吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ウルヴァリン:X-MEN ZERO

 Xメンの前日譚。いかにしてXメン=ウルヴァリンが誕生したのかがわかる。一回目は寝落ちしたので、再度DVDを見直してみて、なかなか面白いということに気付いた。シリーズ本編よりも面白いのではないか。無常感が漂う、かなり大人のテイストになっているからだろう。

 ウルヴァリンの誕生は19世紀に遡る。彼は裕福な家の病弱な次男として子ども時代を過ごしていたようだ。ある日、衝動に任せて実父を殺してしまったひ弱な少年ジェームズが、実は並外れた能力を持つ人間であったことが分かる。そこから彼は、兄ビクターと共に「ミュータント」として生きることを選択する。ミュータントの兄弟はやがて成長して南北戦争に従軍し、第一次世界大戦塹壕戦を戦い、第2次世界大戦ではノルマンディー上陸作戦に参戦し、ベトナム戦争にも加わる。各地の戦争で兄ビクターは殺戮の快感に酔いしれ、その残虐さを止めようとするのはいつも弟ジェームズの役目だった。
 ベトナム戦争で上官を殺害したために二人は銃殺刑となるが、ミュータントの彼らは銃なんかでは死なないのである。彼らの特殊能力を買った人物がここで登場する。ミュータントによる特殊部隊を編成しようとたくらむ将校ストライカーこそがその人物である。

 ストライカーの作戦に賛同しがたいジェームズは彼のもとを飛び出し、カナダの山奥で木材伐採人として平和に生きていた。ケイラという美しい女性と共に。だがそのケイラをビクターに殺害され、復讐の鬼と化したジェームズ・ローガンは、「ウルヴァリン」として生まれ変わる。。。。。

 全体に暗い雰囲気がただよい、同じミュータント兄弟とはいえ、ビクターとローガン(ジェームズ)の違いが鮮明になり、やがては血で血を洗う争いになっていくところがさらにダークな味わいを深める。愛する女性を殺されたり、さまざまにつらい別れがあって、ラストの切なさも一級品だ。ミュータントたちが次々に登場してくる場面が、やがてXメン本編につながるというのがよくわかって大変面白い。
 一方でアクションシーンが若干単調だったり、超能力の面白さがそれほど生かされていなかったりという短所もある。何よりもユーモアがほとんどないのが、これまでのシリーズとは異なる点か。好みがわかれるところだけれど、わたしはダークで物悲しいこの映画が気に入った。続編も見ようっと。(レンタルDVD)

 ※続編はつまらなかったので、感想は書かない。

X-MEN ORIGINS: WOLVERINE
108分、アメリカ、2009 
監督: ギャヴィン・フッド、脚本: デヴィッド・ベニオフスキップ・ウッズ、撮影: ドナルド・M・マカルパイン、音楽: ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演: ヒュー・ジャックマンリーヴ・シュレイバーリン・コリンズダニー・ヒューストンテイラー・キッチュライアン・レイノルズ、ウィル・アイ・アム

 

X-MEN:ファイナル ディシジョン

 やはりこのシリーズは面白い。シリーズ第3作は、これだけ見ても十分面白い。てか、前2作をほぼ忘れているので、わたしとしてはこれだけで単作扱い(汗)。
 しかし、登場人物(ミュータント)が多すぎて名前と顔が一致しない! 最後まで誰が誰だかよくわからなかった(大汗)。
 それでも、ウィキペディアがあるので便利ですなー。過去作のストーリーはウィキペディアを読んで復習しました!

 今回は、「ミュータントは病人だから治療して普通の人間にすればいい」という親切な人間が現れて、ミュータントを人間化するワクチンを開発してしまう。これは「黒人を整形手術して白人にすればいい」みたいな発想と同じですな。そしてこの薬「キュア」によって完璧な白人女性に変えられてしまった時のミスティークの美しさと哀れさは心に残る。どちらが美しかったのか? ミュータントとしての青い肌の彼女と、真っ白い肌の白人と。大変意味深い場面だ。

