吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

4ヶ月、3週と2日

 それでは、ブログ再開第1弾のレビューは、2009年マイ・ベスト1のこの作品から。


 2007年カンヌ映画祭パルムドール受賞も納得の傑作。

 1987年、社会主義政権崩壊直前のルーマニアで、非合法の中絶出術を受ける女子大生とその友人の一日を追った緊迫の物語。固定の長回しを多用した演出は、じりじりとした時間の経過をリアルタイムに表現し、主人公オティリアの苛立ちと怒りと放心をつぶさに追う。


 巻頭、何が映っているのか判明するまでにけっこう時間がかかった。大学の学生寮を写しているのだと分かるまでがなんだか退屈。分かったからといって、これから何が始まるのかよくわからない。よくわからないうちに、わたしたちはオティリアが遭遇する社会主義システムの冷酷さとそのシステムに浸かった人々の傲岸さにいつの間にか彼女とともに苛立ちと怒りを共有する。ホテルのフロント係に予約を確認したら、けんもほろろの態度であしらわれる。仕方なく他のホテルに予約を入れに行くが、ここでもフロント係の対応は傲慢そのもの。おまけに予想外の高額をふっかけられ、ふんだりけったりの気分をオティリアと共に観客も味わう。こんなひどい態度の客扱いは、アメリカのホテルのフロント係以上だ。アメリカのフロント係もたいてい客を客とも思わない無愛想さで参ったが、社会主義ルーマニアでのこの有様は噂に聞く中国の売り子にそっくり。

 
 恐怖の監視国家であった東ドイツとかつてのルーマニアがどの程度同じような警察システムを敷いていたのかは知らないが、最後にオティリアがあたりを伺うような視線をさまよわせるのは、いつもどこかで誰かに見られているという恐怖が深層心理に張り付いている人々の無意識の行動なのかもしれない。

 この映画に描かれた人々の不信や人間関係の冷たさ、無責任、人任せ、傲慢、怠慢は、社会主義がもたらしたものとだけは言えないだろう。わたしには「自由の国日本」でも同じようなことはいくらでもあると思える。だからこそ、この映画には、かつての社会主義体制への批判という以上の普遍性を見いだして震撼した。オティリアが若くして既に人間の冷酷さと利己主義に絶望しているであろうその様子には愕然としてしまう。なおかつ彼女にはどこか達観したかのような諦念が伺われる。このこと、彼女が愚かな人々の愚かさに気づいてしまった/しまえるだけの知性を持っていることが悲劇なのだと思う。

 
 しかし、問題はこの映画に登場する人々が決して悪人たちではないということだろう。中絶手術を受けようとする女子学生ガビツァも必死だし、モグリの堕胎医が半ば脅迫的に高額の報酬を要求するのもあながち彼が悪徳医者だからとも言えないだろう。彼には彼の家庭の事情がありそうだ。また、自分のことなのに人任せにしたりどこか上の空のようないい加減なガビツァにしても妊娠中で気分が悪いからなのかもしれない。それにガビツァも「悪いのはわたしです、友人(=オティリア)ではありません」と必死に堕胎医に食い下がるし、同情すべき点はいくつも挙げられる。しかし、それでもやはりこの人々の唾棄すべき醜さはどう? 最後までガビツァを妊娠させた男が登場しないのも意味深だ。男の名前すら映画には登場しない。まるでその存在が無き者のように扱われているのだ。最も責任が重い一人であるはずの男に何ら言及しないこの映画は、「責任の中心点は空洞である」という、「無責任」の実相を象徴的に描き出しているのだ。それはかつての社会主義官僚国家が持っていた本質を表象するものであろう。ホテルのフロントで何かあればいちいちIDカードの呈示を求められるのも、ただルーティンに従って淡々とこなされる事務手続きが官僚主義の発露であると同時にその無責任さや怠慢を底に抱えるものであることの表れなのだ。


 オティリアが恋人宅を訪問するという約束をどうにかこなしてやっとの思いでたどり着いたその家のパーティでは、客たちインテリエリートたちの傲慢な会話がオティリアをうんざりさせる。心ここにあらずのオティリアの表情を固定カメラは凝視し続ける。オティリアの悲しみや怒りは、恋人への辛辣な詰問へと変わる。それもまた恋人の責任を問うものである。その言葉を発することができるのは、オティリアが、一旦助けると決めた以上はどんな犠牲を払ってでも友人を助ける、責任感の強い女性であるからこそだ。彼女は逃げない。そして、妊娠という事態から女は逃げることができない。


 自己犠牲と責任感。この二つを兼ね備えた人間が一番割を食う。こんな社会こそが無責任社会なのだ。それは社会主義であろうが資本制システムであろうが、社会体制には関係がない。そのことが腹立たしい。(レンタルDVD)


−−−−−−−−−−−−−


上映時間 113分、ルーマニア、監督/脚本: クリスティアン・ムンジウ
出演;アナマリア・マリンカ、ローラ・ヴァシリウ、ヴラド・イヴァノフ、