長男Y(大学2年生)と一緒に年末に観た3本立てのうち、1本目はこれ。本当は「サルトルとボーヴォワール」を加えた4本立ての予定だったのだが、母息子ともに寝過ごしたのであえなく断念。
実にけたたましい映画だ。最初から最後まで突っ走り通し。主役フランキー堺はこのときまだ20代とはとても思えない中年ぶり。彼は病人の役なのに始終小気味よく動き回り、その早口のしゃべりと動きの敏捷さ軽やかさで、幕末の不穏な空気をもお笑いに変えて時代を疾走する。まさに、米軍の占領から解き放たれた新生日本の息吹と全盛期にあった映画界の鼻息の荒さを象徴するかのような作品だ。
時代劇なのに現代の(といっても昭和32年)品川の風景から始まる。今の人間の目から見ればこの現代の風景じたいが歴史遺産だから、珍しくて懐かしくてしょうがない。当時赤線地帯と呼ばれた品川の100年前は、北の吉原と並ぶ遊郭街だった。その品川宿にある相模屋という遊郭が物語の舞台。そして、ほとんど最後まで舞台はこの遊郭から外へ出ない。ほとんど室内劇であるにもかかわらず、テンポのよさと室内とはいえ高さを意識したカメラの動きゆえ、狭苦しさを感じさせない展開。
ストーリーは江戸の落語をいくつも繋ぎ合わせたものというだけあって、登場人物はよくしゃべる。一つずつのエピソードに実にうまくオチがつけてあるので、そのたびに場内からは大きな笑い声が聞こえてくる。映画館の中でひたすら笑っていたのは中高年男性だったようだ。観客は圧倒的にお年寄りが多かったので、うちのYがおそらく最年少か。
相模屋には高杉晋作ら長州藩士が長居をしている、という設定で、ここで様々に歴史的事件が起きるのである。高杉が作ったといわれている都都逸「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい」も披露される。この高杉を石原裕次郎が演じているのだが、大根役者である。フランキー堺の天才ぶりと比較するのもおこがましいほど下手だ。
この映画に登場する女性たちは皆強欲で、生への執着心が強く、女郎という境遇を逆手にとってのし上がろうという抜け目ない者たちばかり。それは戦後を逞しく生き抜いた昭和20年代の女たちの姿に重なるのだろう。主人公の居残り佐平次は正体不明の町人だが、異様に頭がよく機転が利き、知識も豊かである。胸の病を治すのが目的なのか、海沿いの品川宿に居座ることを決め込んでいる。この佐平次の咳が「太陽伝」という明るい映画に一点の不吉な翳りを落とす。死を背中に貼り付かせたような佐平次の明るさは、光と影が表裏一体のものとして作品に底流していることをチラリ、チラリと観客に思い出させる。
1957年という時代をうかがわせるような作風だといえば深読みしすぎか。
圧巻のアクションシーンは、遊女二人の大立ち周り。殴る引っかく蹴りを入れる、ものすごい格闘にはただ唖然、役者がみな全力投球で動き回っていることがよくわかる、ハイテンションの映画だ。
最後の最後、映画は遊郭を離れて、佐平次をも解き放つ。その疾走はいずこへ。いや実に面白かった。
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110分、日本、1957
監督: 川島雄三、製作: 山本武、脚本: 田中啓一、川島雄三、今村昌平、撮影: 高村倉太郎、音楽: 黛敏郎、助監督: 今村昌平
出演: フランキー堺、左幸子、南田洋子、石原裕次郎、芦川いづみ、市村俊幸、金子信雄、山岡久乃、梅野泰靖、岡田真澄、菅井きん、小沢昭一