 このシリーズ作品は善悪の判断を棚上げにすると同時に、観客の価値観や差別意識を揺さぶる面白さがある。ところが、善悪を棚上げという基本路線を逸脱する設定が今回行われた。それがジーンである。亡くなったはずのジーンが二重人格を持った人物へと増悪し、彼女の中で善悪の交代劇が始まる。善悪がはっきりしないところが良いのに、ジーンの中では善悪が極めて明確に区別がつく。表情まで全部変わってしまうからわかりやすい。まあ、そうしないと二重人格の区別がつかないから演出上、やむを得ないのだろう。

 ジーンの力が大きすぎて、ミュータント界の秩序を乱す。それは映画全体の物語の整序も乱す。どうも今回ジーンという女性の存在がえらく気になる。だれかこれをちゃんと分析すべきではないか。

 これ、絶対に続編ができる終わり方ですな。(レンタルDVD)

X-MEN: THE LAST STAND
105分、アメリカ、2006 
監督: ブレット・ラトナー、脚本: ザック・ペン、サイモン・キンバーグ、撮影: フィリップ・ルースロ、ダンテ・スピノッティ、音楽: ジョン・パウエル

出演: ヒュー・ジャックマンハル・ベリーパトリック・スチュワートファムケ・ヤンセンイアン・マッケランレベッカ・ローミンアンナ・パキンエレン・ペイジ

 

さよなら歌舞伎町

 細かく何回にも分けて観たから、ストーリーがいまいちよくわからなくなってしまったが、なかなかに面白い群像劇。

 新宿・歌舞伎町のラブホテルが舞台だけあって、身体を張った女優の演技が続出するのだが、わけありの人々ばかりが登場するホテルの24時間は結構切なく暗い。

 ラブホテルの清掃員を演じた南果歩が素晴らしい演技を見せていて、ちょっとしたしぐさや表情に彼女が背負って立つものの重さや辛さ、投げやりな感じがとてもよく出ている。この清掃員は時効を2日後に控えて、愛人とひっそり隠れ暮しているのである。南果歩が意外とコメディにもいけるんだとわかった。この人、中年になっていい味を出している。

 ヒロインのはずの前田敦子の影が薄いのはどういうわけか。それに引き換え、韓国人女優のうまさには舌を巻いた。このパートの良さは格別だし、最後に泣き笑いの結末が待っているのがしみじみさせられた。

 売春する女、買う男、逃げるおばさん、W不倫の警官、福島の原発立地からの避難者である主人公の若者は、恋人に「一流ホテルに勤めている」と嘘をついてラブホテルの支配人をしている。いろんな人々の悲喜こもごもが歌舞伎町の小さなラブホテルを舞台に繰り広げられる。作り話なのだから、偶然がいろいろ重なるという非現実的な展開もあるけれど、それはそれで面白い。(レンタルDVD)

135分、日本、2014
監督:廣木隆一、製作総指揮:久保忠佳、脚本:荒井晴彦、中野太、撮影:鍋島淳裕、音楽:つじあやの
出演:染谷将太前田敦子、イ・ウンウ、ロイ、樋井明日香我妻三輪子忍成修吾大森南朋田口トモロヲ松重豊南果歩

 

二ツ星の料理人

 次々と画面に出てくる料理がとにかくおいしそうでたまりません。画面にアップにされる料理の数々にはため息。わたし自身は一生食べることはないだろうけれど、見ているだけで幸せになれる。と同時に、こんな料理を食べ続けることができる人たちってどういう階級・階層なんだろう、と思う。ミシュランの星がついているレストランは、貧乏人のためには料理を作ってくれないだろう。

 料理もまた文化である以上、それを保護する人々は「貴族」であるに違いない。かつて文化の守護者は王侯貴族であった。現在ではそれがある程度は行政によって肩代わりされ、そのおかげで庶民も文化のおこぼれにあずかることができるようになった。しかし、博物館や図書館が低価格または無料で公衆のために開かれているのは違って、高級レストランが行政の保護のもとに庶民に料理を振る舞うことなど考えられない。

