吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

手紙は憶えている

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 ナチスの戦犯を追及できるのももうわずかな時間しか残されていない、まさにそのタイミングで作られた映画。ホロコーストの被害者が、家族を殺したアウシュヴィッツ収容所の兵士に復讐するという物語は、数年後には成立しないだろう。だから、今しか作れない映画で、今だから作れる映画でもある。戦犯を追及する被害者が90歳なら、追いつめられる元ナチスも90歳。ともに老いぼれ果てて、明日をも知れぬ身だ。

 妻を亡くしたことすら忘れてしまった老人ゼヴ・グットマンは、ホロコーストの生きのこりのユダヤ人。同じ老人施設に暮らすマックスから、自分たちの家族を殺したナチスの兵士がいまだ生き長らえていると告げられる。
「覚えているか? 君は復讐を誓った。忘れないでほしい。委細はすべて手紙に書いたから、今は身分を偽ってアメリカに移住したルディ・コランダーを殺してくれ」
 車椅子生活になったマックスはもはや自分では復讐できない。望みの綱は友人のゼヴだけなのだ。何でもすぐに忘れてしまうゼヴのために、マックスは手紙を書いた。容疑者は4人にまで絞られた。一人ずつを訪ねて本人を追及し、復讐を遂げる役割はゼヴに委ねられた。ともにアウシュヴィッツを生き延びた人間として、ともに家族を皆殺しにされた人間として、ゼヴは残りの人生を復讐にかけて旅に出ることをマックスに誓う。こうして、アメリカを縦横に駆け、カナダ国境を越える復讐の旅は始まった。記憶が薄れゆくゼヴの頼りはマックスの手紙だけ。「手紙を読め」とゼヴは自分の腕に書き込んだ。拳銃も手に入れた。果たして彼らの復讐は遂げられるのか?

 戦後70年も経って壮大な復讐譚が物語られる。初期の認知症であるゼヴの一挙手一投足が観客にとってはハラハラさせられどおしで、スリルに満ちている。細部に至るまで、心憎いほどの演出が効いているところはさすがアトム・エゴヤン監督の作品だと思わせる。自身がアルメニア大虐殺の子孫であるエゴヤン監督がこのような作品を作ることは理解できる。しかししかし。70年経っても復讐の執念は消えないのか。消えないのだろう。ユダヤ人は2000年以上前の故郷喪失の記憶も忘れない民族なのだから、たかだか70年の恨みは消えることはないだろう。それが悲しくつらい。わたしたちの世代はいつまで戦争の記憶を持ち続け、いつまで復讐の執念を燃やさねばならないのだろう。もちろん、戦争の記憶は忘れてはならない。二度と同じ過ちを繰り返さないために。しかし、復讐はまた話が違う。

 この復讐譚の恐るべきところは、失われつつある記憶を繰り返し召喚し、繰り返し増幅させるうちに、かつての恐るべき記憶をゆがんだ形で再生させていくことだろう。そして何よりも、復讐の連鎖が次の世代にまで受け継がれるかもしれない恐怖だ。だから、衝撃のラストはさまざまな論議を呼ぶことが必至と思われる。見終わった後にもう一度最初から見直して、そして誰かと語り合いたくなる作品だ。

 本作はアーカイブズ映画でもある。ホロコーストの記録を収集しているサイモン・ヴィーゼンタール・センターが登場し、ゼヴとマックスもここで自分たちの復讐相手の情報を入手する。

REMEMBER
95分、カナダ/ドイツ、2015

監督:アトム・エゴヤン、脚本:ベンジャミン・オーガスト、音楽:マイケル・ダナ
出演:クリストファー・プラマーブルーノ・ガンツ、ユルゲン・プロフノウ、ハインツ・リーフェン、ヘンリー・ツェーニー、ディーン・ノリス、マーティン・ランドー