吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

真実の行方

 なんだか既視感があったので「見たことあるようなあるようなあるような…」と思いつつ。で、突然「見たわ、これ」と気づいた。しかしこれはよくできた作品で、2回目でもずいぶんと面白い。結論はうっすらと覚えていたが、途中経過はすっかり忘れていたから、初めて見たのとさほどかわらない新鮮さで楽しめた。

 
「記憶じゃない、記録するんだ!」


 大司教殺害事件の容疑者として逮捕された青年は果たして冤罪なのか? 弁護士リチャー・ギアが生臭い出世欲に取り付かれて話題の事件の弁護を買って出る。事件は二転三転、果たして真実はどこにあるのか?!

 思い出すに、この映画で初めてローラ・リニーを認知したのだった。これで、彼女がきつい女だという印象が根付いてしまった。彼女の検事役ははまり役だ。演技陣が見事な作品は見ごたえがある。歴史に残る法廷劇の傑作のひとつ。


一回目の感想はこちら。http://www.eonet.ne.jp/~ginyu/040730.htm



<以下、ネタばれあり>




 解離性障害が発症するのは北米と日本だけとか。ヨーロッパにはない病理だとどこかで読んだ覚えがある。アメリカ的な病理だとすると、この映画に描かれた恐るべき天使の顔じたい、それがやはり演技ではなく本当に乖離だったのではなかろうか、とふと二重のどんでん返しに思えてくる。アメリカが乖離を生む社会だとしたら、エドワード・ノートンが演じた青年がずっとその病理を生き続けてついには乖離そんものを手玉にとった、ともいえる、それほど深く病んだ社会を描いている。売名に走る弁護士、出世しか頭に無い検事、保身しか考えない政治家。彼らのほうこそ実は病気なのかもしれない。だからこそ乖離を装う青年に付け入られるのだ。(レンタルDVD)

PRIMAL FEAR
131分、アメリカ、1996
監督: グレゴリー・ホブリット、製作: ゲイリー・ルチェッシ、原作: ウィリアム・ディール、脚本: スティーヴ・シェイガン、アン・ビダーマン、音楽: ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演: リチャード・ギアローラ・リニー、ジョン・マホーニー、アルフレ・ウッダード、フランシス・マクドーマンドエドワード・ノートン