原作は短編だという。確かに短編に相応しい話だ。それをこの尺で見せるのはちとキツイ。途中でだれてしまって、ちょっと居眠りしてました。
人の運命はすべて決められていて、それを動かすのが「神」ならぬ「調整局」の議長、という人物だという設定。そして、本来、調整局がすべてを手はずどおりに進めるはずだったのに、ちょっとしたミスで計画が狂ってしまう。そこで調整局は、運命を元の道筋に戻るようにアジャスト=調整するのである。今回アジャストされるは若き下院議員デヴィッド・ノリス。彼は下町ブルックリンの出身だが苦労してのし上がり、史上最年少で下院議員に当選し、今回は上院選に打って出たが、敗北必至の形勢である。失意のうちに敗北のスピーチを誰も居ない大きなトイレで練習しているノリス議員の前に、突然美しい女性エリースが現れる。エリースはデヴィッド・ノリスの運命の女性だった。たちまち恋に落ちた二人はしかし、「調整局」の人間によって全力で引き裂かれようとする…
というようなお話。調整局の人間はみな古風な帽子を被り、きちんとしたスーツを着て、一見1950年代のサラリーマン風。彼らはどうやら巨大な官僚組織の人間らしい。その全貌もよくわからない。お話としてはカフカの『城』を想起させるような内容。こういう話なら、映画で映像を見せてしまうよりも小説で仄めかして読者の想像力に訴えるほうがいいものができるだろう。
次々と扉を開ければそこにはまったく別の風景が広がっているという「どこでもドア」だらけのお話が続くと飽きてくるのである。カーチェイスなどのアクションシーンもあるにはあるが、ほとんどただ走って逃げているだけのチンタラした展開では飽きてくる。とはいえ、ニューヨークロケが素晴らしくて、NY公共図書館もロケ地として選ばれている。NYの建築物を堪能するのにはいいかもしれないが、このアイデアの斬新さを展開するにしては製作者の頭の中がチープだった。
運命は変えられる、という趣旨の作品はアメリカ映画には多い。彼らの世界観がアグレッシブであるからだろう。この映画は運命に逆らい、立身出世を捨ててでも貫きたい愛があるかどうか、という恋愛映画である。二人の仲を裂くのは病気でも戦争でも貧困でも結婚制度でも身分の差でも人生観の違いでもなく、ただひたすら「運命」という名前の神である。神のごとき存在に裂かれようとする愛というのも壮大な話だ。そして、将来の王者の道を提示されてもその愛を求めるというのはすごい執念だ。問題は、何年もひたすら愛し続け求め続けるだけの相手だったのかどうか、説得力があるかという問題。映画のなかのお約束として、彼らが決して離れることのできない深い愛に結ばれているということが飲み込めないと、この映画にはついていけない。そしてそういう設定を素直に受け止められるのは相当にロマンティストな人間か、自身が運命の人と信じる相手と熱烈な恋愛中でのぼせ上がっているかのどちらかだろう。
そうそう、テレンス・スタンプ、やっぱりいくつになってもかっこいいお爺さんです。
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THE ADJUSTMENT BUREAU
106分、アメリカ、2011
監督・脚本: ジョージ・ノルフィ、製作: マイケル・ハケットほか、原作: フィリップ・K・ディック『調整班』、音楽: トーマス・ニューマン
出演: マット・デイモン、エミリー・ブラント、アンソニー・マッキー、ジョン・スラッテリー、テレンス・スタンプ