これ、育児書かというとそうではない。もちろん、内田先生が育児書なんて書くわけないわなと思っているから、別に育児書でなくても全然かまわないのだけど、でもいちおう子育て中の、それも中学2年ぐらいの難しい子どもを持つ親たちへお説教たれようっていう本なんだから、そういうつもりで読み始めた。
でも、やっぱり。すぐに育児書であることを忘れてしまった。だっておもしろいんだもーん。内田さんのファンとしては、先生の書くものしゃべるものがおもしろいっていうのは当たり前なので、今回はこの本のおもしろくないところを書いてみよう。
内田先生は言う。
教育の問題点は一種の「ループ」をなしており、脅威氏が専一的に悪いとか、教育行政が諸悪の根源であるとか、すべては母親の過保護のせいであるとかいう単純な説明で片がつくはずのものではない。むしろ教育システムや家族システムが自明の前提として採用している「子ども」概念そのものの改鋳という仕事こそが喫緊の思想的課題ではないのか。私と名越先生はその点ではほとんど同意見であったと思う。
なるほど、この点には賛成だ。
この本は、精神科医名越康文さんとの対談だ。名越さんは大阪でクリニックを開いていて、そこには思春期の子どもをもつ親たちがたくさん相談にやってくる。名越さんは、病気は子どものほうじゃなくて親だ、と言う。
「勝ち組」「負け組」と世間では言うが、内田さんにいわせればそれは「利口組」と「バカ組」の差なんだって。で、この差が絶望的に開いていっているとうのが今の日本社会。内田さんがいうところの(モトネタはピエール・ブリュデューだと思うけど)文化資本の差なんですね。
内田さんが「知性は情緒の豊かさ」だといい、その豊かさがないので知性が感じられないのがオバサンだと名越さんが返す。オバサン(オバタリアンっていうようなニュアンス)は、前思春期のままで精神発達が止まった人種らしい。
というようにずっと延々、今の困った親と子の状況についてお二人はしゃべり続けるんだけど、どうにも何かひっかかる。つまり、しゃべっている二人の先生たちは自分たちがその困った親(大人)とは別人種だと思っているんじゃないかと。いや確かにそうなんですけどね。それはそうなんだけど、なんだか「選ばれた知的世界の利口組二人がバカ組の問題点について嘆いている」という高所からの物言いが気になる。
確かに書いてあることはいちいちもっともで、わたしは「うん、そうそう」とか思ってしまうんだけど(こういうとき、自分が「バカ組」だとは思っていない)、でも「なんだかなー、うーん」と不安が心の通奏低音として響いているとき、わたしは自分が「バカ組」じゃないかと思っている。
で、この本は『先生はえらい』と同じく、コミュニケーション論でもある。コミュニケーションとアイデティティ論。これはある種、言い古された論なのでそれほど新鮮味はないのだが、それでもやっぱり納得してしまう。ありもしない「自分探し」なんてするなといわれれば、そうだよね、と首肯しているわたくし。
なんだかんだとお二人がいろんな教育の問題点についてしゃべってきて、いよいよ最後に処方箋らしいものを出そうという段になると、「これはもう祝祭しかない」という結論に落ち着く。
で、この「祝祭が大事だ」という結論部分、まっすぐに論が進むかと思えばやはり対談だけあって話があちこちする。またそれがおもしろい。内田さんは、「クリスマス・キャロル」と「忠臣蔵」の話題を持ち出してきて、日米文化比較論をぶつ。
アメリカ人は必ず一年に一回、ディケンズの「クリスマス・キャロル」みたいな映画を作るという。大金持ちの社長がある朝目覚めたら突然別人になっていて、「ここはどこ、オレは誰?」状態。大金持ちだったはずなのにふつうのサラリーマンになっちゃってて、最初のうちはなじめないけどそのうちだんだんこれもいいかなと思うようになる。で、また突然もとの世界に戻ってくるんだけど、今までとは違う価値観で生きようとする。というお話。これがアメリカ人は大好きで、きっとアメリカ文化の琴線に触れるんだろうというのが内田さんの分析だ。
「時間に限界があると知ったときに人間は善人になる」
おお、これって映画「天使のくれた時間」(ピピの映画評はここ)そのものやんか。あの映画はよかったわぁ。
さて、「個の身体性を共同体の中に拡大していくには、儀礼か祝祭のようなものが必要」という意味のことを内田さんは言ってる。例として挙げられるのが「よさこい」だったり岸和田のだんじり祭だったり。
要するに今の閉塞状況を突破する処方箋がここにあるんじゃないかと。
ふーん。なるほど。「祝祭」がはやってる。やっぱりこれからは「祝祭」なのか? しかし「祝祭の非日常性」という考えにわたしは抵抗がある。うまくいえないけど。ま、とりあえず「祝祭」の捉えかたについては保留。
仕事や家庭のルーティンに耐えられるよう訓練(しつけ)しなきゃだめだと内田さんは言うんだけど、それに対して名越さんは少しニュアンスの違うことをいう。ルーティンに耐えられる人と、そうでなくボロボロになる人がいて、同じように「耐えろ」とは言えないと。うん、これは名越さんの意見に賛成。
このあたりの議論は猿虎さんがこのところしきりに批判している『希望格差社会』につながっていくけど、長くなるのでいったんここで終わり。
あれ? 結局この本のどこがおもしろくなかったんだろう??(笑)
<書誌情報>
14歳の子を持つ親たちへ / 内田樹, 名越康文著. 新潮社, 2005.(新潮新書)