スキー旅行の往復のバスと飛行機の中で読了した小説。1997年度直木賞受賞作。
この作品は、中堅損害保険会社に勤める5人のOLたちの群像劇。実に痛快爽快で、522ページあるけれども長さを感じさせない。「ジハード」とは、会社の中で行き場のない女性社員たちの、新たな旅立ちへ向かうそれぞれの「戦い」である(本のタイトルに「ジハード」とつけるなんて、イスラム教徒への冒涜ではないかと夫は難癖をつけていた)。
登場する5人がそれぞれに個性的ではあるのだが、彼女らはある類型化された女性像に過ぎない。一人一人の行動パターンは読者の予想を裏切ることはないし、彼女らの成長物語のその飛翔の仕方も、格別目新しいものはない。むしろ、現実世界で日々生起している現状を追認した叙述でしかない。にもかかわらず、おもしろいのだ。それは例えば3高の結婚相手を探すためにあらゆる奸計をめぐらすリサという女性がとてもユーモラスに描かれていたり、30歳を過ぎて職場で浮いた存在になりつつある康子の優しさや悔しさが胸に迫る筆致であったり、キャリアアップをめざす沙織のあせりや野心や夢が手にとるように伝わってきたり、……と、主要な登場人物たちを作者がきっちりキャラ立てて作り上げているからだ。
さらに、競売物件を落札しようとするヤクザな男達の実態や、有機農業をめざして脱サラ奮闘する男のくらし、企業の社会的貢献を目指してボランティア活動を広報の一環に位置づける会社の実態、などなど、豊富な取材に基づく描写がリアルで興味をそそるのだ。やはりプロの作家は、読者を飽きさせないだけの状況提示が巧いし、どんなにステレオタイプだのありきたりだのと思われても、結局最後まで読者を物語に惹き付けてしまう。実に巧みだ。
登場人物が5人いるために、読者は必ずその誰かに自己を投影して感情移入することが可能だ。男に頼らず自分ひとりの力で生きていこうとする上昇志向の強い沙織が、最もわたしに近いキャラかなと思ったが、計算高く男をあさるリサにも意外に近いものを感じる。わたしは3高男を探したりしなかったが、結婚に「恋愛」以外のファクターを求めた姿勢は、リサと同じではないかとどきりとする。「売れ残っている」という自覚と達観とあせりをもつハイミス(死語)康子にだって共感を覚える。彼女たちの生き方のどれもがわたしとは違うのに感情移入が容易い理由は、篠田節子の文体が簡潔でリズミカル、そしてユーモアをふんだんに醸し出しているから、そしてなによりも彼女たちへの愛を感じるからだろう。
ところで、この作品に登場する女性達はすべて会社を見限ってしまう。彼女たちの未来は会社の中にはない。それぞれの脱出の仕方は結婚であったり留学であったり起業であったり様々だが、とにかく、今彼女たちがそこを足場にしているはずの職場がなんの価値もないものとしか見られていない。OLを腰掛けだの職場の花だのとあざ笑ってきた男達の論理を、彼女らもまた内面化しているといえる。自分たちの職場を自らの手で改革しようという変革の志はまったくと言っていいほどこの小説の中には見られない。確かに女達の成長物語ではあるが、それは女達の自己変革を意味し、内面の価値観の転換を意味する。決して社会変革(職場変革)へとは向かわない。
そんなのは当たり前なのかもしれない。今時、社会変革をめざすような女達の姿を描いても現実味がないのかもしれない。多くの読者の共感を惹きつけることもできないのかもしれない。今はこういう小説がうけるのか、と思いながら読み進め、確かにおもしろいとは思うけれど、どうしてもその点に不満が残ってしまう。また、娯楽作の域を出ない表層的な描写にも不満が残る。やはりわたしは暗くて重い純文学が好きなんだなあ。
5人のOLたちはまったく普通の女性だ。とりたてて才能があるわけでもなく、新しい生き方を模索しているわけでもなく、猟奇的な事件に巻き込まれるわけでもない。それにもかかわらず、作者は
「世の中に「普通のOL」などという人種はいないし、「普通の人生」もない。いくつもの結節点で一つ一つ判断を迫られながら、結局、たった一つの自分の人生を選び取る」と言う。
本作は、「普通のOL」という一言で片づけられてしまう、有象無象の一人に過ぎない女たちへの、熱い応援歌だ。爽やかな読後感がとてもいい。
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女たちのジハード
篠田節子著 集英社 200年(集英社文庫)