吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ヒロシマ ナガサキ


 広島長崎の原爆被害についてはもういやというほど見た聞いた読んだ。韓国まで行って被爆者の証言も聞いた。それでもやっぱりこの映画を見てまた泣いた。

 原爆について語る被爆者の語りには永遠に終わりがないかのようだ。いくら聞いても何度見てもわたしは新たな涙を流す。しかし、映画が優れているかどうかは「泣けたかどうか」で決まるものではない。それが過去をどのように語り、何を現在に問いかけ、何を未来に期待するのか、その時間の流れを見事に捉えたかどうかによる。そういう意味ではこの映画は凡庸である。これまで作られたあまたの原爆被害を語る映画とさして変わるものがないかのようだ。むしろ、TVドキュメンタリー「聞こえるよ母さんの声が―原爆の子・百合子」(1979年)のほうがよっぽど感動的だった。

 しかし、この映画がアメリカ映画であることを考えてみたい。これは日系3世のスティーヴン・オカザキ監督の作品である。観客は第一にアメリカ人だ。そのことを考慮に入れれば、この映画があまりにもわかりやすく原爆被害を語った理由は、アメリカ人にもわかるように、それはつまり今の日本の若者にもわかるように作られたということ。固いテーマのドキュメンタリーにもかかわらず、決して観客を退屈させない編集上の工夫がこらされたこの映画で、気になるところはただ一点、被爆者たちが徹底して「被害者」として自らを語っていることである。

 原爆の被害はある日突然平和な日本に起こったた天災とは違う。侵略戦争を行っていた日本の大本営があった広島に落とされたものだ。その意味では、軍都広島が標的になるのは当然であり、軍需工場(造船所)があった長崎が狙われたのもしかり、侵略者・虐殺者の日本人が単なる被害者であるとはとうてい言えないだろう。しかし。しかし、しかし、それでもだからといって原爆投下が許されるだろうか? 今でも生き残っている被爆者の多くはあのとき、子どもだった。だから、彼ら彼女らが被害者の位置でしか自らを語らないのは当然だ。今生きている被爆者の語りだけで原爆の被害の実相やその意味を問うことじたいに限界がある。だから、この映画の限界はそこにある。

 しかし一方でこの映画の優れている点は、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ号の副操縦士の懺悔の言葉を取り上げたところだ。エノラ・ゲイの操縦士は戦後、アメリカで「原爆投下ショー」を行って日本人の怒りを買った。だが、この映画に登場する副操縦士は原爆投下を深く悔いている。わたしはその言葉に心が癒されるものを感じる。そして、生き残った被爆者たちが誰一人としてアメリカに対して恨みがましいことを言わないのが印象的だ。からだにケロイドが残り、目をそむけたくなるような痛々しい傷痕をいまだに抱えて生きてきた人々のこの60年がどのような日々であったのかと想像するだけで心が重くなる。


 この映画に描かれた被爆者の証言には、もはや目新しいものはない。しかし、原宿を歩く若者たちが「8月6日はなんの日か」と問われて答えられないこの現実に寒いものを感じる、そのことこそが何よりも恐ろしいと感じさせられた、「今を問う」映画だ。原爆投下から63年。「記憶」を残すことの意味を今こそ強く感じる。(レンタルDVD)

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WHITE LIGHT/BLACK RAIN: THE DESTRUCTION OF HIROSHIMA AND NAGASAKI
アメリカ、2007年、上映時間 86分
製作・監督: スティーヴン・オカザキ、撮影監督: 川崎尚文