吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

渇き。

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 ものすごく評判が悪いので、なーんにも期待しなかったけど、とにかく今月末で期限が来るTOHOシネマズの鑑賞券があったから使わなくちゃ! ほんとはゴジラが見たかったけど時間が合わなかったので、やむなくこれに。

 

 で、なんにも期待していない分、面白く見ることができて最後まで一睡もしなかった。わたしが寝なかったっていうだけで「ひょっとして面白い映画?」と思われる向きもあろうかと(笑)。そもそも中島哲也監督とは相性よくないのよね。「下妻」だって「嫌われ松子」だって見てないし。この2作は予告編だけで「ご勘弁を」と思ったので未見です。でもひょっとしたら意外と見られるのかもしれない、と思ってしまった、本作を見て。まあ、本作も血みどろで気色悪くて目をふさいだ場面もいくつかあるのだけれど、同じような血みどろでも園子温は見るに耐えないが、この中島監督のは我慢できる。それは作品の表面に浮かび上がるユーモアのセンスや、底に流れる妙に生暖かいヒューマニズムのせいかもしれない。 

 『キネマ旬報』7月上旬号の特集で「「ヘビィ」な映画」に挙げられる本作だが、同じく俎上に昇った「私の男」は原作を読みたくなったのに本作は原作にまったく興味がわかない。残念ながらそれは映画力の違いだろう。 

 何度殴られただろう、何度刺されただろう、何発銃弾を受けただろう、ダイハードなお父さん・役所広司。全身血みどろのはずなのになぜか死なない、この不思議さが本作のキモかもしれない。暴力がすべて夢の中の世界のように描かれる。極端なアップの多用と時制を瞬時に飛ばす編集はけっこう気に入ったが、暴力の描写がリアルなようでいてそうでなく、どこか中途半端。血糊は思い切り使ってあるので、美術さん大変だったでしょ、お疲れ様と言いたくなる。 

 つい最近、高校1年生女子が同級生を殺して切断した事件があったばかりなので、映画に描かれていることが現実味を帯びて見えてくる。あの年頃の子どもたちの考えることなんて、大人には理解できなのだ。そんなの当然じゃないか。わたしたちが思春期のころ、親たちはわたしたちを理解できなかった。同じことが世代を継いで起きているだけ。だから、無垢な天使の美少女がバケモノだったとしても何にも不思議はない。 

 いきなり車をぶつけたり、ミュージックビデオみたいなノリノリ場面といい、あほくささ満開なところが妙に面白くて眠気も吹き飛んだ。オダギリジョーの不死身の殺人鬼ぶりもよかったわー。アップ多用で主役の小松菜奈をこれ以上ないくらいに神秘的に可愛く撮ったカメラには脱帽。彼女は普通の女の子だからよほどうまく撮らないと凡人にしか見えないのに、これ以上ないというベストアングルから撮りまくったために、カリスマ的美少女に見えてしまう。この映像のマジックには脱帽した。 

 若い子の考えることはわからん、それはもういい、という諦めと、それでも必死で食らいついていこうとする親世代の愛憎がついほろりとさせる、と思ってしまうのはわたしが「子ども」ではなく親だからだろう。

 ところで、二階堂ふみが不細工なのでびっくりしてしまった。最後まで彼女がどこに登場していたのか気づかなかったぐらいだ。「私の男」とのなんという違い。女優は怖いね。 

 登場人物のすべてに感情移入を許さないとんでもなく嫌な気分にさせる作品だけれど、グロ面白いと思えるギリギリのところで留まっているのは、中島監督の甘さかもしれない。わたしにとってはほどよい甘さだが。 

 それにしても暑苦しい。役所広司を始めとして登場人物たちがいずれも顔面汗だらけに脂ぎらせているのは不快この上ない。

118分、日本、2014

監督: 中島哲也、原作: 深町秋生 『果てしなき渇き』、脚本: 中島哲也、門間宣裕、唯野未歩子、音楽: GRAND FUNK ink.

出演: 役所広司小松菜奈妻夫木聡、清水尋也、二階堂ふみ橋本愛國村隼黒沢あすか、オダギリジョー中谷美紀