吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

田中コミマサの自伝はおもしろい

 次回の読書会、課題図書は保坂和志『生きる歓び』だが、保坂が田中小実昌に言及しているということなので、先にサブテキストたるコミマサの本を何か読もうと思いついた。だが、名前しか知らない田中コミマサ氏とはそもそもどういう人物なのか? 葉っぱ64(栗山光司)さんの読書指導に従って、手っ取り早く自伝を読んでしまおうということになった。

 んで読み始めたら、これがおもしろいことおもしろいこと。かなり長期間に亘って断続的に書かれたエッセイを集めたものだから、内容がところどころで重複しているが、とにかく抱腹絶倒の自伝エッセイなのだ。

 田中小実昌はおよそ物事をきちんと整序しようとか、人と競争して勝とうとか、時流に乗ろうとか思わない人だ。身体も頭もいつもだらけていたらしい。勉強はできても体育は苦手だし、軍事教練は最も苦手であり、なおかつ教師のいうことを聞かないから、前代未聞の落第点をつけられてしまう。

 ファシズムの時代を時流に乗らず飄々とええかげんにすり抜けた人間がこんな風に存在したことに、わたしはほっとさせられる。
 彼は一生懸命いい点を取ろうとか思わないから、兵隊にとられてからも真面目に皇軍兵士たらんとはしない。だから、この兵隊時代の描写が実に生き生きしておもしろく、抱腹絶倒ものだ。しっかし本当に若い男というのはこんなにいつもいつも「オ○○○」のことばかり考えているものなのだろうか? 若い男の子らしく性的好奇心にからだじゅうが張り裂けそうになっている風情も会話も爆笑ものだ。

<国のトップ集団のエリートたちは、「バスにのりおくれるな」みたいなことを言って、ドイツ、イタリアとの同盟にとびのり、太平洋戦争になる。……戦争にならないためには、「なまけもの革命」をおこさなければ、とぼくはしゃべってまわった。勤勉な、人に負けまいとする連中が戦争をおこす。戦争はたいへんにしんどい、くるしいことだ。だから、くるしい受験勉強をたのしんでるようなやつらが戦争をしたがる。……しかし、なさけないかな、なまけ者は革命なんて、これまたしんどいことをやるだろうか>

 本書の冒頭に置かれたこの↑コミさんの言葉がいい。そして、実際、苦しく辛い中国戦線の日々を生き抜いて復員した兵士の物語は、凄絶さよりもむしろユーモアが色濃く漂うその筆致が魅力的だ。中国にいる間、ずっとコミさんたちの部隊は行軍しているのだが、一度も敵兵を見かけたことがないという。そして、兵士たちは銃弾に倒れて死んだのではなく、ほとんどが病死か餓死だった。名誉の戦死といわれても、その実態は飢え死にか過労死・病死だ。栄養失調から簡単に病気に罹って死んでしまうその姿は哀れというか悲惨というか、人間の尊厳だの皇軍の誇りだのとは無縁のところにある。虱にたかられ体中をかきむしりながらコレラ赤痢マラリアにも罹ったというのに、コミさんは生き延びる。その生命力には脱帽だ。

 敗戦の翌年日本に戻ったコミさんは東大に復学し(なんと、田中小実昌は東大生だったのだ)たが、どういうわけかこの自伝には学問の話がまったく出てこない。どうやらコミさんは最初からドロップアウトしてちっとも大学へは行かずにストリップ劇場で働いたり米軍の施設で働いたりと、もっぱら風来坊のような生活をしていたようだ。

 そして、せっかくいい仕事にありついても、彼はとにかく変人だしきちんとしたことが嫌いだし、
「だれだって、ぱりっとした、きれいなユニホームをほしがる。ところが、ぼくはだれだってではないんだなあ。ぱりっとしたものなんか、どんなものだって好きではない」
という性格だから、すぐにクビになるのだ。

 ところで、この自伝には何かが隠されている。戦争中の話でも戦後の放浪時代の話も、薄膜を通してコミさんの姿を見ているような気分になる。例えば、中国戦線で彼は一人の敵兵も見ていないというが、では実際に銃を人に向けて撃ったことはないのだろうか? つまり、彼は「人を殺した」という実感なく敗戦を迎えたのだろうか?
 あるいはまた、いつの間にか結婚していることになっている妻との馴れ初めがきちんと書かれていない。コミさんが自伝のつもりで書いたわけでもなさそうなこのエッセイには、たぶん余計なことは書かれていない。だからこそちょっとつかみどころのないその田中小実昌の「全体像」を知りたいという欲望がむらむらと沸き起こってくる。

 田中小実昌のような生き方は凡人の憧れだ。フーテンの寅さんみたいに日本中を旅し、あちらこちらで女性とねんごろになり、なににも縛られず、立身出世を夢見たりせず、いい加減に生きる。わたしは彼の生き方を笑いながら読むけれど、そのあとでため息が出てしまう。

 無理やで、これは。コミさん、凡人はあなたの生きかたをうらやましいと思うけど、でも真似したいとも真似できるとも思っていないよ。

 彼のようにいい加減な生き方が許されるのは才能のある人間だけだ。彼の真似をすれば普通の人間はホームレスになるしかない。それでもよしとするならいいだろうが、わたしにはそんなことはとうてい無理なので、今日も通勤電車に揺られながら粛々とまじめに会社に通い、「きちんとした」生活をしている。

 競争社会を心底批判できるのは異様に上に突出した人間か、さもなくば完全に落ちこぼれた(落ちこぼれることを選択した)人間だけなのだ。凡百の人々はひしめき合って肩身の狭い世の中をなんとか渡っていく。いやおうもなく競争と効率の論理に巻き込まれながら。

 だからこそ、凡人であるわたしはコミさんの次の言葉がとても気に入ってしまう。わたしだってできることならだらだら歩いていきたい。でもやっぱりきちんとしていないと不安になるの。困ったもんや。

「戦争も流行だ。こんな危険なしんどい流行にまきこまれぬよう、ぼくたちはおくれていこう。おくれて、だらだらあるいてるほうが平和だもの」


 この文章をいつのまにか短くしてbk1に投稿してました。
 全然記憶にございません(笑)。酔っ払いってこわいっ。