 だからこそ最高の料理人は「貴族」のために腕を振るい、ミシュランの星を獲得するためにしのぎを削る。だがその価値観は人としての豊かな心根を腐らせていくのではないか。いつだったか、ミシュランの星付きレストランのシェフが自殺するという事件があった。ストレスから鬱病を発症したといわれていた。それほど過酷な競争にさらされるシェフの世界で、かつて二つ星を獲得した料理人がこの映画の主人公だ。彼の名はアダム。腕のよさに反比例して、傲岸な態度で周囲を振り回し、挙句はドラッグに溺れて仕事を放擲し、レストランを一軒つぶした過去を持つ。そんな彼が立ち直って三ツ星を狙う、とやる気満々になっているところから物語は始まる。

 かつて迷惑をかけた恩人の息子が経営するホテルのレストランに乗り込み、強引にシェフに収まったアダムは、優秀な女性シェフのエレーヌをこれまた強引な方法で引き抜き、スタッフを揃えて開店にこぎつける。だが、過去の借金のせいでヤクザに付きまとわれるといった暗い影が消えない。おまけに傲岸で癇癪持ちの彼の態度に同僚たちも心を開かない。そんなある日、とうとうミシュランの調査員がやってきた。緊張の面持ちで勝負に出たアダムだったが。。。。

 アダムの問題ある性格や厨房でのパワハラぶりにはうんざりさせられる。こんな嫌な主人公もたまったもんではない、と思う。だが彼がやがて天上天下唯我独尊の態度を改め、仲間との共同作業の楽しさや喜びに目覚めていく場面は感動的だ。料理もたいへん美味しそうで、厨房の様子もテレビ番組「料理の鉄人」を思い出させるような緊迫感にあふれ、スピード感もあり、ぐいぐいと見せていく。

 ブラドリー・クーパーの出演作で彼をハンサムと思ってうっとり眺めたのは初めてだ。性格は悪いくせに見た目のいいシェフではないか。それは、最後に彼が見せた笑顔や柔らかな態度へとつながる撮り方だったのではないか。見終わった後、すがすがしさが残る良い映画だった。

 やっぱり、料理は競争じゃないよね。孤高のシェフが口にする高級料理よりも、みんなで食べるお気軽なまかない食のほうが美味しいんだよ。ミシュランの調査方法も興味深かったとはいえ、なんだか因果な商売だ。

BURNT
101分、アメリカ、2015
監督:ジョン・ウェルズ、製作総指揮:ボブ・ワインスタインほか、原案:マイケル・カレスニコ、脚本:スティーヴン・ナイト、音楽:ロブ・シモンセン
出演:ブラッドリー・クーパーシエナ・ミラー、オマール・シー、ダニエル・ブリュール、マシュー・リス、ユマ・サーマンエマ・トンプソンアリシア・ヴィカンダー

 

トリコロール 赤の愛

 かつて、青・白・赤の順に(つまり正順)見た三部作、お気に入り度もこの順だった。今回は久しぶりに見ることになり、逆から見てみようという気になった。しかし、ラストシーンを見て、この映画はやはり青と白を見ていないと面白さがわからないんだと判明した。

 途中で寝てしまったので再度見直し。見直してみると、なかなか複雑に絡まりあったお話であることが分かり、がぜん面白くなった。イレーヌ・ジャコブの美しさにはただただ見惚れるばかり。
 盗聴を趣味とする退官判事と若きモデルとの出会いは偶然だったが、彼らが不思議なことに徐々に心を通わせていく。それはイレーヌ・ジャコブがその見かけの美しさだけではなく、心も優しい「博愛の人」だからだろう。トリコロールの赤は「博愛」を表し、この映画では赤が印象深く使用されている。

 この作品は判事の心理が理解できないと不可解なまま終わってしまう。彼がなぜ盗聴などしているのか、なぜ自分を罰するような行為に出るのか、彼の人生の中に置かれているかつての実らなかった愛は今でも形を変えて、別の若者の人生と重なっていること、そういったもろもろがわからないと、深いところで感動することがない。おそらく一度目にこの作品を見た20年前には、それがわからなかったのだろう。今回見直してみて、ラストシーンの衝撃をまったく覚えていなかったことに愕然とした。これほどまでに「運命」を感じさせずにはおかないラストを三部作の最後にもってきたキエシロフスキーは、それまでの2作とこの「赤」で、最後に「出会う」人々の過去を描いていたのだということがこの瞬間にわかるのだ。

