吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

トランボ  ハリウッドに最も嫌われた男

 これは出色の出来。よくできたドキュメンタリーとも言える、面白く可笑しく実話を描いたドラマだ。

 ポスター画像
 本作はダルトン・トランボという一人の天才脚本家の半生記である。その破天荒ぶりが半端ないので、見ていて痛快愉快この上ない。天才とはこういう人物のことを言うのだ。今では知られていることだが、アカデミー賞脚本賞を受賞した「ローマの休日」も「黒い牝牛」も実はトランボが覆面作者だったのだ。
 ハリウッドに赤狩り旋風が吹き荒れたとき、「ハリウッド10」の一人として投獄されたのが天才脚本家のダルトン・トランボ。彼は社会主義者であり、ソ連を支持していた。マッカーシーの審問を受けても決して仲間の名前を売らなかった一人なのだが、その不屈の信念には敬意を表するとしても、ソ連の評価をとりあえずは棚上げしないと、この映画については語れない。
 売れっ子脚本家のトランボはその思想信条ゆえにハリウッドを追放され、投獄されるわけだが、彼の才能を買うプロデューサーは、「筆名で書け」と命じる。この、「思想なんてどうでもいい、売れればいいんだ」という、究極の資本主義者であるフランク・キング(ジョン・グッドマン)のキャラクターが抜群に楽しい。こういう人こそが偏見のない自由人なんだろう。フランク・キングに命じられて次から次へとB級作品を書きまくるトランボの風呂場の執筆姿は爆笑もの。こういう感じ、すごくよくわかる。キングは、金に困ったトランボを救った英雄なのか、それとも天才の窮状に乗じて脚本を買い叩いた悪者なのか。どちらともとれるユーモラスな演出も心地よい。

 カーク・ダグラスがあんなに良い人物だったとは! 感動ものである。ほんまかな、という気がしないでもないが、たぶん事実なのだろう。それにひきかえ著名なスターたちの何も考えていないぶりが際立って腹が立つ。正義漢面(づら)しているジョン・ウェインの鬱陶しいこと!

 ほかには、印象的過ぎて忘れられないのがヘレン・ミレンが演じたホッパー記者。大ベテランの彼女が権威を笠に着てトランボを非難するさまが憎々しい。背筋がぞくぞくするほどこういう演技がうまいね、ヘレン・ミレン御大。
 あえて文句を言わせてもらえば、この映画は結局のところ「男の物語」であり、妻は夫を支える人でしかない。そこがとても残念。あとは、裏切り者として有名なエリア・カザンがなぜ出てこないのかが不思議だった。とはいえ、本作はユーモアも優れた、今年のマイベストに入る作品だ。
 さて、ソ連が理想の社会主義国ではなかったことも、労働者の祖国でもなかったことも、今では誰もが知っている。では、そのソ連を支持したトランボは悪の枢軸の一人なのか? 社会主義者だったトランボから仕事を取り上げたことは「正義」だったのか? 彼がスターリニストであろうとアメリカファースト主義者であろうと、その思想を理由に仕事を取り上げることは正義ではないはず。「思想の自由」とはなんなのだろうと考え込み、そして、トランボが後年ソ連をどのように評価したのか、とても気になる一作であった。(レンタルDVD)

TRUMBO
124分、アメリカ、2015
監督:ジェイ・ローチ
製作:マイケル・ロンドンほか
脚本:ジョン・マクナマラ
音楽:セオドア・シャピロ
出演:ブライアン・クランストン、アドウェール・アキノエ=アグバエ、ルイス・C・K、デヴィッド・ジェームズ・エリオット、エル・ファニングジョン・グッドマンダイアン・レインヘレン・ミレン

