いた。これは、寸暇を惜しんで電車の中でも映画を見続けた成果である。

 その中から印象に残った作品を選んでみる。作品に点数をつけたり順位をつけるのはよろしくないと思っているので、心に残る作品を挙げてみる。気に入った作品を挙げてみたら50本ぐらいあったので、苦労して削って15作に絞った結果は以下の通り。個々の作品の感想を読んでくださる方は記事を検索してさがしてください。

◆大好きな映画はこの2作。繰り返し見たいと思う面白さと映画的幸福感がある。
ボヘミアン・ラプソディ
君の名前で僕を呼んで

◆映画の熱量に圧倒されるのは、
菊とギロチン
・ニッポン国VS泉南石綿

快哉を叫びたいのは、
バトル・オブ・ザ・セクシーズ
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書

・ドリーム

◆こんなコメディ、ありか!と笑えるのは
スターリンの葬送狂騒曲
・いつだってやめられる 三部作
カメラを止めるな!

◆一味違う作品は、
ザ・スクエア 思いやりの聖域
・聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア
運命は踊る
万引き家族

◆感涙にむせぶのは
・家へ帰ろう

英国総督 最後の家

  マウントバッテン卿の名前だけは聞いたことがあるが、最後のインド総督だったとは知らなかった。しかもロマノフ王朝の親戚でかつヴィクトリア女王の孫だったのか。しかし画面に登場した瞬間からダウントンアビーの伯爵にしか見えないところがつらい。グランサム伯爵、じゃなくてマウントバッテン卿の妻については「このおばさん、どこかで見覚えがあるなぁ」とずーっと気になっていたのだが、途中でふと「スカリー捜査官じゃないの?!」と気づいてからは、彼女がスカリーかどうかが気になって気になって落ち着いて鑑賞できない(苦笑)。で、やっぱりジリアン・アンダーソンでした。あんなに老けちゃうのか。


 それはともかく、インド最後の総督となったマウントバッテン卿が、インドの独立とその後の分裂に苦悩する姿を描いた力作。妻から愛称「ディッキー」と呼ばれるマウントバッテン卿はたいそう好人物であり、妻エドウィナも「リベラルを通り越して左翼だ」と夫から言われるほどのリベラル派として描かれている。夫婦は時に政治的意見を異にしつつ対立しつつも力を合わせてインド独立のために力を尽くす。これは史実と違うようでもあり、実際には妻エドウィナはネルーと不倫していたとか夫のディッキーにも愛人がいたとかいろいろ言われているようだ。だが、この映画では夫妻は助け合ってインドの民のために尽くしている。
 インドがどのように分断独立したかを描く本作では、その苦悩の象徴を一組の恋人たちが背負うことで悲恋を浮きたたせている。マウントバッテン卿の使用人であるヒンドゥー教徒の青年とムスリムの若き美女との恋は互いの宗教の壁に阻まれて、成就できない。彼らの愛情の行方が観客の心を揺さぶる。
 総督たるマウントバッテン卿はインド各地で起きる終わりなき暴動に心を痛める。そして、周囲のイギリス人為政者たちに「分断独立しかない」と説得され、インド人ムスリムムハンマド・アリー・ジンナー(のち、独立パキスタン初代総督)にもパキスタンとしての領土分割を強要される。さんざん悩み苦しむマウントバッテン卿が知らないことが一つあった。実は今では首相の地位を退いたチャーチルが首相時代にインド分割の青写真を作っていたのだ。その秘密文書をつきつけられてマウントバッテン卿は怒り心頭に達する。
 この映画で描かれていることがどこまで史実に忠実なのかはよくわからない。そして、主人公がマウントバッテン卿夫妻であることに、「支配する側の苦悩」が表出しているところが中途半端かもしれない。たとえば、ガンディーですら脇役でしかない本作では、彼が暗殺される場面も出てこない。そして結局のところ、インド人どうしの虐殺の悲劇を生んだのは宗教対立が原因なのか、それを利用してインドを300年支配したイギリスのせいなのか、混沌の中で答えは見えず、マウントバッテン卿はイギリス本国にも裏切られた正義の人として描かれている。彼の苦悩は決して偽物ではなかったと思うのだが、大きな歴史の流れの中では一個人の思いなど吹き飛んでしまう。その痛みが伝わってきた。
 映画の最後に本作の監督がこの時代を生き抜いた女性の孫であることを知らされた瞬間に、わたしは涙した。

VICEROY'S HOUSE
106分、イギリス、2017
監督:グリンダ・チャーダ、製作:ディーパック・ナヤールほか、原作:ラリー・コリンズドミニク・ラピエール、ナレンドラ・シン・サリラ、脚本:ポール・マエダ・バージェス、グリンダ・チャーダ、モイラ・バフィーニ、音楽:A・R・ラフマーン
出演:ヒュー・ボネヴィル、ジリアン・アンダーソン、マニーシュ・ダヤール、フーマ・クレシー、マイケル・ガンボン、タンヴィール・ガーニ、オム・プリ、ニーラジ・カビ、サイモン・キャロウ、デヴィッド・ヘイマン、リリー・トラヴァーズ

 

人生はシネマティック

 映画製作のバックヤードものは映画人が大好きなジャンル。そして映画ファンも。当然、わたしも。しかもこの映画は戦時中のイギリスを舞台に、軍部の圧力のもとに製作された戦意発揚映画の裏話で主人公が女性脚本家とくれば、それだけで見たくなる作品だ。


