吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

白鯨との闘い

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 メルヴィルの『白鯨』は読んだことがなかった。と思っていたのだが、映画を見ているうちに次々デジャヴに襲われる。ひょっとしてこれは、小学生の頃にジュニア新書とかジュニアなんたらシリーズで読んだのではないか。まあ、いずれにしても、ストーリーには既視感があっても、映画的に面白いかどうかは別問題。その点、ロン・ハワード監督はさすがの手練れである。

 物語は、若きメルヴィルという作家が30年前の遭難事件を、唯一の生存者に取材するという体裁で始まる。その生存者である元捕鯨船員は既に中年の域を超えていた。高額の報酬につられて、彼は苦し気に過去を語り始めた。恐るべきエセックス号の遭難事件を。

 それは、二人の男の物語だった。一人は若くて勇敢な一等航海士オーウェンであり、もう一人は親の七光りで船長となった名門家出身のジョージ。1919年、エセックス号は鯨油を取るためにアメリカ東海岸を出港し、南米大陸を南下してホーン岬を回り、南太平洋へと出た。長い長い旅である。いったん捕鯨の旅に出れば、2年以上帰ってこられない。しかしそれに見合うほどに捕鯨は儲かったのだろう。太平洋上で、巨大なマッコウクジラに体当たりされたエセックス号は沈没し、船員たちは3艘の小舟に乗り移って陸地を目指す。食料はわずかしかないので、極端な制限によって給食されることとなった。漂流が長引くと船員たちの体力・気力は限界に達する。生きるための闘いが始まった……

 一本作は等航海士と船長の確執や、船員同士の絆と反目といった人間関係のドラマ部分も見ごたえがあり、さらに巨大な鯨に体当たりされるエセックス号の恐怖も迫力たっぷりだ。
 出港する前の港の風景やオーウェンの生活風景もさりげないロングショットで、なかなか美しい。上流階級のボンボンである船長とたたき上げの一等航海士の葛藤という人物造形はステレオタイプだけれど、気になるほどではない。それよりも、帆船の操船や捕鯨の方法などが細かく描かれていて興味深い。銛を鯨に投じて長い間苦しませるという残酷な捕鯨方法がとられているため、現在の反捕鯨団体の主張にも頷けるような場面だ。かつてはあのようにして鯨と闘っていたわけだな。だから巨大な白鯨がエセックス号に体当たりしてきたことも「これは鯨の怒りであり、復讐なんだ」と観客には理解できる。

 燃料やろうそくの原料として脂を取るためだけに鯨を殺していたなんて、もったいない話だ。日本人なら鯨肉も食べるし、尾もヒレも食用にし、捨てるところなどなく消尽して鯨への畏敬の念を表すのに、西洋人はそうではないのだな、ここが大きな文化の違いだ。

 エセックス号の乗組員たちの壮絶な漂流は見ているだけでつらくなってくるようなものであり、彼らの究極の選択にも息を飲む。そのような犠牲もすべては鯨油のためだったのに、物語の最後で「テキサスの砂漠から石油が出たらしいな」というセリフが、捕鯨の最後を告げる。時代はもう捕鯨を見捨てようとしていた。その切なさも、自然への畏敬の念を忘れた者たちへの報復もすべてが夢のように過ぎ去ったのだ。余韻が残る一作。(動画配信)

IN THE HEART OF THE SEA
122分、アメリカ、2015
監督:ロン・ハワード、製作:ジョー・ロスほか、原作:ナサニエル・フィルブリック『白鯨との闘い』、脚本:チャールズ・リーヴィット、撮影:アンソニー・ドッド・マントル、音楽:ロケ・バニョス
出演:クリス・ヘムズワースベンジャミン・ウォーカーキリアン・マーフィトム・ホランドベン・ウィショーブレンダン・グリーソン