 元判事役の老人がジャン・ルイ・トランティニャンだったとは。偏屈そうな雰囲気をよく表して名演だ。(レンタルDVD)

TROIS COULEURS: ROUGE
96分、フランス/ポーランド、1994 
監督・脚本: クシシュトフ・キエシロフスキー、脚本:クシシュトフ・ピエシェヴィッチ、撮影: ピョートル・ソボチンスキー 、音楽: ズビグニエフ・プレイスネル
出演: イレーヌ・ジャコブジャン=ルイ・トランティニャン、フレデリック・フェデール、ジャン=ピエール・ロリ、ジュリエット・ビノシュジュリー・デルピー

 

ジェイソン・ボーン

 公開されるたびに見に行っているのだから、今回も当然劇場へ。「君の名は。」ほどではないが、かなり入りがいい。で、これまでもたいていこのシリーズは爆睡していたのだが、今回もやっぱり。それもこれもポール・グリーングラスのいつものあの撮り方のせいだ。手持ち、画面揺らしまくり、細かいカット割り。これ、老人には目が疲れてついていけません。そのうえ、ストーリーが単調で、見せ場に欠ける。

前半かなり意識不明になったのだけれど、後半戦で俄然目が覚めた。圧巻のカーチェイスが始まりそうな予感がするやいなや目が覚めるというのも、我ながら〈上映中の居眠りプロ〉である(自慢)。さすがは250台の車をつぶしたというだけあるシーンで、よくこれだけもったいないお化けが出そうな撮影を敢行したものだ。どうやって撮影したのか、カメラさんがえらいよ、これ。

 このシリーズはずっと「記憶」がテーマになっている。記憶を失ったことに苦しみ続けるジェイソン・ボーンは、今回父の記憶と向き合うことになる。父もまたCIAの職員だったのだ。失われた記憶を取り戻すことは果たして本人のアイデンティティにとって大切なことなのかどうか。

 トミー・リー・ジョーンズの悪役は堂に入ったもので、ふてぶてしくて大変よろしい。

JASON BOURNE
123分、アメリカ、2016
監督:ポール・グリーングラス
製作:フランク・マーシャルマット・デイモンポール・グリーングラスほか
脚本:ポール・グリーングラス、クリストファー・ラウズ
撮影:バリー・アクロイド
音楽:ジョン・パウエル、デヴィッド・バックリー
出演:マット・デイモンジュリア・スタイルズアリシア・ヴィカンダー、ヴァンサン・カッセルトミー・リー・ジョーンズ

 

ハドソン川の奇跡

 

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 これぞプロフェッショナル。クリント・イーストウッドがプロの仕事をプロらしく撮った、一切の無駄がない見事な映画。見終わった後の清々しさは格別で、生きる勇気を与えられるような作品だった。

 2009年1月にハドソン川に不時着した飛行機(USエアウェイズ1549便)のことは記憶に新しいし、当時マスコミがこぞって機長をほめたたえたこともわたしは鮮明に覚えている。しかし、その機長が後日、国家輸送安全委員会から「川への不時着ではなく、空港に引き返せたはず。そうであれば、機体を破損させる必要もなかった」と追及されていたとは、まったく知らなかったので大いに驚いた。機長は誤った判断で乗客の命を危機に陥れ、機体を失うことになった、その責任を問われていたのだ。

 物語は、既にハドソン川の奇跡が起きた後から始まる。ニューヨークの高層ビル群にぐんぐん近づく旅客機。やがて機体はビルをかすめて外壁を削り取り、別のビルに機首から突っ込み大爆発する。そんなぎょっとする場面は機長の悪夢だった。ハドソン川への不時着事故以来、機長のサレンバーガー(愛称サリー)は不眠に悩まされていた。彼は英雄としてマスコミから追いかけまわされる人気者であると同時に、事故調査委員会から追及を受ける身でもあり、自宅にも帰れないでホテルに缶詰めになっている。
 映画の原題は「サリー」。つまり、機長の愛称であり、本作はこの事故に関連する群像劇ではなく、まさにハドソン川の英雄であるサリー一人にフォーカスする物語である。だからこそ、余計な部分を一切切り落とし、非常にすっきりと、また淡々とした描写となっている。

