吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

監督失格

 この映画を見て帰宅した長男Y太郎(20歳)が顔色を変えていた。「すごい映画やな、これ。負けたわ…。こんなドキュメンタリーを作られたら、普通の映画は勝たれへん」


 この映画の製作背景を知らずに見始めたとしたら、観客はどの時点で嫌気が差すだろうか。それとも、最後まで惹きつけられるだろうか。この映画が主人公林由美香の私生活を映し出したビデオを元に編集されており、最後は彼女の死そのものをも撮った作品であることを知っていれば、のんべんだらりとした場面であっても、主演女優の死が待っているというインパクトに導かれ、クライマックスまで飽きることなく引っ張られていくだろう。

 いや、実はそんな生易しい映像ではなかった。最後まで見れば、この作品の壮絶さに言葉を失うに違いない。

 1994年、当時不倫関係にあったAV監督平野勝之(32歳)とともに自転車で北海道旅行に出かけた林由美香(26歳)を、恋人である平野監督はひたすら愛情を込めて撮り続ける。由美香が可愛くてしかたがない平野は由美香のアップを撮り続け、由美香とじゃれあい、由美香は「幸せよ〜」とのろける。しかし二人の旅は過酷を極めた。真夏に東京を出発し自転車で40日かけて北海道礼文島へ。途中の坂で何度も由美香はへばり、涙を流す。ほとんどテント泊の野宿生活。

 そんなつらさに疲労がピークに達したのか、二人は些細なことで大喧嘩するのだが、肝心の喧嘩の場面を平野は撮っていなかった。二人の鬼気迫る場にカメラを回すことができなかった、余裕がなかった平野は由美香に「監督失格ね」と言われる。

 そう、この映画は、肝心なところでいつもカメラを回すことができなかった失格監督が、由美香という女優への鎮魂を込めた作品なのである。

 カメラの前で赤裸々な姿をさらす女優、というコンセプトで撮られたビデオだが、実際にどこまで赤裸々なのかどうかが判然としない。確かに由美香はカメラの前で泥酔してお漏らしをしたり吐瀉物に顔を突っ込みそうになったりと、酔っ払いの醜態にうんざりさせられるような<赤裸々さ>はある。だが、平野との喧嘩の場面は一切無く、そんなとき平野は自分の身をかまうだけで精一杯になってしまってカメラを回せない。

 由美香との自転車旅行の結果はAVドキュメンタリーというジャンルの作品として映画化され、「由美香」というタイトルで劇場公開されて話題を呼んだという。だが、実際には旅行から帰ったあと、二人は別れている。

 別れてからも平野と由美香は友人としてつきあい続けた。そしてある日、由美香の新しいAVを撮るため、彼女の35歳の誕生日にマンションを訪問することになっていた平野が、弟子と一緒にカメラを持って出かけたが、その後、カメラが見ることになるのは由美香の死だった…。

 そこには慟哭が映っている。その嘆きに観客は涙をそそられるだろう。その衝撃のあまりの強さにたじろいでしまう。この映画は、本来ならば退屈してしまうような場面の連続である、画質の粗いファミリームービーのようなドキュメンタリーを巧みな編集によって、このクライマックスまで観客を引きずりこむ力を持っている。


 ただならぬ力を持つ作品ではあるが、評価は真っ二つに分かれそうだ。自分をさらけ出してもがき苦しむ平野の姿に私的ドキュメンタリーの力を感じるか、「監督失格」と烙印を押すか。まずはご覧あれ。

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111分、日本、2011
監督:平野勝之、製作:甘木モリオ、プロデュース:庵野秀明、音楽:矢野顕子
出演:林由美香平野勝之、小栗冨美代