はじまりの街

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 DV夫から逃れて新生活を始めた中年女性とその13歳の息子が、周囲の人々に支えられて確かな一歩を踏み出すまでの物語。
 ローマから北イタリアのトリノへと、学生時代からの友人をたよってやってきたのはアンナとその一人息子のヴァレリオ。独身で気ままに暮らすカルラのアパートの一部屋を間借りする形で住み込み始めたアンナは、清掃の仕事を見つけてやっと落ち着いてきたとホッとする。しかし、ヴァレリオは父と離れ、友達もいない見知らぬ土地で孤独を募らせ、自転車で街中を走り回るだけの毎日を過ごしていた。
 映画は巻頭でアンナの家庭が崩壊するさまをほんの数カットで描く。DVといっても、その過酷さはほとんど描かれない。ちょっと殴られただけなら家に帰ればいいのに、と観客は考えてしまうかもしれない。そのように感じるからこそ、ヴァレリオが「家に帰りたい。パパと仲直りはしないの?」と泣訴する様にも同情してしまう。しかし、マリアは夫に新しい住所を知らせていないぐらい、夫の暴力におびえているのだ。ここを理解できるかどうかが、状況の深刻さが観客に伝わるかどうかの分かれ目。
 美しいマリアには言い寄る男も現れるが、その強引な口説きがまたマリアを戸惑わせる。もう暴力はこりごりなのに! マリアは簡単に男に頼らない。お金も仕事もないけれど、なんとか自立して生活していこうと懸命に努力する。夜遅くまで仕事のある清掃員になったマリアは、トリノ大学の広いホールの床を磨き、コンピュータールームを清掃する。その懸命に働く姿は尊い。ロケ地にここを選んだのは正解で、大学ホールの巨大な絵が印象に残る。
 一方、ヴァレリオは外国人街娼に淡い恋心を抱き、彼女との「デート」にウキウキするが、それは所詮は叶わぬ恋。傷つき荒れるヴァレリオを演じた子役がとても魅力的で、大きな瞳に吸い寄せられる。ヴァレリオとマリアをさりげなく支えてくれる食堂のマスターがまた渋くて魅力的で、これまた過去に傷を負った男、という設定。いろいろとありがちなストーリー展開だが、数ある人情話のなかでも、女性が自立にむけて女同士の助け合いで奮闘する清々しさがこの映画の魅力だ。トリノの街の紅葉も美しく、国立映画博物館が登場する点も興味深く、行ってみたいと思わせる。気のいい友人カルラを演じたバレリア・ゴリノはこの作品の演技でイタリア・アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたという。
 女性賛歌の物語はシャーリー・バッシーの堂々たる絶唱”This is my life”で幕を閉じる。この懐メロも大仰な歌曲だが、この映画のラストに相応しい。彼女たちの人生はまだまだこれからだ。物語は始まったばかり。 

LA VITA POSSIBILE
107分、イタリア/フランス、2016
監督:イヴァーノ・デ・マッテオ
脚本:ヴァレンティナ・フェルランイヴァーノ・デ・マッテオ
撮影:ドゥッチョ・チマッティ
音楽:フランチェスコ・チェラージ
出演:マルゲリータ・ブイ、ヴァレリア・ゴリノアンドレア・ピットリーノ、
カテリーナ・シュルハ、ブリュノ・トデスキーニ

 

海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~

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 イタリア最南端の小さな島、ランペドゥーサ島は人口5500。その島にアフリカからの難民がその10倍押し寄せる。このドキュメンタリーは、島の人々の生活と決して交わることのない難民の悲惨な境遇を静かに描き出す。

 巻頭、中学生ぐらいの少年が一人で木登りや手製のおもちゃで遊んでいる様子が映し出される。セリフもほとんどなく、いったい何を狙っているのかわからない撮影だ。とはいえ、ここが海に囲まれた小さな島で、のどかな田舎暮らしの人々が住んでいることがわかる。しかしその島には年間5万人を超える難民が流れ着く。彼らが乗った船から救難信号が発せられれば、島に待機している救助艇が急行するが、間に合わずに船内は大量の遺体だらけ、という凄惨な事態も起きる。

 アフリカからの難民と、シリアなどから逃れてきた難民が悲惨な状況で救助されたり死んでしまったりという阿鼻叫喚のような光景が映し出されるというのに、どうしたことだろう、この映画はあまりにも静かすぎるのだ。どこまでも澄み切った美しい海と空と乾いた草原が広がる風景に溶け込んで静かに質素に暮らす島民の生活は、決して貧しくはない。立派な家に住み、手作りのトマトソースで彩られたパスタを食べ、清潔にしつらえられたベッドで眠る。そんなありふれた田園漁村の風景と並行して、戦火を逃れ亡命し逃亡する難民たちの涙と恐怖と乾きと病が観客の目の前に差し出される。これをどう考えればよいのか?

