バグダッドからのEメール
朝妻 健著 : アートブック本の森 : 2004.5
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巷にあふれる「イラクもの」の中でも、この本はいっぷう変わっている。表紙が若く美しい女性の笑顔なのだ。彼女の名はソラ。
本書は、前半が著者朝妻健氏のイラク滞在記、後半が著者とソラとの往復書簡(Eメール)からなるドキュメンタリーだ。
独身中年で好奇心旺盛、フットワークの軽い朝妻氏は、サダム・フセインからの招待という千載一遇のチャンスにホイホイと乗って遥かイラクへ旅立った。時は2003年2月。この旅は一行30人ほどのイラク訪問団であり、メンバーには元赤軍派議長塩見孝也あり、ストリッパーあり、バース党員ありと、バラエティに富んでいる。
万が一のときにはサダムの「人間の盾」にされることも承知で出かけた命知らずの人々のイラク滞在記には、実のところそんな緊張感がさして感じられない。
イラク側の案内人(監視人)がついてまわり、訪問団は旅の第一の公式目的である「イラクへの侵略に反対する青年学生会議」に参加する合間にいろんな場所を観光して回り、また、デモに駆り出されたりする。
朝妻氏は日本政府の外交政策や戦争には反対だが、サダム・フセインの独裁体制にも批判を持っていて、訪問団一行を出迎えるイラク少年たちの迷彩服姿や、「サダムに我々の血と魂を捧げる!」という人々のシュプレヒコールには嫌悪感を隠さない。
朝妻氏はいろんな場所で気さくに人々に声をかけ(とりわけ美しい女性には必ず)、自由時間には市場を回り、カメラを下げてバグダッドを見て歩く。著者の生来の明るく物怖じしない性格や、クールな批判眼といったものがよく窺える紀行文だ。
そして、訪問団の通訳としてバグダッド滞在中の著者たちを世話したのが24歳の美しいソラだった。著者はたちまちソラに恋をする。
本書の前半、戦火が迫りつつあるバグダッド紀行文は、戦争前の緊張感よりも、異文化世界の不思議大発見旅行のおもしろさが濃い。だが一転して後半は、米英軍のイラク攻撃が始まり、著者はバグダッドのソラの身を案じて何度もメールを送り、ソラとタケシの国境を超える「愛と緊迫の往復書簡」へと様相を変える。
平和な日本と、戦火のバグダッド。ソラが生きているのかどうかは、メールが届くことによってなんとか確認できる。
手に汗握ってソラの無事を祈りつつも、ソラが書いてよこすサダム・フセインへの熱烈な愛や支持といったものを読むと、著者朝妻氏だけではなく、多くの日本の読者も彼我の決定的な断層を感じてしまうだろう。わたしは著者と同じように、ソラが語る独裁者サダムへの「愛」には強い違和感と落胆を抱いてしまうのだ。
これが、マスコミ報道には載らない、バグダッドの真実のひとつだ。アメリカ軍や日本の自衛隊が歓迎されているのかどうか。今も続くイラク人の抵抗運動は何を示すのか。誰に正義があるのか、誰にも決めることはできないだろう。わたしはイラクの自由と秩序の回復はイラク人に任せるべきだと思いつつ、その「イラク人の総意」はいったいどこにあるのか、と深い疑問を抱かざるをえない。
戦争は多面的な位相をもち、考えなくてはならない要因はたくさんある。現地の混乱も米軍の虐待もイラク人の報復も自衛隊の活躍も戦争を生む世界システムも。
さまざまな言説が飛び交う中で、イラク女性からの生々しい訴えは、マスコミ報道からは与えられない強い感情をわたしに投げかける。結局のところ、異文化や異なる価値観の深い溝に架橋するものは「愛」だというありきたりの感慨。
戦争がなければソラとタケシは出会うことがなかった。出会ってしまった今、ソラ一人を救うためだけにでも戦争状態が終わってほしいと思う。
戦争に反対するということは、国家の論理を云々することを超えて、一人の人間との血の通うつながりを大切にすることを、「今ここにいる」彼女を救うことを意味するのだ。このことを強く思う。