午前十時の映画祭で。
かつて退屈でたまらなかった舞踏会のシーンが今回はさらに引き伸ばされて延々1時間以上! しかし、サリーナ公爵の諦観と絶望を描くにはこれだけの長さが必要だったのだとつくづく思う。若い頃には理解できなかったことが今なら分かる。二十歳の頃に見たときはビスコンティの映画はどれもこれもが冗長でこってりと画面が重厚でゲップがでそうな感じがしたのだが、今見ると、その重厚さが好ましい。
所詮、革命は下層民には不可能だ。いまだかつて下層民による窮貧革命など存在しただろうか? マルクスもレーニンもインテリゲンチャだった。レーニンの父は貴族に列せられている。サリーナ公爵は貴族でありながら、シチリア島の革命に心を馳せていた。しかも彼は革命後の腐敗もすべて見据えていた。何も変わらない。そう、何も変わらないのだ。
1860年、ガリバルディの赤シャツ党はシチリア島を占領する。サリーナ公爵の大事な甥っ子タンクレディも義勇兵に応募して、ガリバルディの軍隊で戦う。しかし、所詮タンクレディの目論みは立身出世でしかなかった。シチリアを支配してきた大貴族の一族として、タンクレディは叔父サリーナ公爵に実の息子以上に可愛がられている。彼は抜け目無く革命軍に参加し、ほとぼりが冷めると国軍の将校としてシチリアに戻ってくる。しかも、サリーナ公爵の娘(タンクレディの従姉妹)の愛を知りながら、絶世の美女を一目見るやたちまち恋に落ちる。絶世の美女は新興ブルジョアジーの一人娘、アンジェリカ。
野心に燃え、下心を持つ抜け目ない美青年タンクレディをアラン・ドロンが好演。美しくもどこか暗い影りを見せるキャラクターにぴったりだ。アラン・ドロンにはこういう癖のある役が似合う。所詮、正義の味方の明るさはない。サリーナ公爵を演じたバート・ランカスターは貫禄たっぷりで、惚れ惚れする。没落する貴族階級の行方を誰よりもよく自覚し、タンクレディを金持ちの娘と結婚させようとする狡猾さをもちながらも、その威厳にはひれ伏したくなるような重みがある。
豪華絢爛の舞踏会の場面、延々と続くダンスパーティの倦怠には濃厚なクリーム入りのソースがたっぷりかかったフランス料理を食べた後のような胃もたれ感がある。
その中にあって一人純白のドレスに身を包むアンジェリカの美しさは、彼女のあまり品のよろしくない振る舞いと相まって、独特の肉感をかもし出す。清楚なドレスに身を包みながら、妖艶だ。わたしにはクラウディア・カルディナーレよりもタンクレディの従姉妹のほうが美しいと思えるけど…。
ビスコンティの計算しつくした美術の色使い、調度、カーテンの柄や食器、床のゴミにまでこだわった画作りにただため息。
イタリアはこの後、農民運動と労働運動の台頭に拮抗すべくファシズムが沸き起こる。そのことを予感させるような暗いラストシーンだ。イタリアの中にあって飛び地のように存在するシチリア島、そのマージナルな存在に興味がそそられる。シチリアを舞台にした映画が多いのは、ここに複雑な歴史が存在し、ドラマを生みやすいからだろうか。
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IL GATTOPARDO
186分、イタリア/フランス、1963
監督:ルキノ・ヴィスコンティ、製作:ゴッフリード・ロンバルド、原作:ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ、脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、エンリコ・メディオーリ、マッシモ・フランチオーザ、ルキノ・ヴィスコンティ、撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ、音楽:ニーノ・ロータ
出演:バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ、リナ・モレリ、パオロ・ストッパ、ジュリアーノ・ジェンマ、オッタヴィア・ピッコロ