 あまりにも静かで淡々とした映画であるがゆえに、わたしは眠くなる。つい退屈してしまう。と同時に「悲惨な状況を目の前の画面に見ていながら退屈するとはどういうことか」と後ろめたさにいたたまれなくなる。遠い地の出来事はしょせんは他人事なのだ。無意識にそう思っている自分に気づいてしまった驚きと、それを恥じる気持ちが交錯する。

 難民たちはただ無力でただ死を待つだけの人々なのだろうか。彼らには夢も人生の物語の主人公である誇りもないのだろうか。わたしはただ彼らに同情するだけなのだろうか。

 何も答えが見つからない重い重い映画に気持ちも腰も重くなる。死体だらけの難民船内に衝撃を受け、そんな事件とは無関係に少年たちが暮らす日々の生活に愕然とし、「人道救助」ってなんなのだ、と呆然とする、そんな映画。観客一人一人に突き付けられる居心地の悪さは格別だ。でも目を背けてはならないのだろう。そして、そんな状況を変えられる力は、実は難民たちしか持っていないのだ。かの国を脱出してきた人々がいつかは祖国に帰り、祖国を変えていくしか、道はないのではないか。

 「消費する」ことを許さない映画。

(2016)
FUOCOAMMARE
FIRE AT SEA
114分
イタリア/フランス
監督:
ジャンフランコ・ロージ

白鯨との闘い

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 メルヴィルの『白鯨』は読んだことがなかった。と思っていたのだが、映画を見ているうちに次々デジャヴに襲われる。ひょっとしてこれは、小学生の頃にジュニア新書とかジュニアなんたらシリーズで読んだのではないか。まあ、いずれにしても、ストーリーには既視感があっても、映画的に面白いかどうかは別問題。その点、ロン・ハワード監督はさすがの手練れである。

 物語は、若きメルヴィルという作家が30年前の遭難事件を、唯一の生存者に取材するという体裁で始まる。その生存者である元捕鯨船員は既に中年の域を超えていた。高額の報酬につられて、彼は苦し気に過去を語り始めた。恐るべきエセックス号の遭難事件を。

 それは、二人の男の物語だった。一人は若くて勇敢な一等航海士オーウェンであり、もう一人は親の七光りで船長となった名門家出身のジョージ。1919年、エセックス号は鯨油を取るためにアメリカ東海岸を出港し、南米大陸を南下してホーン岬を回り、南太平洋へと出た。長い長い旅である。いったん捕鯨の旅に出れば、2年以上帰ってこられない。しかしそれに見合うほどに捕鯨は儲かったのだろう。太平洋上で、巨大なマッコウクジラに体当たりされたエセックス号は沈没し、船員たちは3艘の小舟に乗り移って陸地を目指す。食料はわずかしかないので、極端な制限によって給食されることとなった。漂流が長引くと船員たちの体力・気力は限界に達する。生きるための闘いが始まった……

 一本作は等航海士と船長の確執や、船員同士の絆と反目といった人間関係のドラマ部分も見ごたえがあり、さらに巨大な鯨に体当たりされるエセックス号の恐怖も迫力たっぷりだ。
 出港する前の港の風景やオーウェンの生活風景もさりげないロングショットで、なかなか美しい。上流階級のボンボンである船長とたたき上げの一等航海士の葛藤という人物造形はステレオタイプだけれど、気になるほどではない。それよりも、帆船の操船や捕鯨の方法などが細かく描かれていて興味深い。銛を鯨に投じて長い間苦しませるという残酷な捕鯨方法がとられているため、現在の反捕鯨団体の主張にも頷けるような場面だ。かつてはあのようにして鯨と闘っていたわけだな。だから巨大な白鯨がエセックス号に体当たりしてきたことも「これは鯨の怒りであり、復讐なんだ」と観客には理解できる。

 燃料やろうそくの原料として脂を取るためだけに鯨を殺していたなんて、もったいない話だ。日本人なら鯨肉も食べるし、尾もヒレも食用にし、捨てるところなどなく消尽して鯨への畏敬の念を表すのに、西洋人はそうではないのだな、ここが大きな文化の違いだ。

 エセックス号の乗組員たちの壮絶な漂流は見ているだけでつらくなってくるようなものであり、彼らの究極の選択にも息を飲む。そのような犠牲もすべては鯨油のためだったのに、物語の最後で「テキサスの砂漠から石油が出たらしいな」というセリフが、捕鯨の最後を告げる。時代はもう捕鯨を見捨てようとしていた。その切なさも、自然への畏敬の念を忘れた者たちへの報復もすべてが夢のように過ぎ去ったのだ。余韻が残る一作。(動画配信)

IN THE HEART OF THE SEA
122分、アメリカ、2015
監督:ロン・ハワード、製作:ジョー・ロスほか、原作:ナサニエル・フィルブリック『白鯨との闘い』、脚本:チャールズ・リーヴィット、撮影:アンソニー・ドッド・マントル、音楽:ロケ・バニョス
出演:クリス・ヘムズワースベンジャミン・ウォーカーキリアン・マーフィトム・ホランドベン・ウィショーブレンダン・グリーソン

