吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ジュリア

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 劇場公開された当時にわたしは映画館で本作を見たのだが、その時は列車のシーン以外はさほど感動することがなかった。それから40年以上を経て、今見たらどう思うだろうという好奇心に駆られて再見してみた。さらに原作小説も読んだ。これは原作と映画とどちらがいいかと聞かれたら、「映画」と答えざるを得ないが、しかし原作も捨てがたく淡々とした味わいがある。

 その淡々とした自伝的小説を映画にした瞬間にジンネマン特有のサスペンスに仕上がっているのがさすがだ。とりわけ列車で主人公リリアン・ヘルマンがジュリアのお金を運ぶシーンの緊迫感はえもいわれない。アカデミー賞脚色賞を獲ったのもうなずける、脚本が実にしっかりしている。それから、アップに堪える女優二人の美しさも特筆すべき。美人女優という売りではなく、緊迫感に満ちて輝く女性という与えられた役目をしっかり演じきっている二人が素晴らしい。

 ただし、わたしが疑問に思ったのは、ジュリアが親友リリアンの愛情を利用して自分たちの反ナチ活動に彼女を利用しただけではないのか、ということ。いかに正義のためとはいえ、同志でもない幼馴染を利用して危険な運び屋になってくれと依頼するとはどういうことだろう? パリからロシアに旅行に行くリリアンがわざわざドイツの町で途中下車するという不自然さ、しかもユダヤ人であるリリアンにはどれほど危険なことだろう? 1937年にユダヤ人がドイツを経由していくことの命懸けの旅を、ジュリアがろくな説明もせずに幼馴染リリアンに依頼するなんて、そんなことはわたしならできない。親友だからこそやってはならないと思う。しかし、リリアンは危険を顧みずジュリアの依頼にこたえる。

 この映画では、女性二人は親友で幼馴染であるが、それは単なる友情を超えたものを匂わせている。つまり、二人は同性愛(肉体関係があったかどうかは不明)の関係にあったということだろう。成功した劇作家になるリリアンはこの映画に登場した時点ではまだスランプに陥ってイライラしている駆け出しの作家という描かれ方だ。そのパートナーであるダシール・ハメット(「マルタの鷹」などで知られる)は包容力ある作家で、スランプのリリアンに様々なアドバイスを与えている。演じたジェイソン・ロバーズはこの役でアカデミー賞助演男優賞を獲得している。慈愛に満ちた人物を演じて、強い印象を残した。

 この映画のヴァネッサ・レッドグレーブは本当に美しくて驚いた。しかもたいそう力強く、存在感が画面に横溢している。彼女もこの映画で助演女優賞を獲っている。なぜジェーン・フォンダが主演賞を獲れなかったのか不思議だったのだが、この年は「アニー・ホール」のダイアン・キートンに持っていかれたのだった。なるほど。

 後年、リリアン・ヘルマンはハリウッドの赤狩りに抗して声明文を読み上げ、決して仲間の名前を当局に売らなかったことで知られている。しかし、『ジュリア』大石千鶴訳、早川書房、1989年(ハヤカワ文庫)の「文庫版訳者あとがき」によれば、実話という触れ込みのはずの「ジュリア」が実は嘘かもしれないという。ジュリアには別のモデルがいたという報道がなされたのだ。真実がなになのかはわからないが、もしこれが作り話としたら、そうまでしてリリアン・ヘルマンは自分をどのように見せたかったのだろう。彼女にとってのジュリアとはいったい誰だったのだろう。

 原作と映画と、それぞれ別のものとして二回も三回も楽しめそうである。(レンタルDVD)                                                 

1977
JULIA
アメリカ Color 118分
監督:フレッド・ジンネマン
製作:リチャード・ロス
原作:リリアン・ヘルマン
脚本:アルヴィン・サージェント
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ジェーン・フォンダ ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ジェイソン・ロバーズ、マクシミリアン・シェル、 メリル・ストリープ