吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

国際市場で逢いましょう

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 知人たちから厳しい映画評を聞いていたので覚悟して見てみたが、なかなかいい作品だった。韓国映画らしいエモーショナルなもので、かつ伝統的な価値観を肯定する作品だ。そこが左翼から評判が悪かったのだが、わたしはそんなことは気にならないどころか、朝鮮戦争以来の韓国現代史が凝縮されているという点でこの作品に惹かれた。特に注目したのは、西ドイツへの炭鉱夫の出稼ぎだ。韓国からも大勢出稼ぎ者がいたことを初めて知った。日本からの出稼ぎは森廣正著『ドイツで働いた日本人炭鉱労働者 : 歴史と現実』という本があるので知っていたが、韓国からも行っていたのであったか。 

 物語は、年老いたドクス夫婦が仲良く釜山の町を見下ろしながら過去を回想する場面から始まる。ドクスの人生は朝鮮戦争で混乱を極める38線より北の港町に原点があった。避難民として家族一緒に船に乗り込もうとしたドクス少年は、背中に負ぶった妹を見失い、父とも離れ離れになってしまう。出帆する船の上から、陸に残されたた父に向かってドクスは叫ぶ「アボジ! アボジ!」と。父は万感の思いを込めてドクスに叫んだ。「釜山へ行け。国際市場の中にある「コップンの店」で会おう。これからはお前が家長だ。家族を支えろ」

 それから何十年にわたるドクスの苦労が始まった。父親のいない一家でドクスは大黒柱として弟妹と母を支えるために身を粉にして働き続ける。優秀な弟がソウル大学に合格したために、自らはせっかく受かった海洋学校への進学をあきらめ、弟の学費を稼ぐために西ドイツへ出稼ぎに出て、落盤事故で危うく命を落としかける。西ドイツで知り合った美しい韓国人看護婦と結婚して幸せをつかんだと思ったのもつかの間、妹の結婚資金を稼ぐためにベトナム戦争渦中の戦地に技術者として派遣され、あらゆる辛酸をなめる。

 やがて1980年代に入って、離散家族が互いを探し合うテレビ番組が始まると、ドクスも父を求めて食い入るようにテレビを見る。1983年に放送されたKBSの「離散家族を捜しましょう」という番組は延々と生放送を続けて、号泣する人々を映しだした。テレビ局前には家族を捜す人たちのテントまで張られている様は壮観だ。わたしは、「キルソドム 再会のとき」(1985年)という映画がこのテレビ番組をとりあげた作品だったことを思い出した。
 ドクスは果たして父に逢えるのか。手放した妹とは再会できるのか。

 本作で、次々と韓国の有名人が登場して主人公とからむところは、まさに「フォレスト・ガンプ/一期一会」韓国版の感あり。いっぽうで、多くの事件がサラリサラリとテンポよく描かれていくところは大河物語的な薄さがあるのは残念。何よりも、民主化運動の弾圧という内政問題にはまったく触れていないところに致命的な欠落感がある。

 まだ10歳にもならない少年が父から「お前が家長だ」といわれ、その言葉を歯を食いしばって守り続けてきた血と汗の努力には素直に頭が下がる。この時代の多くの韓国の男たちがこうして苦労したのだろう。だからこそ、今となっては単なる頑固おやじとしか見てもらえない老人となったドクスが、古ぼけた店を守り続けてきた思いがわかる場面では、涙涙なのである。
 韓国で史上2位の大ヒット作となったというのもよくわかる。韓国人はこういう泣ける映画が大好きだ。

 いま、従軍慰安婦をめぐって日韓で話し合い(談合)が持たれているが、隣国の歴史を知らなければ、こういう話し合いへの理解も深まらないだろう。(レンタルDVD)

127分、韓国、2014 

監督: ユン・ジェギュン、脚本: パク・スジン、撮影: チェ・ヨンファン、
音楽: イ・ビョンウ
出演: ファン・ジョンミン、キム・ユンジン、オ・ダルス、チョン・ジニョン、チャン・ヨンナム、ラ・ミラン