吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ONCE ダブリンの街角で


 男女二人が力を合わせて曲作りに励むという展開は「ラブソングができるまで」と同じなのに作品のテイストはまるで違う。その理由は、この映画がダブリンの就労困難層の若者を主人公としているからだ。「デート」したくても、「仕事があるの」と女に断られてしまう男。彼女はチェコ移民で、街頭花売りや家政婦をして糊口をしのいでいる。今時花売り娘なんているのかと驚くが、ダブリンにはほんとにいるのだろうか。一方の男は、もはや若者とは言い難い年になってもまだメジャーデビューを夢見ながら毎日街頭に立つストリート・ミュージシャン。今日もやっと稼いだ小銭をけちな泥棒に危うく盗まれるところだった。 

 というように、映画のトーンはかなり暗くて、身につまされるような貧困層の暮らしが映し出される。しかし、名も無きストリート・ミュージシャンのオリジナル曲は確かに覚えやすくメローなラインが親しみやすい、ヒットしそうないい歌なのだ。日本人にはものすごく親しみやすいので驚くばかり。日本のフォーク&ポップスと同じような曲作りは、「これ、パクリちゃうのん?」と思うほどだ。

 一方の女はチェコからの移民で貧しい暮らしをしているのにもかかわらずクラシックのピアノ曲を弾けるということは、かつてはそれなりの生活をしていたことを彷彿させる。映画は、彼らの過去についてはほとんど描かない。ただ、彼には別れた恋人がいて、いまだに未練のある彼女のことを彼は歌っている、ということだけが観客に知らされる。いっぽう、女のほうもまだ若いのに子どもがいて、夫とは別居中であることが本人の口から徐々に語られる。 

 街で偶然出会って、音楽という共通項をもった男と女は果たして恋人になるのだろうか? 女には夫がいるのに? 男には別れたとはいえ、まだ心を残す女性がいるというのに? この二人はこの先どうなるのだろう。微妙な距離を保ちつつ、けれど、確かに心と心を通わせていく男と女。その関係には信頼や優しさが満ちている。だが、男はメジャーデビューを目指してロンドンへと旅立つのだ。 

 物語は結末を描かない。すべてが宙づりのまま、若者たちの不透明な未来を観客の想像力にゆだねたまま、アイルランドの不安定な現状とかすかな希望がほの見える未来を映し出す鏡のように幕を閉じる。

 この映画は、限りなく低予算で作られたドキュメンタリータッチの作品だ。独特の暗さと音楽の心地よさを漂わせている。若い女が掃除機を引きずって街を歩くシーンなど、驚くようなユーモアのセンスにもあふれていて、なかなか小気味よい。しかし、ちょっとした佳作、といった程度の域を出るものではない。(レンタルDVD)

------------

ONCE ダブリンの街角
ONCE
アイルランド、2006年、上映時間 87分
監督・脚本: ジョン・カーニー、製作: マルティナ・ニーランド
出演: グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロヴァ、ヒュー・ウォルシュ、ゲリー・ヘンドリック、アラスター・フォーリー