吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

小川洋子の2作

「とみきち読書日記」のとみきちさんが的確に指摘するように、この小説は「日常からかけ離れ、時がとまった、死と隣り合わせの世界。大事件は起こらず、声高に主張する人もおらず、しんとした、生と死のみに支配される現実」を描く。

 タイトルが『ブラフマンの埋葬』なのだから、ブラフマンは死ぬのだ。予定された死を待つブラフマンという小動物がこの作品のいっぽうの主人公といえる。

 この小説ほど、「書かないことによって伝える技」に長けた作品も少ないだろう。そもそもブラフマンってなんなのか、主人公「僕」は誰なのか、何歳なのか、なぜ<創作者の家>という別荘の管理人をしているのか、まったく何の説明もない。いや、説明はある。ブラフマンは森から迷い出た小動物であること、茶色い毛と長いしっぽをもつこと、チョコレート色の大きな目をしていること等々。けれど、最後までブラフマンについて作家は名指しを避ける。これが何者なのか、作家は描かない。だが、このブラフマンが主人公「僕」にとってかけがえのないパートナーであることは痛いほど伝わってくる。

 そして、この小説には擬音語がいっさい登場しない。擬態語もたぶんないと思う。主人公の一人称小説であるにかかわらず、感情描写はいっさいない。悲しい寂しいつらい楽しい嬉しい、それらの言葉は慎重に避けられている。
 それでもなお、いやそれゆえにこそ読者は主人公の孤独も悲しみも恋心もすべてを知っている。ブラフマンが死んでも「僕」は泣かない。いや、泣いたかもしれないが、そのような描写はない。けれど、読者はブラフマンの死に感情移入して泣くだろう。

 これは見事な寓話だ。無駄な言葉が一語もない。そぎ落とされた小説空間。堪能した。
 唯一の欠点はラストだ。あっけなさ過ぎる。もっと読んでいたいという読者の欲望に火を付けたままこのような終わり方をするのはズルイ。


 小説が発表された順とは逆に、「ブラフマン」の次に「博士の愛した数式」を読んだ。数学に、いや、数字にこれほどの愛を語った作品がかつてあっただろうか? 素数を愛した数学教授が、どれほどの絶望的な孤独の中にあったか、その孤独を見守り続けた家政婦母子のやさしさと共に、奇矯な人であった変人博士のやさしさが思いっきり伝わる作品だ。

 60歳を過ぎた博士は数学の天才でありながら17年前の交通事故によって脳を損傷し、80分しか記憶が保たなくなってしまった。まるで映画「メメント」みたいな博士なんだけど、問題は「わたしの記憶は80分しか保てない」ということすら忘れてしまうということ。だから博士は体中にメモを貼り付けている。これって、「メメント」の主人公が体中に入れ墨をいれたのと同じね。
 「メメント」がサスペンスだったのに引き替え、こちらは、80分しかもたない記憶にたよって人は人と繋がれるのか、という大難問を扱ったヒューマン・ドラマだ。

 この小説にはいくつもの愛が描かれている。そして、描かれずにほのめかされた愛もある。やっぱり小川洋子という人はうまい。お奨めの逸品。しみじみします。


<書誌情報>

ブラフマンの埋葬 / 小川洋子著. -- 講談社, 2004

博士の愛した数式 / 小川洋子著. -- 新潮社, 2003