吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

さまよう刃

昨秋、映画館で鑑賞。内容が重く、考えさせられる映画だが、リアリズムに徹しているはずの物語が映画的演出を優先するあまりに細部の整合性がない、というのは残念。特に最後になるにしたがってどんどん「お話」っぽくなってしまう。なんでこういう演出にするかな、と思う。重厚な物語なのに惜しい。



 妻には先立たれ、男手一つで育ててきた大切な一人娘を強姦の上殺されてしまった父親が、復讐のために犯人の少年たちを追い詰める。一人目を殺した後、男は二人目の犯人を追って信州に向かう。刑事が父親を追う。父親は少年を追う。追う者と追われる者が錯綜し、父親は復讐を遂げるのだろうか? 父親に感情移入してしまった若い刑事は自分の職務逸脱してしまう…



 緊迫感に満ちたサスペンスであり、とりわけ最後の川崎駅前のシーンは手に汗握り、ラストの衝撃には言葉を失う。実は予想通りだったのだが、それでもやっぱり、と深い感慨に襲われた。



 劇場用パンフレットの法曹界座談会では、元検事今弁護士が、真野刑事が負った重さについて語っていた。確かにそう思う。これは一生消えない傷となるだろうし、そういう重みを一人の刑事に負わせていいのだろうか?



 この映画は結論ありきの作品のように思われがちだが、必ずしもそうではないと思う。少年法を改正せよとのプロパガンダ映画とも思えない。それほど単純な話ではなかろう。

 
 ところで、この映画で初めて竹野内豊を知った。好みでございます〜♪ ネット上にはたくさんの画像があるが、若い頃より今のほうがよい。髭を生やしているのもいいねぇ。やっぱり本作での竹野内くんが一番いいです、悩める姿が渋くてかっこいい。

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112分、日本、2009
監督・脚本: 益子昌一、製作: 平城隆司、原作: 東野圭吾、音楽: 川井憲次
出演: 寺尾聰竹野内豊伊東四朗長谷川初範、木下ほうか、池内万作
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 ある友人が「原作と変えた部分が全部ダメ。なんでこういうふうに変えちゃうかな、と思う」と映画を評していたので、原作を読んでみることにしたが…図書館のリクエスト待ち、半年かかってやって回ってきました。映画は原作のラストを変えてあるというので、ラストだけ読めばいいかな、と思ってぱらぱらとめくり始めたら、止められなくなった。この手のハードボイルドものは久しぶりに読む。これだけサクサクすらすらと読めるなら、若い人でも手に取るだろう小説だ。くどいほど説明が行き届いているし、一文ずつは短く、状況説明が親切で、会話も多い。いかにも映画にしたくなるような小説だ。そのまま脚本ができてしまいそう。



 映画に比べて原作はずいぶん情緒的であり、「少年法反対」の姿勢がはっきりしている。原作では重要な役割を果たすペンションの経営者丹沢和佳子のエピソードを映画では大胆に刈り込んである。その他、多少の設定変更はあるが、ラスト以外はほぼ原作通り。ただ、主人公をなぜ寺尾聰に演じさせたのだろう、と思う。もっと若い父親のはずなのに、寺尾にやらせたというのはかなり渋い選択だ。これにより、歳を取ってから生まれた大事な一人娘という状況がいっそう悲劇的に露わになるし、寺尾なら、軽率な考えから復讐を果たそうとしたのではないということが観客に納得できる。

 

 ラストは、原作よりも映画のほうが思想的には深い。映画は、丹沢和佳子の役割をカットしてしまった代わりに、主人公に「復讐と赦し」の役目を一人で負わせた。娘を殺された復讐心に燃える父親は、心のなかで常に葛藤している。葛藤しながらも復讐を果たすという目的は最後まで手放さない。自首を勧める丹沢和佳子の気持ちは読者に訴えるものがある。父親長峰の気持ちにも読者は共振する。その揺れが最後まで物語を引っ張る。実にうまいストーリー運びなのだが、結論(作者の主張)が初めから決められているところにわたしは不満がある。映画のほうがより問題を深化させていると思える。しかし、例えば上記の友人が、原作と変えたところに大きな不満を持ったように、映画の結末が「きれいごと」と思う読者は多いだろう。原作のほうが空しさに満ちているからだ。


 文庫本には解説というものが付いているのが普通だが、本書にはついていない。あくまでも読者に考えさせようということか。



※東野 圭吾著 角川書店(角川文庫) 2008.5