 戦争中は女性が社会進出する時代だった。それはイギリスでも日本でも同じこと。戦争プロパガンダ映画である「ダンケルク」の脚本に抜擢されたのは、広告コピーが映画製作者の目に留まった素人女性カトリンだった。女性ならではの視点で脚本を書いてほしいとの依頼に、薄給のカトリンは大喜びする。仕事のために夫とはしばらく別居することになるが、とにかく初めての体験で右も左もわからない彼女がこの仕事を通して成長する、胸のすくような物語だ。
 とはいえ、そんなに簡単に成長させてもらえない要因、無理難題、空襲、といった明日をもしれない状況が次々に押し寄せる。カトリンを困惑させるベテラン俳優を演じたビル・ナイが美味しいところを独占したような映画だ。彼の傲岸ぶりが光っている。嫌みで意地悪でわがままなセリフを嬉々として口にするビル・ナイ、最高です。この映画は実に脚本が素晴らしい。
 劇中劇の「ダンケルク」はもちろんあの大撤退作戦を描くわけで、そのロケ風景もアッと驚く美術ネタばらしがあって本当に興味が尽きない。1940年当時参戦していなかったアメリカをなんとかイギリス側に向けたいという思惑もあって、アメリカ人を役者に抜擢したのはいいけれど、これがとんでもない大根役者。
 カトリンはせっかく書いた脚本を次々と変更させられるという羽目に陥るが、決してあきらめず頑張りとおす。そんな彼女を励ますのは、カトリンの才能を見抜いた情報省映画局の特別顧問トム・バックリーである。このトムが丸メガネをかけてあまり冴えていないのだが、実は超イケメン俳優のサム・フランクリンが演じていたということを後で知った。人妻であるカトリンにトムが惹かれているのはあまりにも明らかなので、観客としてはこの二人の恋がどうなるのかと冷や冷やしながら見守ることとなる。
 二人が隣同士の机に向かって徹夜し、それぞれタイプライターの打刻音を響かせる場面がわたしは大好きだ。必死で一つの仕事をやり遂げる同志として二人の気持ちが近づいていく。タイプライターに打ち込む姿がこれほど誇らしげで力強くそしてロマンティックな映画は初めて見た。
 しゃれたセリフの連発で映画ファンの心をつかむ見事なコメディ。だが、人生はほんとうにシネマティックで、それこそこの映画のセリフどおり、映画の中では無意味な場面はひとつもなくすべてが作為されていることがわかる衝撃のシーンを迎える。 
 人生はシネマだ。シネマが人生だ。わたしの人生の次の脚本は誰が書く? もちろん、わたし自身。(レンタルDVD)

THEIR FINEST
117分、イギリス、2016
監督:ロネ・シェルフィグ、原作:リサ・エヴァンス、脚本:ギャビー・チャッペ、音楽:レイチェル・ポートマン
出演:ジェマ・アータートン、サム・クラフリン、ビル・ナイ、ジャック・ヒューストン、ヘレン・マックロリージェレミー・アイアンズ

ブレス しあわせの呼吸

 人工呼吸器をつけたまま25年以上存命した男とその妻の献身を描く実話。これが実話というのがやはり感動の原点で、しかも本作のプロデューサーの両親の物語だというから驚きである。

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 1958年、イギリス上流階級の青年が社交界の花と結婚し、新妻が懐妊して喜んでいたのもつかの間、青年ロビンはポリオに感染して首から下が動かせない、自分では呼吸もできない重篤に陥る。医者からは余命数ヶ月と言われたにもかかわらず、妻のダイアナは決して諦めず、ロビンを家に連れて帰ることを決意する。そこからは二人の壮絶な、しかしユーモアと明るさの絶えない介護生活が始まる。その長年にわたる呼吸器との付き合いを可能にしたのが、ロビンの友人である技術者テディ(ヒュー・ボネヴィル、やっとグランサム伯爵に見えない役をもらえてよかった)の工夫と発明だった。
 どんな状況に陥っても決してダイアナは諦めないし、深い愛情を夫にそそぐ。その介護生活がどれほど大変であったかと想像できるが、映画では他人に見せたくない部分は一切描かれていないため、「きれいごと」に見えてしまう部分があるのは残念だ。
 しかし、本作のプロデューサーでロビン夫婦の息子であるジョナサンは、記憶の中の両親がいつも明るく前向きだったと語っている。だから映画も「ほんまかいな」と思えるような楽しいエピソードに満ちている。ほぼ全身が動かせない人があちこち外国旅行にいけるなんて、なんという幸せな身分だろう。金持ちだったから可能になった生活であろうが、ロビンを生かすために開発された技術は彼一人のものではなく、その後多くの重度障害者を助けたという。
 印象に残る場面をいくつか。ドイツの先端医療を見学に行ったダイアナが目にする、人工呼吸器に縛り付けられている患者が頭だけ並んでいる異様な光景はSF映画のようで本当に怖かった。一方で、スペインの山道で車が立ち往生する場面の楽しいこと!
 映画の後半も過ぎたころから、徐々にロビンの身体が弱り始める。友人を大勢招いて開いた「お別れパーティ」の賑やかで楽しい場面から後はもう涙、涙、涙。

 どんなことも前向きにとらえ、不幸を不幸と思わない不屈の精神と愛情が彼らを生かした。最期すらも自らの意志を貫いたロビンの生きざまは羨ましいとさえ思える。

BREATHE
118分、イギリス、2017
監督:アンディ・サーキス
製作:ジョナサン・カヴェンディッシュ、脚本:ウィリアム・ニコルソン、音楽:ニティン・ソーニー
出演:アンドリュー・ガーフィールドクレア・フォイトム・ホランダー、ヒュー・ボネヴィル、ディーン=チャールズ・チャップマン、ベン・ロイド=ヒューズ