午前十時の映画祭にて。
初見時よりも相当に異なる印象を受けた。どっちがいいかは判然としないが。波乱万丈の物語は、正確な年月の経過が理解できていればさらに興味が沸くのだが、果たして日本の観客のうち何割がこれを理解できるだろう。映画の中の時間の流れが強引なので、説得力に欠くきらいがある。少なくともロシア革命の流れは知っていないと、見ていても何が起こっているのかわからないだろう。
メロドラマが本格化するのはなんとインターミッション後、上映開始後2時間を過ぎてからであった。こんなに遅い展開だったとは。昔の人はこんなにイライラするメロドラマでも我慢できたんだ。
結局ジバゴって妻も愛人も愛している、どっちも好きだからどっちも選べないっていう男だったのね。おまけに妻と愛人の双方がジバゴを熱愛していて、さらに愛人と妻が互いを「とてもいい人だ」と賞賛しあうという、男にとって天使のような女性たちだったんだ。なんというジバゴの自己都合恋愛もの!
労働歌の定番が2曲。最初が「ワルシャワ労働歌」で、次は「インターナショナル」。そういえばワルシャワ労働歌はいつごろから歌われるようになったのだろう、調べておこう。と、映画を見ながら心の中でメモをする。この歌は桑田佳祐も謳っている有名な曲だ。
ユーリ・ジバゴとラーラが再会する場所は図書館。やっぱりインテリは図書館に惹かれて町へやってくるのであります。これも一つの図書館映画。
「アラビアのロレンス」を彷彿させる場面がいくつも。騎馬戦しかり、雄大な山野の風景しかり、望遠レンズではるか遠くの人影を撮影する手法しかり。それにしても砂漠といい、極寒のウラル地帯といい、過酷な撮影が好きな監督だ(実際にはカナダやフィンランドでロケ)。スタッフもキャストもたまらなかっただろう。見ているほうもつらい。
ラストシーンには次世代へと繋がる希望があった。初見の時はラブロマンスの悲劇としか思わなかったのだが、見直してみると、最後はあの楽器(バラライカ)が大きな印象を残す。希望を繋いで終わるところが救いになる。子どもは希望の星だ、やっぱり。
初見時に「ボルシェビキとジバゴの政治的主義主張の違いがどこにあるのか、判然としない」と書いたhttp://www.eonet.ne.jp/~ginyu/021125.htmのは間違い。わたしがこの映画からその意図を読み取れなかっただけのこと。脚本はきちんとこの点を描いていた。ジバゴの詩は個人的なものであり、それゆえブルジョア的で、社会主義が成就した現在では反動的なものである、とボルシェヴィキの将校が語っている。個人の思いや愛や自然を謳うことは許されないのだ、と。彼らがいかに硬直した人間把握しかできていなかったか、その悪影響がその後のプロレタリア文学にも現れている。
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DOCTOR ZHIVAGO
194分、アメリカ/イタリア、1965
監督:デヴィッド・リーン、製作:カルロ・ポンティ、原作:ボリス・パステルナーク、脚本:ロバート・ボルト、撮影:フレデリック・A・ヤング、音楽:モーリス・ジャール
出演:オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ、トム・コートネイ、アレック・ギネス、ジェラルディン・チャップリン