吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ピータールー マンチェスターの悲劇

画像1 ガーデアン紙発祥のきっかけとなったセント・ピーター広場での大集会(1819年8月16日)へ向けた運動とそれへの弾圧の一部始終を描く。後に「ピータールーの虐殺」と呼ばれることになった、市民への官憲の非道の弾圧を再現するクライマックスシーンに圧倒される。

 6万人の民衆に権力が銃剣を向けた運命のその日に向かって、貧しい人々の生活がじっくり描かれる。 大規模集会を準備している男たちだけではなく、女たちも集会に出かけると言う。集会の指導者ヘンリー・ハントは「火曜になれば平穏な日が戻ってくる」と言う。それまでは慌ただしいのだが、という含意である。しかし運命はその平穏な火曜日の到来を許さなかった。

 月曜日、女たちは綺麗な服を着てまるでピクニックに出かけるかのようににこやかにマンチェスターのピーター広場に向かった。「穀物法廃止」「選挙権を」「自由を!」と声高らかに上げながら。それはナポレオンとの戦争が終わって平和が訪れたというのに、生活は苦しくなる一方だった庶民の切実な願いだった。

 この運動を組織する途中経過がじっくり描かれていくのが興味深い。反政府運動家たちの主導権争いや意見の違い、それを乗り越えて団結していこうとする姿勢や、当時の集会場であったパブでの演説など、歴史的事実と細部を掘り下げていく脚本と演出に引き込まれていく。

 とりわけ感動したのは、演説の巧みさである。当時の記録は文書や絵画では残っているだろうが、音声が記録できなかった時代のアジテーションをどうやって再現したのだろうか。 また、新聞紙を手刷りする場面も興味深い。時代からいって謄写版印刷ではなさそうだけれど、どういう印刷方法を取っているのか誰か解説してほしいものだ。

 この映画では次々と弁舌をふるう男女が登場する。ある者は議会で演説する貴族であり、ある者は民衆に向かって演説するアジテーターである。とりわけ天性のアジテーターであったと思われるヘンリー・ハントの演説が群を抜く。彼はその巧みな口舌だけではなく、身振り手振りに加えて自身のアイコンたる位置を自覚したイメージ戦略にも長けていた。たとえば、いつも白い帽子をかぶっているなど、一目見てわかるような自らの際立たせ方を知っていた。

 稀代の組織者であるヘンリー・ハントはまた一方で傲岸な人物でもあったようだ。意見の異なる人間を厳しく排除しているさまもこの映画では描かれている。このあたりの演説のしかたは本当にその通りなのだろうか。なぜこのような演説であったと特定できるのだろう、なにか根拠となる資料でも残っているのだろうか。知りたくてたまらない。

 ともあれ、この映画の圧巻はピーター広場での官憲の容赦ない弾圧場面である。同時に民衆の側も全力で抵抗しているのだが、阿鼻叫喚の数十分が過ぎた後に転がっている遺体は女性のものであったり子どもであったり、目を覆うような惨状だ。 

 その弾圧を命令・支持した貴族たちの醜い姿をカメラはこれでもかとばかりに大写しにしている。ものすごくわかりやすい描写である。民衆を奴隷のようにしか思っていない、そして自分たちの財産を脅かすものとしか思っていない上流貴族たちの強欲に対して、貧しい民衆の怒りや悲しみが如実に描かれている。

 一つの事件をめぐる物語がじっくりと描かれているだけに、非常に興味深く手に汗握る展開であった。(レンタルDVD)

2018
PETERLOO
イギリス  Color  155分 
 
監督:マイク・リー
製作:
ジョージナ・ロウ
脚本:
マイク・リー
撮影:
ディック・ポープ
出演:
ロリー・キニアマキシン・ピーク、デヴィッド・ムーアスト、ピアース・クイグリー