吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

狼をさがして

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 3度目の緊急事態宣言のせいで、大阪の映画館はほとんどが休業中だが、この映画を上映しているミニシアター「シネ・ヌーヴォー」は開館中なので、ぜひ映画館で見てほしい。

 「狼」とは、1974年に三菱重工ビルなどを爆破した東アジア反日武装戦線のグループ名を指す。この映画の監督は韓国人だが、釜ヶ崎でドキュメンタリーを撮っているときにその存在を知り、「狼」たちのことを知りたいと思ってインタビューを重ねる旅にでた。果たして狼は見つかったのだろうか。

 東アジア反日武装戦線について、特に大道寺夫妻について知りたければ、松下竜一の名著『狼煙を見よ』や大道寺将司『明けの星を見上げて』などの獄中記を読むことを勧める。この映画は、そういう基本情報を知っている観客からすれば、物足りない。事件から何十年も経っている今こそ、被害者や遺族の声を知りたいと思うのだが、そういったインタビューがない。ここが残念だ。

 しかし、ネットにあふれる空疎な「反日」という言葉の真の意味を奪還しようという試みの始まりではないか、という期待も一方で抱かせる。大道寺たちの闘争は誤りであったと本人もすでに認めている通り、爆弾闘争は決してやってはいけないことだ。なぜ彼らは間違えたのか? 何を間違えたのか? その問いかけが今、再び始まった。

 大地の風景が車窓から広がる北海道の美しく雄大な画を見ながら、「この映画はいったい何なのだろう、なんと牧歌的な風景を切り取っているのだろう」とわたしは不思議な感覚にとらわれていた。狼は見つかるのか? どこまで行けば狼たちは見つかるのだろう。大道寺将司は既に亡く、妻のあや子も海外に逃亡したまま生死も不明だ。

 心優しき若者たちが犯した罪は、日本帝国軍がアジアの人々を殺戮した罪に比べれば大過ではない? そうだろうか。2000万人を殺した罪と、8人を殺した罪を秤にかけられるだろうか。たった一人のかけがえのない人の命を数字で数えないでほしい。わたしの頭はぐるぐる回る。

 高度経済成長の時代に、三菱重工などの「海外進出企業」を現在の日帝の侵略企業と定義し、そこに働く労働者は侵略の手先であると短絡的に規定した東アジア反日武装戦線の見方は間違っていなかったか? 実際に亡くなった8人は三菱の社員だけではなかった。400人近い負傷者の中には後遺症を負った人もいたことだろう。よしんば三菱の社員だったとして、その人の命が奪われてもいいのか?

 この爆破事件の失敗を彼らなりに総括した結果、以後1年間に及ぶ爆破事件では死者は出ていない。しかし。

 この映画を見た人たちの感想をネットでいくつか読んだ。否定的な意見を書いている人たちには製作者の意図はまったく伝わっていない。これほど微妙な題材なのだ、映画だけではわからないことが多すぎる。だからこそ、本を読んでほしいと切に願う。わたしたちは先の戦争で誰が加害者だったのか被害者だったのかを知るべきである。そして、それはそれほど単純に分けられることでもない。と同時に、この爆破事件の被害者とはどういう立ち位置を持った人々だったのかを知るべきではないだろうか。そして、東アジアの人々に心を寄せ、自らの加害者性に敏感であった東アジア反日武装戦線の若者たちが、アジアの被害者の代弁者たらんとしたこと自体に間違いはなかったのか? サバルタンは誰なのか。

 かくのごとく、いくつもの思考が刺激される作品であった。狼は「見つかった」わけではない。本作の中で暴力の意味を指摘する池田浩士氏の短いインタビューでは語り切れない、国家の暴力とそれに抗する暴力の意味をもまた、探す旅が始まるのだろうか。この映画が車窓からの風景を映し出したのは、まさにこの映画そのものが旅であることを象徴している。

 「反日」の意味と意義を問い直す営みがこの映画をきっかけに生まれれば、と願う。同じ過ちと、新たな過ち(反日というレッテリングとヘイト)を生起させないために。

2020

韓国  74分

監督:キム・ミレ

企画:藤井たけし、キム・ミレ

音楽:パク・ヒョンユ