オブリビオン
機関紙編集者クラブ『編集サービス』紙に掲載した映画評のうち、自分のブログにアップしていなかった作品をさらえていくシリーズ」第6弾。
これは既視感の強い作品だが、それなりに面白く見られたのは、アクションシーンがよかったからか、それとも近未来の荒涼たる風景にそそられたからか。
映画における近未来像には二つあって、一つは「ブレードランナー」のようなひたすら暗くて陰鬱で小汚いリトルチャイナの世界。もう一つは「2001年宇宙の旅」のように白く美しく整序された塵一つない人工的な無機質世界。
どちらも御免こうむりたい未来ではあるが、「オブリビオン」が描くのはその両者を足して干からびさせた、無機質かつ乾ききった荒涼たる世界。
2077年、宇宙からの侵略によって地球の文明は滅亡し、人類は宇宙に去った。地球にはたった一組の夫婦だけが、地球を監視するという使命を帯びてガラス張りのタワー住居に暮らしていた。美しく機能的で広く贅沢な住居に住むその夫婦は、今朝も同じベッドで目覚めた。夫の名はジャック。今日も彼は飛行マシンを操縦してパトロールに向かう。そんな生活もあと二週間で終わるはずだったが…。
ジャックの妻が人形のように美しく無機質なのも不気味で、彼ら夫婦の住居の気味悪いほどの整理整頓ぶりは人間臭さを感じさせない。一方で未来のパトロール機が、デザインは斬新なのになぜかレトロなスイッチ仕様で笑える。それは、現代のメカ好き観客を意識しているのだろう。宇宙人が繰り出してくる攻撃機との死闘や空中戦など、メカ好き・アクション好きを喜ばせるシーンはふんだんに用意されている。
だが、ストーリー全体はいつかどこかで見たあの…を思わせる展開で、「衝撃の真実」の整合性に説得力が欠けるうらみがある。原題は「忘却」の意で、「記憶と人間のアイデンティティ」という永遠不滅の哲学的テーマが潜んでいるのがそそられる点だが、この映画は根本的な矛盾・過誤を犯している。何が間違っているかは見てのお楽しみ。
ところでこの映画も「図書館映画」の一つ。崩壊したニューヨーク公共図書館がアクションの舞台となる。廃墟と化した荘厳な図書館のセットも見どころの一つ。ここでのアクションシーンは「ミッション・インポッシブル」でのトム・クルーズのロープ吊り下げアクションへのオマージュであろう。
あまり細かいことにこだわらずお気楽に見て、プロダクションデザインの美しさ、アイスランドでロケしたという風景の壮大さとアクションを堪能されたし。
OBLIVION
124分、アメリカ、2013
監督: ジョセフ・コシンスキー、製作: ピーター・チャーニン ほか、原作: ジョセフ・コシンスキー、脚本: カール・ガイダシェク、マイケル・デブライン、音楽: M83
出演: トム・クルーズ、モーガン・フリーマン、オルガ・キュリレンコ、アンドレア・ライズブロー、ニコライ・コスター=ワルドー、メリッサ・レオ、ゾーイ・ベル