吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

テラビシアにかける橋


 子どもの想像力というのは実にたくましい。「パンズ・ラビリンス」でも少女が現実逃避して想像の世界に遊んでいる様子が独特の暗い映像美で描かれたが、この映画でも「テラビシア」という空想の王国に遊ぶ少年少女達が、その想像力を豊かに膨らませて悲しみを乗り越えていく。

 内気でいじめられっ子のジェスの隣家に超かわいい女の子レスリーが引っ越してきた。二人が通う小学校では8年生の女子が番を張っていて、下級生苛めに余念がない。レスリーの両親は作家で、レスリーも文才豊か。大人びた知的な魅力を発散するレスリーにジェスはすっかり魅せられて、二人は大の仲良しになった。二人が住む町は豊かに森が残る郊外の田舎町。小川にかかる縄にぶらさがって対岸へと毎日遊びにいく二人は、廃屋となったツリー・ハウスを自分たちの根拠地として、森の様々な妖精やモンスターと仲良くなったり戦ったりする日々を過ごしていた。そんなある日、突然の出来事で…


 ジェスとレスリーが生き生きと空想の世界でなりきってロール・プレイを演じている様がとても微笑ましい。昔、わたしもピーターマンごっこに精を出してすっかりなりきっていたものだわ、と懐かしい。そして、二人が生き生きしている分、突然の不幸があまりにも悲しい。子ども達は、小さな胸に抱えきれない悲しみをどのようにして乗り越えて行くのだろうか。現実から逃避し、なおかつ逃避した現実と向き合う力を与えたのは豊かな想像力だった。同じように、悲しみを乗り越える力もまた想像力が与えてくれる。この想像力は創造力がもたらすものでもある。

 振り返れば、わたしが思春期の頃、疾風怒濤の日々に胸に燃えさかるような憎悪や殺意をそのまま表に出さずに処理できたのも、創造の力のおかげだった。家族や社会に対する怒りや憎悪、なによりも自分自身に対する嫌悪を胸に納めきれないとき、わたしは密かに日記帳に向かって自分の気持ちを書きつづった。書くことがわたしの気持ちを抑え客観化を可能にした。もしあのとき、そのような理知の力が働かなければ、わたしは「理由無き殺人」を行う「理解不能な少女」の一人になっていたかもしれない。大人になった今、若者による「理解不能な殺人」を他人ごとのように客観視して批判することを自らにいましめる習慣ができているのも、それが決して人ごととは思えない理由があるからだ。殺人者はわたしであったかもしれない。あるいは自傷する少女たちはわたしであったろう。そのような「わけのわからないものにとらえられた不安や鬱屈」を、絵や文章や音楽に表現するこができればどれだけ多くの子どもたちが救われることだろう。この映画を見ながら、そのようなことを考えた。だから、ディズニー映画はバカにしてはならないのだ。この映画に描かれたような、子どもの想像力/創造力は、生きる力を確かに子ども達に与える。わたしたち大人は、その力を決して奪ってはならない。


 ついこないだ「ハプニング」で見たズーイー・デシャネルが教師役で登場していた。ずいぶんイメージが違う。役者ってやっぱり「化け物」ですね。

 涙のあとはほのぼのとした感動に満たされる佳作。(レンタルDVD)

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テラビシアにかける橋
BRIDGE TO TERABITHIA
アメリカ、2007年、上映時間 95分
監督: ガボア・クスポ、製作: ハル・リーバーマンほか、製作総指揮: アレックス・シュワルツ、原作: キャサリン・パターソン、脚本: ジェフ・ストックウェル、デヴィッド・パターソン、音楽: アーロン・ジグマ
出演: ジョシュ・ハッチャーソンアンナソフィア・ロブ、、ズーイー・デシャネルロバート・パトリック、ベイリー・マディソン、ケイト・バトラー