 

ヒマラヤ ~地上8,000メートルの絆~

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 これも実話をもとにした山岳映画。

 さすがは韓国映画だけあって、感情に訴える場面のうまさは特筆すべき。その一方、残念ながら山のシーンの迫力がいまいちだ。いや、この作品しか観たことのない人ならこれでも十分満足の出来だろうが、なにしろつい先日、ドキュメンタリー「メルー」で驚異の映像を見てしまった後だけに、ついつい比べてしまう。

 物語の大筋はこうだ。現役を引退した世界的に有名な韓国の登山家が、ある日、後輩の遭難死を知る。彼の遺体が標高8700メートルのヒマラヤ山中に置き去りにされていることがわかると、直ちに遺体回収のためのチームを組み、困難な「デスゾーン」へと登山を開始する。果して後輩の遺体を運んで無事に下山できるのか?

 映画の前半はコミカルで、テンポもよく軽いノリの話が続く。登山のための訓練の様子やベースキャンプでのやりとりも漫才のようだが、若き登山家パク・ムテクが遭難してからはぐっとお話が暗くなり、泣かせる場面が連続する。ヒマラヤ山脈のあちこち、特にエベレスト山にはいくつもの遺体が放置されている。中には道標になっているものさえあるというのだから、この高度で遭難すると遺体は家族のもとに戻れないことも普通なのだ。この映画でも、登頂の栄誉のためではなく、「単に遺体を回収する」ためだけにチームが組まれる、という至難のプロジェクトが組まれる。これは、自己犠牲の精神がなくては実行できないイベントだ。だからこそ見る者の感動と涙を誘うし、それゆえに映画化もされた実話なのだろう。

 なぜ山に登るのか。そこに山があるから。この映画ではその答えが違う。そこに大事な後輩の遺体があるから。彼が待っているから。家族のもとに返してやりたいから。そんな理由で8000メートルを超える山に登る人がいたとは驚きだった。自分たちだけでも大変なのに、重い遺体を持ち帰るなんて。もちろん想像を超えるような難作業が待ち構えているのだ。それでも果敢に挑戦した人々がいたことは心に留めておきたい。(レンタルDVD)

THE HIMALAYAS
124分、韓国、2015

監督:イ・ソクフン、脚本:スオ、ミン・ジウン、撮影:キム・テソン、ホン・スンヒョク、音楽:ファン・サンジュン
出演:ファン・ジョンミン、チョンウ、チョ・ソンハ、キム・イングォン、ラ・ミラン

 

 

たかが世界の終わり

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 主人公はまもなく若くして死ぬ。自分が死ぬことを家族に告げるために、12年ぶりに実家に戻った。しかし、その家族たちは言い争いをし、ささいなことで激高し互いを傷つける。美しい青年は自分がやがて死ぬということを家族に告げることができないまま、時間だけが過ぎていく。ただそれだけのことを描いた映画。なぜこの家族がこんなに互いを傷つけあうのか、その理由はわからない。

 ひたすら顔のアップが続く。劇場の大スクリーンいっぱいに役者たちの大きな顔が広がる。マリオン・コティヤールの大きな目、ギャスパー・ウリエルの美しく悲し気な瞳、レア・セドゥの拗ねた上目遣い、ヴァンサン・カッセルの尖った鼻と拗ねた瞳、それらが大きく観客にのしかかってくる。役者の力がそれぞれに立ち上がってくる、これはドランの演出力なのか、もともとの役者の力が大きいのかどちらだろう。

 家族がいがみ合い罵りあう映画ならほかにもいくつも見た。どれもこれも不愉快な場面が続く作品だった。これも同じなのだが、緊張感がとぎれないと同時に、主人公ギャスパー・ウリエルの美しい顔に見とれているうちに画面に吸い寄せられていく。なぜ兄は弟に冷たく当たるのだろう。おそらく彼は、美しく賢く才能ある成功した弟に嫉妬しているのだろう。親の愛を弟に奪われ続けてきたという恨みがあるのかもしれない。なぜ弟ルイは12年も家族のもとに帰らなかったのだろう。彼がゲイというのもその理由のひとつなのだろうか。ルイがゲイだから兄はあんなに弟を嫌うのかもしれない。家族の過去がほとんど何も語られないために、映画を見ながら観客は想像力を総動員するしかない。とても疲れる映画だ。

