吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

灼熱の魂

 息を呑むようなドラマだ。憎悪と暴力が連鎖する中東の某国を舞台に、壮大な物語が始まる。原作が戯曲とは思えないほどの映画的な魅力に富んだ作品。乾いた大地を旅する女たちのささくれ立つ心を見事に映し出す雄大な風景と、内戦によって廃墟となった町の無残な姿が交錯する。

 物語はカナダから始まる。フランス語圏に暮らす20代の双子、ジャンヌとシモンの母が突然亡くなった。母の遺書は2通あり、一通はジャンヌ宛に「兄を捜してこの手紙を渡して欲しい」、もう一通はシモン宛に「父を捜してこの手紙を渡して欲しい」とあった。双子には兄などいないはずだったのに、どういうことだろう。母の故郷である中東の国に謎を解く鍵があるのだろう。母の遺言を果たすために、ジャンヌの旅が始まった。

 物語は、母の遺言に従って旅を続けるジャンヌたちの<現在>と、恋人を失い、波乱万丈の悲惨な体験をする母の<過去>との輻輳によって紡がれる。母ナワルは中東の某国に生まれ育ったキリスト教徒だ。この国ではキリスト教徒とイスラム教徒との内戦が勃発し、町は廃墟となった。戦いが続く日々、ナワルは生んだ子どもを孤児院に預けて大学に進学するが、孤児院が爆撃されて息子は行方不明になる。ナワルは息子の行方を追って旅をするが…。

 若き日のナワルの旅と、現在のジャンヌの旅が交錯する。遺言に込められた謎を解く鍵はどこにあるのだろう。過去のドラマのすさまじい恐怖と緊張、深まる謎に観客はぐいぐいと物語に引き込まれていく。やがて明らかになる真実の前に言葉を失うだろう。

 しかし、憎しみの連鎖を断つのがこの物語の目的ならば、そのためにここまですさまじい設定を考えねばならなかったのだろうか。話を作りすぎている、と感じるのだ。そして、結末の部分での母の願いや愛が、ほんとうにそれでいいのか、と納得しかねる。衝撃、戸惑い、苦悩、登場人物たちに課せられた多くの困難がまた、観客であるわたしにものしかかる。この物語をどうとらえればいいのだろうか。

 ミステリーとしては、映画上の作為があり、双子の兄弟の出自に疑問を抱かせるような配役(双子の弟のほう、シモンがフランス人にしか見えない)が観客のミスリードを誘う。これはフェアではないと思うのだが、いかがだろう。

 見終わって1ヶ月経ったが、未だに判然としない思いがくすぶる。まさに「灼熱の」「焼け焦げた」魂の行方が気にかかる。あの後、あの3人はどうやって生きていくのだろう、と思うと恐ろしい。

<3月17日追記>
よろず感想文ブログ『独立幻野党』http://d.hatena.ne.jp/fripp-m/20120121 に、興味深い考察が書かれています。また、コメント欄で、弟がアラブ系でない顔をしているのは大いにありえるとの指摘があり、「あの「弟」は きっとカナダ社会に ごく自然に 受け入れられているのでしょう。あえて 中近東系の「カオ」の俳優を起用しなかったことで この作品 なおいっそう深くなったような」(@兄貴の嫁さん)との言及も。なるほど、と思いました。皆様ぜひ参照されたく。

INCENDIES
131分、カナダ/フランス、2010
監督・脚本: ドゥニ・ヴィルヌーヴ、製作: リュック・デリー、キム・マクロー、原作戯曲: ワジ・ムアワッド、音楽: グレゴワール・エッツェル
出演: ルブナ・アザバル、メリッサ・デゾルモー=プーラン、マキシム・ゴーデット、レミー・ジラール