吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

17歳の瞳に映る世界

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 原題の「NEVER, RARELY, SOMETIMES, ALWAYS」は質問への四択回答を示す。「まったくない、めったにない、時々ある、いつもある」。その四択を選ぶように促す質問は、17歳の少女が直面するには厳しすぎる現実を表出して余りある。

 17歳の従妹同士がペンシルベニア州からニューヨークへと長距離バスでやってきたのは、妊娠中絶手術を受けるため。地元では親の許可なく手術を受けられないが、NYなら彼女たちを助けてくれるクリニックやNPOがある、という情報を得て、二人は助け合って親に内緒で家を出たのだった。大きなスーツケースを転がしながら。

 妊娠したのはオータムで、それを知って彼女と行動を共にするのは従妹のスカイラー。二人は共にスーパーのレジ打ちバイトに勤しむが、性格はかなり異なり、無口で愛想のないオータムと気さくに誰とでもしゃべるスカイラーはある意味、凸凹コンビだ。台詞の少ない映画だが、彼女たちの顔のアップが多いため、二人の視線による演技が印象的だ。スーパーの男性上司にされる気色の悪いセクハラ、高校の男子たちからの揶揄の言葉、クリニックでは中絶は罪だというビデオを見せられ、たくさんの不快と不安をその瞳に宿しながらもオータムは気の強い子なのだろう、果敢に現実に立ち向かおうとする。

 しかし、所詮は知識も知恵もない17歳の少女なのだ。いったい彼女たちに何ができるだろう? 精一杯の勇気を振り絞って二人がやってきたのはNYの街。知り合いもいない、お金もない。ないないづくしでこの危険な町を少女二人がさまよう。映画を見ているこちらはもう心配でしょうがない。大丈夫かこの二人。あー、いわんこっちゃない、怪しい男が近づいてくるやんか! もう、ハラハラしっぱなしでさらには腹立たしくもなる。オータムの妊娠に責任を持つ男はどこにいるのか。なぜ彼女は相手の男に一言も相談しないのか。その理由はわからないが、手術を前に質問されたことに答えているうちに感情があふれてしまうオータムを見ていると、事情が想像できる。この緊迫感あふれる静かなクライマックスは特筆すべき場面だ。ここで、この映画の原題である4つの言葉が繰り返される。

 オータムのたった一人の友達である従妹のスカイラーとは女どうしの固い友情で結ばれているのだが、それでも不安にかられ、ついつい衝突もしてしまう。二人の足取りをリアルに追いかけるアップ多用のカメラは、観客を彼女たちと同一化させ、その心に共振させる。

 中絶を受けるクリニック前の道路ではカトリック教徒たちが中絶反対の抗議スタンディングを行っている、そんな様子を横目で見ながらクリニックに入っていく二人の気持ちや、カウンセラーの女性が「あなたを守りたいの、質問に答えてね」と励ます様子は、いちいちの説明がなくとも観客にストレートに響いてくる。

 この映画は多くを語らず、しかし多くを考えさせる。たった17歳で世界を背負わされた女の、悲しみと不安と心身の痛みと、そして強い意志を静かに描く。少女たちがつないだ手の感触を、観客もまたしっかり感じ取ることができるだろう。多くの人に見てほしい。「4ヶ月、3週と2日」以来の地味な傑作。

2020
NEVER RARELY SOMETIMES ALWAYS
アメリカ / イギリス Color 101分
監督:イライザ・ヒットマン
製作:アデル・ロマンスキー、サラ・マーフィ
脚本:イライザ・ヒットマン
撮影:エレーヌ・ルヴァール
音楽:ジュリア・ホルター
出演:シドニー・フラニガン、タリア・ライダー、テオドール・ペルラン、ライアン・エッゴールド、シャロン・ヴァン・エッテン