吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

バビ・ヤール

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 1941年6月、ドイツは突如としてソ連国内に侵攻し、ウクライナを占領した。そして9月29日から30日にかけて、キエフ郊外のバビ・ヤール渓谷でドイツ軍によるユダヤ人大虐殺事件が起きる。33771人のユダヤ人が殺されたのだ。本作は当時の映像を使ってこの大虐殺事件に至る経過を再現する、恐るべきドキュメンタリーである。

 この事件のことは長らくタブーだったという。キエフ郊外に住んでいたロズニツァ監督は、近くの森にユダヤ人墓地の跡地があり、モニュメントが作られようとしているのを知って両親にここで何があったのかを尋ねたが、明確な答えが返ってこなかったという(劇場用パンフレットより)。 

 本作はまるでフレデリック・ワイズマン監督の作品のようだ。いや、ワイズマンは目の前で起きている出来事をただひたすら記録していき、一切のナレーションを入れないという作風だが、ロズニツァ監督の場合は過去の記録映像を繋いでいく、というように手法が異なっている。なのに二人の作風が同じように感じてしまうのは、どちらも文字やナレーションによる説明を極端にそぎ落とし、ひたすら目の前の出来事(それが過去であっても現在であっても)に観客を釘付けにする力がある点が共通しているからだろう。ワイズマンは自身が撮影した映像を使い、ロズニツァは過去の映像アーカイブズから記録を掘り起こして編集していく。だからワイズマンは記録者・観察者であり、ロズニツァは編集者なのだ。

 このユダヤ人虐殺事件は、ユダヤ人を連行して収容所に収容したという話ではなく、キエフに住む全ユダヤ人を殺害するためにバビ・ヤールに連行してすぐさま銃殺して埋めたというものである。なぜ当時の映像が残っているかといえば、ウクライナを占領したドイツ軍が記録していたからだ。ロシアのフィルムアーカイブ、ドイツ連邦公文書館ウクライナアーカイブズ機関に残っていた映像と個人が所有していたものを発掘して使用した。

 恐ろしいことに、ウクライナがドイツ軍に攻撃されキエフが占領された時、拍手を以てドイツ軍を迎えたウクライナ人が大勢いたことだ。嬉々としてスターリンの肖像幟が引きずり降ろされ、代わりにハーケンクロイツが翻る。スターリンヒトラー、いずれも20世紀最悪の独裁者として悪名を馳せたわけだが、キエフの人々はスターリンよりもヒトラーを頂きたがったということだろうか。そして、ドイツ軍が撤退した後の戦後処理までこのドキュメンタリーは追っている。それは、殺害現場であるバビ・ヤール渓谷を埋め立てる映像である。ここでわたしは”記憶の忘却”という罪に愕然とする。

 この映画については簡単に語ることができない。もう一度二度見直して、さらに新たな発見や想起が必要だ。これもアーカイブズ映画の一つといえるだろう。実際のアーカイブズ(記録資料やその保管庫)が映し出されるわけではないが、それらの存在がなければこの映画は作れなかった。

 パンフレットにはバビ・ヤール・ホロコースト・メモリアル・センターのことが記載されていたので、Webサイトを探してみた。英語で検索をかけたら見つかったのがこれ。Babyn Yar Holocaust Memorial Center

 2025年か26年に博物館を開館するためにその準備中ということで、寄付を募っている。しかしロシアの侵攻でそれもどうなるのだろう。

 2021
BABI YAR. CONTEXT
オランダ / ウクライナ  B&W/C  121分
監督:セルゲイ・ロズニツァ
製作:セルゲイ・ロズニツァ、マリア・シュストヴァ
脚本:セルゲイ・ロズニツァ
編集:セルゲイ・ロズニツァほか