なんで今までこういう本がなかったのだろう。
目から鱗が落ちるとはこのことだ。本書の問題意識は極めて明確、明快、そして鮮やか。<朝鮮半島についての先入観を一切捨ててみたら、どう見えるだろう>。テーマはこれだけ。
どうして日本人は、朝鮮半島について語るときに、ほかの国のように「普通」に語ることができないのだろうか。スリランカやモロッコの歴史を学ぶのと同じような態度でなぜ朝鮮半島のことを考えられないのか? と、著者は問う。
本書は、朝鮮半島に興味をもった学生相手に語るという文体で一つずつ順に著者の「講義」が開陳されていく。
いま、巷間、朝鮮半島に関する肯定・否定両方のステレオ・タイプ言説がまかり通っている。それらは思い込みによって導かれた論であり、不毛な論争が展開にされているにすぎないということを、著者は具体的な数字を挙げて論証する。
まずは、朝鮮半島の大きさ、人口から。朝鮮半島は小さいのか? 地理的にも、経済的にも韓国と北朝鮮はほんとうに小さな国か? GDPは、軍事費は? そして、朝鮮半島は小国だから植民地にされたという思い込みも本当だろうか? それを明らかにするために、著者は植民地時代の人口統計を引用する。
日本と朝鮮半島は運命共同体か。グローバル時代になぜ朝鮮半島が運命共同体といえるのか。単に地理的に近いという以外に韓国や北朝鮮が日本と特別な関係を結ぶという意味は本当にあるのか? 朝鮮半島についてだけ、なぜ特別視するのか?
「サッカーの試合を観に行ったはずなのに日韓友好についてしか語らない人や、自分の最愛の人を語るときに「私の妻は朝鮮人だ」としか表現できない人は、どこか不自然だ。それは、彼らがサッカーの試合そのものや愛するその人を見ていないからだ。彼らが見ている尾は、試合や最愛の人の背後にイメージされている朝鮮半島、しかもステレオタイプと化した朝鮮半島の姿だ」55p
このように、著者は繰り返し「ステレオ・タイプ」や「思い込み」を批判し、具体的に反論していくのだ。
たとえば、朝鮮人は強い民族意識を持っていると思われているが、それは本当だろうか。
歴史的に見て、激しい民族闘争が行われてきたのだろうか? それについても、植民地下で起こった反帝闘争を他の植民地での闘争と犠牲者の数を比較して述べていく。朝鮮での反日運動は、一時的に激しくなっても、すぐに消滅してしまうというのが著者の結論だ。それについては、血なまぐさい弾圧だけが闘争敗北の理由とは思えないという。彼らは、強い民族意識を持っていても、しょせんは大国にかなわないという諦めをもってしまうのだ。「朝鮮半島の人々の中には、民族意識と「小国」意識が同居している」(99p)
植民地支配についての賛否両論の評価についてはどうだろう。確かに日本の植民地下において経済発展したけど、政治的権力がなく外国人に支配されているという状況が果たしてよいことだろうか。自分が当時の朝鮮半島に暮らしていたらどう感じるかを考えてみることだ。それが判断の基準になるはず、と著者はいう。
そして、植民地支配が終わって半世紀がすぎてもいまだに朝鮮半島との関係がこじれているのは、「和解の儀式」ができなかったことに原因がある。朝鮮は自力で解放されなかったし、日本は朝鮮人に負けたとは思っていない。そこに不幸なボタンの掛け違いがあるという。
【私たちは、「過去」にかかわる問題がなんらかの方法により解決可能だと安易に考えるのではなく、「過去」にまつわる議論とともに生きなければならないという「現実」を覚悟する必要がある】(146p)
最後に、北朝鮮についての考察が述べられる。飢餓が国を崩壊させるか? それはありえないというのが著者の結論だ。人はお腹が空きすぎたら、首都へ出かけてデモするよりも食糧を求めて亡命するほうを選ぶ。飢餓によって政治体制が崩壊するなどというのは誤りだというのが著者の見方だ。そして、最近の「北朝鮮が目指しているのは体制の保障を得ることであり、経済援助は二の次だ」から、北朝鮮がこわいのはアメリカによって体制を潰されることである。ただし、今後、北朝鮮の体制が崩壊するのかどうか、なんてわからない。わからないことの理由は情報が少ないから。少ない情報で安易に結論を出すな、と。
なるほど、専門家でもやっぱり判らないことは判らないのだ。
ここまで、著者は様々な統計を駆使して「韓国人は」とか「日本人は」などというものの言い方をしてきたのだが、最後に、「どこにもいない「平均的で典型的な韓国人や朝鮮人」など探すな。一人ひとりの現実を受け止め、多様な現実をそのまま受け止めること」が大切だと述べている。わたしがもっとも共感したのはこの部分だった。
本書は、朝鮮半島に反ついて考える格好の入門書・啓蒙書だ。ただ、これを読んだからといってそれほど革命的に見方や考え方が変わるわけではないというところが残された問題だろう。なるほど、数字を挙げて具体的に論証された部分についての偏見や謬論については正せるかもしれない。しかし、数字や事実で揺らがない人々の感情や意識、主義主張というものもまた確かに存在する。
「「交流による解決」という魔術を信じて半ば人任せにして放置すること」(146p)は、決して日本と朝鮮半島の人々にとってよいことではない。本書はあくまで入門書なので、「残された問題」についてはまた別のところで考察していく必要があるだろう。
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