吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

クンドゥン

 ダライ・ラマ14世の出生からインド亡命までの22年間を描く伝記映画。ダライ・ラマ14世の伝記的事実をまったく知らなかったために、すべてのシーンが興味津々だったが、大腸カメラの疲れが出て途中爆睡。
 20年前の映画だけれど、ブルーレイの画像はため息が出るほど美しく、チベットの自然や宗教儀式の美しさに目を奪われた。音楽もいいなぁと思ったらフィリップ・グラスだった。
 ダライ・ラマを決める方法があんなのだったとは意外だし、ああいう方法で幼子をスカウトして、成長した暁に万が一、文字もろくに読めないようなボンクラだったらどうするつもりだろう? ダライ・ラマにされた子どもは幸せなのか? あれって人権侵害ものだと思うよ。わたしは「ラストエンペラー」で溥儀が3歳で即位するシーンを思い出した。清王朝にせよチベットにせよ、前近代的な国であるには違いない。毛沢東チベットを近代化するのが自分の責務だと思い込むのも理解できる。とはいえ、仏教徒は平和に静かに暮らしているというのに、そこに武力で踏み込んでいいはずがない。
 途中は寝てしまっていたが、中国が侵略を始めるところからはぐっと目が覚めていた。毛沢東と交渉するために北京にやってきたダライ・ラマが結局のところ何も交渉などせず、黙って毛沢東の言うことを聞いていただけ、というところが印象深い。
 常に穏やかな笑みを口元にたたえる青年ダライ・ラマは魅力的な人物だ。しかし、かれ自身が強力な政治力を持っているとは到底思えない。結局のところインドへ逃げるしかなかったという無力さと悲哀が残るラストであった。

 ところで本作は20年も前の映画だったことに今、気が付いた。古びてませんね。(U-NEXT)

KUNDUN
135分、アメリカ、1997
監督:マーティン・スコセッシ、製作:バーバラ・デ・フィーナ、脚本:メリッサ・マシスン、撮影:ロジャー・ディーキンス、音楽:フィリップ・グラス
出演:テンジン・トゥタブ・ツァロン、ギュルメ・テトン、トゥルク・ジャムヤン・クンガ・テンジン