天地明察
マスコミ試写にて7月に鑑賞。
滝田監督は「おくりびと」のときとは違ってスピーディでユーモアに溢れた演出を見せる。その分、期待した落ち着きがない。「おくりびと」に感動した人にとっては期待外れではなかろうか。江戸時代の所作にしては不自然さが目立つ。人前で抱き合ったり手を握ったり、バタバタと走ったり。
とはいえ、なかなかに面白い作品である。江戸時代の算術の方法や天文道具が目新しく、興味を惹かれるので退屈しないのだ。先ごろ金環日蝕のさい話題になった日蝕メガネの江戸版を人々が手にしているのも可笑しい。動く博物館、という手合いの映画なので、わたしのように美術や小道具に惹かれる観客にはお奨め。ただし、しっかり時代考証した末に再現されたと思い込んでいた「渾天儀」その他の道具が、実は資料不足ゆえに美術担当者の想像の産物となってしまったというのには驚いた(『キネマ旬報』掲載の監督インタビューより)。まあ、もちろん全部が作り物というわけではなかろうが、大胆な想像も加わっている、ということであるな。
天体観測は地道な努力が必要で、ただひたすら長い年月を耐えに耐えねばならない。その努力には本当に頭が下がる。正しい暦を作ることに生涯を賭けた先達の努力にはただ感動を覚えるばかりだ。さらに、大きな事業を成功させるには人脈がいかに大事かということもよくわかる。これは新規事業の江戸時代版成功モデルケースと言えよう。現代にも通じる教訓だ。
江戸時代、戦国の世も遠くなると人々の関心が学問にも向くようになり、算術が庶民の間にも流行していたという。神社に算額絵馬が奉納され、それを見た者が競って解く姿は昨今流行の数独を連想させる。江戸時代にも数学ゲームが流行っていたのか、と微笑ましい。
800年間も公家が改暦を許さず、独占的に暦をつかさどる権利を握っていたというのはまさに既得権益にしがみつく行為であり、この場合の規制緩和は素晴らしいと思われるが、結局のところ公家から江戸幕府へと改暦の権限が移っただけである。与那覇潤著『中国化する日本』では江戸時代は規制緩和から程遠い「日本型社会主義」制度の時代であったと書かれていたことを思い出す。
原作に書かれていた算木とか渾天儀が実写で目の前に見られるというのが嬉しい。原作ではあまり細かな描写がなく、当時の風俗や天文・算術に関する道具などがほとんど想像できなかったが、映画ではそういった小道具・大道具が映像で見られるのがよい。逆にいえば、映画のよさはそれだけだったかもしれない。まあ、それだけで十分満足するわたしのような観客ならこの映画は見るに値するというもの。
一番の違和感は、何十年もかかって達成した偉業なのに主人公達がちっとも老けないので、その年月の深みと重みが伝わらないこと。
141分、日本、2012
監督: 滝田洋二郎、原作:冲方丁、脚本:加藤正人、滝田洋二郎、音楽:久石譲
出演: 岡田准一、宮崎あおい、佐藤隆太、市川猿之助、笹野高史、岸部一徳、渡辺大、白井晃、市川染五郎、中井貴一、松本幸四郎