 事故の全容はやがてじっくりと回想場面として描かれていくわけだが、この構成も無駄がなく、観客が二度見ることになる事故時のコクピットの様子も、二度目のほうが緊張感と臨場感にあふれている、という演出にもうならされる。

 クリントイーストウッドはリハーサルを嫌う監督で、本作でも見事に一発撮りを敢行したらしい。よくぞそれでこれだけ緊迫感に満ちた、そして堂々たる作品に仕上がったものだ。最後のクライマックス、サリーの演説はまさに圧巻。事故調査委員に堂々と反論を述べる、その理路整然かつ冷静沈着な対応はまさに彼がベテランのパイロットであることをすべての人に納得させるものだ。ベテランパイロットの物語をベテラン監督がベテラン俳優に演じさせる。この配材が円熟の仕事を結果した。

 短い映画に刈り込んだ編集の技も優れていて、ほんの短いショットにも乗客の心理や背景をうかがわせる描写が含まれている。サリーが妻に電話し、妻が涙ながらに「あなたが責任を負わされればローン破たんする」と訴える場面では、機長といえども財政状況が楽ではない、リーマンショック直後のアメリカ中産階級のひっ迫ぶりが窺える。

 そして何よりも感銘を受けることは、サリーが英雄になれたのは彼一人の力ではないということをサリー自身が理解していることだ。考えてみれば、乗客が一人でも死亡していれば、彼は英雄になれなかった。だから、彼を英雄にしたのは乗客だと言えるのではないか。極寒のハドソン川に不時着し、乗客が誰一人凍死することがなかったのは、24分で全員が救助されたという驚異のレスキュー体制のおかげだし、乗客がパニックに陥らなかったからだ。自らの生命も危機にありながら冷静に対応し、最後まで"head down,stay down"と声を合わせて乗客にコールし続けた客室乗務員たちの働きにも目を見張る。近くを航行中の船舶も特急で救助にかけつけたし、管制官ハドソン川上空付近にいる航空機に目視確認を要求する無線を発信した。彼らの一人でもその責任において自分の仕事を全うしなければ、この奇跡は起きなかった。自己責任とはまさにこういうことを指すのではないか。 

 そして、忘れてならないのは副操縦士ジェフ。彼も機長に負けず劣らず冷静に行動した。だから、サリーが最後にジェフにかけた言葉には胸が詰まったし、ラストシーンを飾るジェフのセリフにもにっこり。
 乗客が救助されるシーンでは涙が出そうになり、全員が救助されたことをサリーが知った瞬間には、思わず涙がこぼれた。結果を知っていて見ているというのに、これほど感動的なシーンが続くのは、登場人物たちの動きが勇気と献身に満ちているからだ。一部に早まって川に飛び込む乗客もいてハラハラさせられたが、それもお愛嬌と思えるほど、乗客たちは落ち着いていた。もしこれを日本の製作会社が作れば、「日本人偉い」「日本に生まれてよかった」の大合唱になるのだろうな、と思うと鼻白むが、この映画がアメリカ人を喜ばせることは間違いない。クリント・イーストウッドは自立した個人の力を信じる監督だから、国家や大組織ではなく、個々人の責任において行われるプロの仕事にこそ惹かれるのだろう。彼がトランプ候補を支持しているといわれるのもわからないでもない。

 今年は映画豊作年だ。次から次へいい作品にばかり当たる。映画ファン歓喜の年ではないか。本作は優れた労働映画としてもその名を残すだろう。

SULLY
96分、アメリカ、2016
監督:クリント・イーストウッド、製作:フランク・マーシャルほか、製作総指揮:キップ・ネルソン、原作:チェズレイ・“サリー”・サレンバーガー、ジェフリー・ザスロウ、脚本:トッド・コマーニキ、撮影:トム・スターン、音楽:クリスチャン・ジェイコブ、ザ・ティアニー・サットン・バンド
出演:トム・ハンクスアーロン・エッカートローラ・リニー