 人の顔ばかり映すという演出、そして最後にハッとさせられる動きのある一瞬、すべてが謎めいていて、何一つ観客には知らされず、けれど言葉にできない哀しみが積もっていく、そんな映画。家族というものの厄介さが横溢し、なおかつ家族だからこそそこから離れることが決してできない愛と葛藤が渦巻く。

 静かな物語だから、音楽の効果が大きい。時に美しく繊細に、時に不安を掻き立てる音楽にも惹かれる。
 カンヌ映画祭でグランプリ受賞。ただならぬ才能を感じさせる緊迫感溢れる静かな作品だった。照明も素晴らしい。光の当て方がうまいから、人物の肌が柔らかく輝いて見える。デジタルのはずなのにフィルムのようなまろやかな温かさがあった。しかし万人受けは決してしない映画だ。

JUSTE LA FIN DU MONDE
99分、カナダ/フランス、2016
監督:グザヴィエ・ドラン、製作:ナンシー・グラント、グザヴィエ・ドランほか、原作戯曲:ジャン=リュック・ラガルス『まさに世界の終り』、脚本:グザヴィエ・ドラン、撮影:アンドレ・トュルパン、音楽:ガブリエル・ヤレド
出演:ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥ、マリオン・コティヤールヴァンサン・カッセル、ナタリー・バイ

 

スノーデン

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 「ニュースの真相」よりさらに現在進行形のお話。よくぞこのタイミングでドラマ化したものだと感心する。オリバー・ストーンはこの手の社会派作品を作らせたら実にうまい。スノーデン事件に関しては、既にドキュメンタリー映画アカデミー賞を受賞したように、高い評価を得ている。このドキュメンタリーをわたしは未見なので比べることはできないが、ストーン監督の本作はドキュメンタリーでは描けない、スノーデンの過去をじっくり見せてくれて、この若者がなぜ愛する祖国を裏切ったのかが手に取るように理解できた。

 しかし、この「手に取るように理解できる」というのが実は曲者なのかもしれない。人はそれほど単純な生き物だろうか。スノーデン青年がなぜ内部告発者となって他国へ亡命することになったのか。それは彼の正義感だけでは説明できないのではないか。そういった「微かな疑問」は残るのだけれど、いずれにしても本作が緊張感あふれる良作であることは間違いない。

 事件の大筋についての観客の記憶が薄れないうちに製作公開される作品というのは、最小限の説明で済むのが利点だ。大胆な省略が施された本作は、50年後の観客には説明不足でさっぱりわからない、ということになるかもしれないが、同時代を生きる人間には、たとえ日本人でも理解できるような展開なので、余計な説明がない分、スピード感にあふれて、グイグイと引き込まれていく。

 本作はドキュメンタリーと違って、スノーデンと恋人シェイリーンとのラブシーンもあり、観客サービスも怠りない。CIAやNSA国家安全保障局)の職員として多忙な日々を送り、恋人との生活もおざなりとなる彼に対してシェイリーンが不満をぶつけるシーンなども、仕事中毒の夫に対する妻のいらだちとまったく同じで、どこにでもある危機的なカップルの状況を描いて観客の共感を得るだろう。スノーデンの仕事中毒と、仕事への疑心とは同時に亢進する。優秀な情報技術者のスノーデンは、仕事にのめり込むほどに、政府が対テロ工作の範疇を超えて世界中の人々の個人情報を収集していることに疑問を感じるようになる。ついには自分たちの生活すら政府機関に監視されていることに気づいた以上、彼はもはや純粋な愛国者ではいられなかった。

 カメラはスノーデンの顔をアップでとらえ、彼の神経質な表情を見事に演じたジョセフ・ゴードン=レヴィット(本人にそっくり!)によって、観客にその心理を伝え、観客自身も疑心暗鬼にとらわれていく。わたしは最後までスノーデンの心理につかまれたまま見終わったが、同時に上記に書いたような疑問もまた沸き起こってきた。恋人との生活も諦めて、すべてをすてたのか? その若さで? それはあんまりだろう! しかし実際には。。。。

 こうなると、ドキュメンタリー『シチズンフォー~スノーデンの暴露』(2014)を見てみたくなる。

SNOWDEN
135分、アメリカ、2016
監督:オリヴァー・ストーン、製作:モリッツ・ボーマンほか、原作:ルーク・ハーディング、アナトリー・クチェレナ、脚本:キーラン・フィッツジェラルドオリヴァー・ストーン、音楽:クレイグ・アームストロング
出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィットシェイリーン・ウッドリーメリッサ・レオザカリー・クイントトム・ウィルキンソンスコット・イーストウッドリス・エヴァンスニコラス・ケイジ