吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ボヘミアン・ラプソディ

IMAXで鑑賞。

f:id:ginyu:20181223022946p:plain

 言うべき言葉が見つからない。映画が終わる前に既に「この映画はもう一度見たい。次もぜひIMAXで絶対に見に来る!」と決意していたぐらいに感動した。これぞ映画である。これぞIMAXで見るべき映画である。これを自宅のテレビモニターで見るのであれば既に別の作品であろう。

 映画館から出て暫くは放心状態で、感動のあまり言葉を失っていた。だから、この映画についてブログを書くこともできないでいたのだが、興奮も醒めてきたので、振り返ってみよう。

 あまりにも感動したのは最後のライブ・エイド21分間の演奏完全再現シーンである。これについては異論のある人は少ないだろう。そこまでの話ももちろん面白かったのだけれど、いくつかの瑕疵が気になる。
 まず、フレディ・マーキュリーの出っ歯を強調しすぎ。あれはなんのつもりなのか? そもそも役者がフレディに似ていない。インド系イギリス人であったフレディを演じたのはエジプト系アメリカ人であるラミ・マレック。彼の熱演はその歌うシーンにすべてのエネルギーが放出されている。ライブのシーンはフレディが生き返って乗り移ったかのようだ。
 わたしが「ボヘミアンラプソディー」を絶賛して、見に行け見に行けとせっついたので、フランス在住の愚息Y太郎も見に行ったのだが、フランスではIMAX版が上映されていないという。実に残念極まりない。そしてクイーンファンのY太郎の意見はかくのごとし。Lineより抜粋。

 Live Aidの再現度は神がかってた。
 フレディの出っ歯の物真似はうざかった。ことさら強調されてて、身体的特徴をからかってるように感じた。
 さらに、蓮実先生の言うところの「説話論的持続」、端的に言うと映画の物語的(ナラティブ)な緊張の持続のこと、これが欠けていた。前半部は、あれよあれよとフラグメントのように流れたでしょ。すぐれた映画はこれを切らさない。よって、67点。
 たしかにライブエイドはやばい。クイーンのファン僕は何度も本物のライブエイドを見てるからわかるけど、再現度半端ない。
 ブライアン・メイが一番似てたね。
 タイトルは、ライブエイドにした方がええんやないかw

 いやさすがに映画の専門家(自称映画監督)だけあって、ちゃんと見てるなあと感心した。
 この作品のキモは二か所あって、一つはフレディのセクシャリティの問題。もう一つがライブエイドに集約される、ライブ映像の魅力。フレディは本人が「バイセクシャル」と恋人に告白した瞬間に「あなたはゲイよ」と言い返されるときに彼の運命が決まった、と言える。本心から愛していると自分自身が思い込んでいた恋人で婚約者のメアリと添い遂げることができないという悲劇。しかもなお彼女を束縛したいという欲望にがんじがらめになる身勝手さ。映画はあくまでフレディを主役に彼の視点で進行するから、メアリの絶望にはさほど深入りしない。
 フレディの死がエイズのせいであることは言を俟たないが、その原因を作ったであろうドラッグをさほどきちんと描いていないのは何か意図があるのかと勘繰りたくなる。ゲイのフレディがエイズなら、彼と肉体関係のあった男性たちにも感染しているのか? そのあたりもまったく描かれていない(いやそれは個人のプライバシーだから描く必要はないのだろう)。
 圧巻のライブエイドを見るためだけでも、もう一度映画館に足を運びたい。

BOHEMIAN RHAPSODY
135分、イギリス/アメリカ、2018
監督:ブライアン・シンガー、脚本:アンソニー・マクカーテン、音楽:ジョン・オットマン
出演:ラミ・マレック、ルーシー・ボーイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョセフ・マッゼロエイダン・ギレントム・ホランダー、アレン・リーチ、マイク・マイヤーズ