吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

「戦争報道」「カルチュラル・スタディーズの招待」

 わたしのサイトはあくまでも映画や読書、酒、愚にもつかない身辺雑記などの趣味的ページにしようと思って二年前に立ち上げた。政治の話は好きではないのだ。正直言ってよくわからないし。

 ただし、「政治」に無関心なわけではない。選挙や政局だけが政治ではあるまい。もしそれが政治なら、わたしはまったくといっていいほど、「そういう政治」には無関心だ。選挙には必ず投票に行くし、たとえ投票したい人がいなくても、無効票か白票を投じてくる。棄権はしたくない。それでもあえて言う。「あなたは政治に関心がありますか」という社会調査の調査票が回ってきて、その「政治」が投票行動のことを指すなら、答えは「No」だ。選挙で世の中が変わるという期待はほとんどもっていない。
 それでも、もし今、総選挙があるなら、それはイラク戦争への賛否両論が大きな争点になるのではなかろうかと思うし、そうであるなら、わたしは戦争を支持する人間をぜひとも落選させたいと思う。先週、、地方選挙が行われた。何が争点になっていたのか実はよく知らない。でもちゃんと投票には行った。夕方まで選挙のことを忘れていたので、あわてて投票場まで行ったのだが。

 戦争はイラクだけで行われているわけではない。チェチェン共和国へのロシアの残虐な弾圧、東ティモールソマリアパレスチナ……
 だが、わたしたちの政府がこんなにもはっきりと「戦争を支持する」と宣言して始まった戦争は、目下のところ、イラクでの戦闘だ。しかも国連の決議なしに。国連なんて張り子の虎だとは思っていたが、自分たちで作り上げた世界秩序すら無視するブッシュのやり方には心底怒りを感じる。

 怒りを感じてもイラクへ行って直接自分の目で見るわけではないから、戦況はマスメディアの報道に頼るしかない。また、直接見たからといってそれが「真実」だとは限らないし、事態の全体像がわかるわけでもない。戦火の報道は、インターネットなどでは反戦側も多くの情報を流している。わたしは、そのどれもを疑いながら見るという姿勢を保っていたいと思っている。

 というのも、さきごろ、『戦争報道』を読んで、どれだけ戦争報道が作られたものであったかを知らされたからだ。いや、報道の中身が作られているだけではない、戦争そのものをマスコミが作ってしまうのだ。本書は、戦争報道の歴史を概説した読みやすい本で、日本の報道近代化を担った同盟通信社の歴史や、ベトナム戦争下のアメリカの報道実態、さらには映画「地獄の黙示録」の裏話など、興味深い内容になっている。湾岸戦争での「重油にまみれた水鳥」の画像がイラク環境テロとは関係なかったこと、この10年の間に米英軍は6000回もイラクに爆撃を行ってきたのに、それらはいずれも「戦争」だとは報道されなかったから、誰も戦争が行われていると気づかなかったことなど、報道の実態を暴いている。そう、マスコミが「戦争が始まる」というから戦争が始まるのだ。マスコミが報道しなければ、どこで何万人が殺されても、戦争など起きていないのだ。
 
 そして、つい昨日、『カルチュラル・スタディーズへの招待』を読み終わって、ますます「報道」への接し方には注意せねばならないと感じた。カルチュラル・スタディーズは文化研究と訳されるが、それは、「他者を語ること」を思索する学問だという。本書はカルチュラル・スタディーズの問題意識をまず紹介した後、メディア・漫画・スポーツ・SF小説・性・民族・歴史など各分野ごとに一冊ずつ本をとりあげて手際よく紹介してある。カルチュラル・スタディーズの教科書として書かれたものであり、そういう点では好適なのだが、カルチュラル・スタディーズそのものではない。著者の文化分析が、他の研究者の書物を通じてしか書かれていないので、オリジナリティに欠け、まどろっこしい。

 例えば、「不思議の国のアリス」を分析するくだりでは、『トラブルとその友人たち』という小説を引用するのだが、その引用はもともとは小谷真理が書いた『ハイパーヴォイス』で引用されているのを本橋氏が引用しているのだ。つまり、三重の引用。ややこしい構造だ。
 また、アウシュヴィッツを生きのびたプレーモ・レーヴィの著作を分析するのに徐京植プリーモ・レーヴィへの旅』を使う、というように、重引だらけなので、読んでいて居心地が悪い。しかも著者の立場や主張は鮮明であり、むしろそのアジテーション口調というか、説教口調がなんとなくうるさい。とはいえ、カルチュラル・スタディーズとは何か、を学ぶには大変役に立った。

 戦時下のイラクで、戦況を報道し、被害に遭った人々を取材する日本人たちは、イラクの人々にとって他者であり、攻撃する米英軍側からも他者である。だが、今回の戦争で日本政府はアメリカ側に付いたから、日本人はおしなべてアメリカにとっての他者とはみなされないことになってしまった。エンベッド(embed:埋め込み)方式と呼ばれる従軍報道で、わたしたちは、アメリカ軍の戦艦に同乗した日本人記者から戦況を知らされる。現地の記者達にどれだけの批判精神があろうと、その取材の場においては、彼らは米軍に同化せざるをえない。敵はイラク軍だ。記者本人が戦争に反対であろうが賛成であろうが、エンベッド方式の中で、彼らは「真実」のみを選び取って報道せねばならない。それがジャーナリストの使命だからだ。
 爆撃の被害にあった人々にカメラを向ける時、外国人ジャーナリストは被害者にとってまったき他者であると同時に、彼らの声をより多くの他者へと届ける使者でもある。わたしたち日本に住む者はイラクの人々にとって他者であることを自覚し、他者からの眼差しを目をそらすことなく受け止め、そして他者への眼差しを共感を込めて送りたいと思う。けれどこれは、簡単なことではないし、では具体的に何をすればいいのと問われるとわたしは言葉を継ぐことができない。今できることはせいぜい、これ以上殺すなと声を上げることと、被災地の人々に届くように援助の金や物資を送る以外にはない。けれど、それは他者と自己との溝を埋める作業になっているのか? ますますわたしの思考は混迷の中をさまよい歩く。今はまだ光が見えない。

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戦争報道 武田徹著 筑摩書房 2003年(ちくま新書
カルチュラル・スタディーズへの招待 本橋哲也著 大修館書店 2002年