吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ジョーンの秘密

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 非常に興味深く見ることができた作品。事実に基づくと言いながら、ジョーンの人生についてはかなり創作されているようだ。

 主人公ジョーン・スタンリーは年老いて夫に先立たれ、静かに一人暮らしをしていたが、ある日突然逮捕される。それは50年以上前にソ連に原爆開発の資料を渡していたというスパイ容疑だった。取調室で供述するジョーンの現在と過去の回想がシームレスに綴られていく。ジョーンの傍らには弁護士である息子が付き添うが、母の正体を知らなかった息子ニックは混乱し、母を責める。しかしジョーンは「わたしは何も悪いことはしていない」と開き直る。

 現在の老いて生気のなくなったジョーンをジュディ・デンチが演じ、若く賢く美しい時代をソフィー・クックソンが演じる。どちらも力演・熱演であり、スリリングで緊迫感のある展開だ。この映画を観終わってから「史実」のほうをWikipedia(英語版も含めて)で確かめたのだが、ジョーンのモデルになった女性の学歴や家族、職業生活についてかなり変更してあることがわかった。何よりも「史実」のほうでは彼女は共産主義者であり、ソ連を支持していたので長年にわたるスパイ活動を行っていたわけだが、映画(小説)のほうは彼女がソ連を支持しているわけでも共産主義者でもなく、平和のために行ったことだとされている点が大きく異なる。

 さらに、スパイ物語というよりもロマンスの側面が大きな比重を持つように変更されていることにより、読者や観客の興味をそそるように意図されている。このような作話が成功しているのかどうかは受け取る人によると思うのだが、「愛と平和のために重要機密を盗んだ」と言われるよりもむしろ、「共産主義者として自分の信念に基づいて命がけで機密を盗んだ。共産主義者にとって祖国はない。プロレタリア国際主義万歳」と言われるほうが説得力があると、わたしは思う。というのも、ここで描かれる愛にはそれほど命をかけるほどの強さが感じられないからだ。なので、映画ではそれほど「愛」については深堀していない。

 それよりも、ここで作者が提起しているのは、「核抑止力」という問題である。実際に50年以上、核兵器は使われなかった(今では80年近く、と言える)し、長崎以降に核爆弾を投下された都市はない。平和共存というソ連の戦略を肯定する意見をジョーンも語っているわけだ。それが歴史を振り返って正しかったのかどうか。その重いテーマがずっしりと心に残る。

 史実を元に小説を書いた原作者やそれを元にこの映画を作った製作者たちが史実のどこを変えたかにわたしは関心を持つ。ジョーンをオクスフォード大学首席卒業の優秀な学生に変え、原爆開発の現場で物理学の知識を持つ女性として描いた点は現代的なアレンジだ。恋した男に影響されて流されただけではなく、自らの意志を強く主張している点もしかり。

 ラストで息子と手を取り合って記者会見に臨んだジョーンの不敵にも見える笑顔、これが忘れられない。(Netflix

2018
RED JOAN
イギリス  Color  101分
監督:トレヴァー・ナン
製作:デヴィッド・パーフィット
原作:ジェニー・ルーニー
脚本:リンジー・シャペーロ
撮影:ザック・ニコルソン
音楽:ジョージ・フェントン
出演:ジュディ・デンチ、スティーヴン・キャンベル・ムーア、ソフィー・クックソン、トム・ヒューズ、ベン・マイルズ、テレーザ・スルボーヴァ