1996年に起きた殺人事件へと至る10年の経過をたどる実話。
アメリカ三大財閥の一つデュポン社の孤独な御曹司は財力にものを言わせて自分のレスリングチームを作った。そのチームからオリンピック選手を出して、金メダルを取らせたい。もはや五十代になった御曹司ジョン・デュポンはその無表情な風体から不気味な怨念を発しているのだが、周囲の人間はそれにはっきりとは気づかない。いや、気づいていても気づかないふりをしていたのだろう。母に認められない孤独な息子は、母の愛と承認を得たい一心でチームのコーチとなったにも関わらず、彼には金にものをいわせる人間関係以外は一切築けなかった。
ジョンは自分が招いたコーチを射殺するわけだが、その動機がいまいちはっきりしない。はっきりしないところがいかにも実話らしいのだが、映画にする以上、そこは観客に納得できるように表現すべきではないか? まあ、それがよくわからない、という点がジョン・デュポンという人物の不気味さを表して余りあるのだが。
主役3人はそれぞれ見事な演技を見せている。役者の演技力に頼った作品。結局何がいいたいのかよくわからない。やたら暗くて地味で何も面白くない映画なのだが、なぜかずっと見入ってしまう。それは、ジョン・デュポンのゆがんだ自意識が観客に共感性を持たせるものがあるからだろう。「ああ、なるほど彼は母に愛されなかった腹いせであんなゆがんだ人間になったのか」と納得できる。とても哀れな人間だ。この実話が今頃映画化されたのは、ジョンが死んだからだろう。しかし、母親に愛されない人間は人格をゆがませられるというだけでは説明のつかないものが多々ある。そんな母原病みたいな映画、見ていて不快である。
今回、「鬼気迫る無表情」というものの怖さを味わった。コメディ作品が多いスティーヴ・カレルがつけ鼻を着けて不気味に熱演していることがとっても気持ち悪い。チャニング・テイタムも特殊メイクしているのだろうか、と思わせるほど表情が暗くいびつな雰囲気を漂わせている。オリンピックの金メダリストの話なのにとても暗くて、彼らにとって試合で勝つことが人生にどんな意味があったのだろうかと疑問を投げかけさせる映画だ。「愛国心を以て闘え」と鼓舞するジョン・デュポンはアメリカ国旗を愛せても、目の前の人間を愛することができなかったのだろう。彼にとって周囲の人間はすべて利用価値があるかどうか、彼に従順であるかどうかだけで判断されていたのではないか。まるで我が国の首相が人間をいかに利用するかという観点でしか見ていないのと同じだ。「女性を活用」だの「女性を輝かせる」だの「人口増のために難民を受け入れる前にすべきことがある」とか、<女は国家のために利用するもの><難民は人口増加のために役立つかどうかで受け入れるか否か決める>という、人を人格を持ったかけがえのない個人としてとらえない発想がよく似ている。
「カポーティ」と「マネーボール」の監督らしい、地味で抑制された演出が光ったベネット・ミラーであるが、前2作に比べると、何がいいたいのかいまいちよくわからない作品ではある。(レンタルDVD)
FOXCATCHER
135分、アメリカ、2014
監督: ベネット・ミラー、製作: ミーガン・エリソンほか、脚本: E・マックス・フライ 、ダン・ファターマン 、音楽: ロブ・シモンセン
出演: スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロ、シエナ・ミラー、ヴァネッサ・レッドグレーヴ