吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

「田中小実昌 (KAWADE夢ムック):コミさんの不思議な旅 」

 2000年2月にロサンジェルスで客死した作家田中小実昌の特集だが、「これ一冊ですべてわかる」っていう作りにはなっていない。

 この本は入門書っていうより、ある程度コミさんのことを知っている読者向けに編んである。例えば、いろんな人の追悼文集を集めてあって、しかも書き手はわたしの知らない人が多いから、それぞれの著者の履歴やコミさんとの関係を手短かに紹介してもらわないと困る。

 また、書き下ろしばかりではなく、古い対談や文章もたくさん掲載してあるし、コミさんの初期の短編も2編載せてあって、どっちかというとお手軽で雑多な感じがするのだが、それはそれでおもしろかった。

 特にそそられたのは高橋源一郎の談話と、堀江敏幸田中小実昌論だ。あとは、1973年と79年に行われた小実昌vs野坂昭如の対談。対談では、コミさんの魅力だけではなく、野坂の魅力というか、闇市世代に染み付いた小汚さというようなものが紙面から臭い立ってきそうで、眉をひそめながら笑ってしまうという可笑しさがある。

で、とりわけ興味深かった二つの論のうち、堀江敏幸は、田中の『イザベラ』という世評のあまり芳しくない小説を取り上げて次のようにコメントする。

「鮮明なイメージを伝え、読者の脳裏にそのイメージを咲かせることが小説の基礎であり王道であるとの通念に田中小実昌の「ぼく」はあらがい、それが意図的な行為である以上に、もっと内発的で説明不可能な、いわば外からの要請に近いとほのめかす。……「はなし」を回避しようとする語り手の彷徨は、田中小実昌の生涯にわたる主題だといっても過言ではない」

 なるほど、堀江自身の小説が明確なストーリーをもたない脱線の作風をもっているのは、小実昌の小説と通底する。両者の文体はずいぶん違うのだが、このような共通点があることに改めて気づいた。

 もう一つの小実昌論の語り手高橋源一郎は、田中小実昌のことを「高級なたこ八郎みたい」と呼んで「コミマサってる」その姿をおもしろ可笑しく語る。そして、田中の『ポロポロ』が戦後かなりの年月を経て書かれたものであることを指して「戦争文学にもボジョレ・ヌーボータイプとブルゴーニュ・ワイン・タイプがある。『ポロポロ』はボルドーのラトゥールみたいな作品だ。戦争をテーマにしながら戦争について早々と結論を出さずに、戦後数十年の日数をかけて熟成させている」という意味のことを述べている。
 高橋の話はその後、より広い小説論になり保坂和志にも言及し、かなり興味深い内容だ。
 
 既に田中小実昌死去直後に『ユリイカ』 臨時増刊 総特集「田中小実昌の世界」(2000年6月)が詳細な著作目録つきで出ているらしいので、同じことをしてもしょうがないと思ったのか、<その代わりに本書ではビジュアルで攻めてみました>調だ。小実昌の単行書を発刊年順に集めて表紙の写真を並べてある。今では入手困難なものも多いみたいで、なかなか壮観だ。カラーなら文句なしだったけど。

 亡くなって4年以上経っているのだから、もうちょっと違うことができるような気がするが、この本はちょっと作りがお手軽すぎてどうもまとまりが悪い。そこがコミさんの本らしくていいのかも。でも年譜ぐらいはつけてよね。

 保坂和志『生きる歓び』に収録された「小実昌さんのこと」、及び田中小実昌の『自伝』エッセイとの併読をお勧めします。