悪人
今年の日本映画ナンバー1が決まり。
淡々としながらも緊張感が途切れない、リアリズム重視の演出は、実はリズムを計算して作ってある。一見地味でただじっとカメラが映しているだけのようなカットにも、絶対にここで切らなければ呼吸が合わない、あるいは、ここからの角度で狙わなければ映像に語らせることができない、という瞬間をきっちり積み重ねてある。実に見事な映画だ。そして役者がみな、上手い。端役にいたるまで存在感を実感させる自然な台詞回しだ。
これは原作の力も大きいのだと思うし、原作者吉田修一に脚本を書かせたことも正解だったのだろう、タイトルにある「悪人」とは誰かを問う、奥深い人間の業を描いて実に感動的だ。たとえば殺された若い女性については、「あんな女なら殺されても仕方がない」と観客に思わせておいて、しかしそんな女でも、けなげに保険外交員として博多でひとり懸命に働いているし、親にとってはかけがえのない大切な娘なのだ。出会い系サイトで出会った女を簡単にホテルに誘うような主人公祐一(妻夫木聡)も、殺人犯という悪人でありながら、その生い立ちや性格が観客の同情をそそる。祐一を育てた祖母にしたところで、悪徳商法に簡単に騙されてしまう隙があり、加害者の祖母としてマスコミに晒される可愛そうな一面と、一方ではどこか投げやりな態度も垣間見える。唯一、こいつだけは悪人ではないかと思わせたのは金持ちのぼんぼん大学生だが、この卑屈な男もまた何か弱さを抱えていることが伺える。
登場人物全員に複雑な性格付けを施しながらも、かつそのキャラクターにブレをみせない演出が見事だ。女性たちの細かな手の動きをじっと映すカメラもいい。祖母役の樹木希林が魚を捌いて腸(はらわた)をえぐりだす生活感漂うカットは、魚の生臭さすら漂ってきそうだし、娘を殺された母親(宮崎美子)が自分の店の鏡を磨く場面の手の動きには、どんな事件があってもゆるぎない、あるいは、ゆるがせにできない日常の所作がにじみ出ていた。さりげないカット一つずつに意味を込める、実に丁寧な作りにはぞくぞくした。
殺人犯祐一は建物の解体業にいそしむ作業員で、その仕事は辛いものだ。出会いサイトで出会った女にも馬鹿にされてしまう、無口でコミュニケーション下手な彼が九州の地方都市での生活に鬱屈を募らせていることが、台詞を通じなくても痛いほどよくわかる。祐一が駆る自家用車が疾走する場面は彼の欲求不満やイライラを象徴している。紳士服の量販店で働く孤独な女・光代の寂しさや諦念を深津絵里は実に見事に演じていた。モントリオール映画祭最優秀女優賞受賞も当然の、渾身の演技だ。光代のざらざらとしたさびしい表情を、深津はほとんどノーメークでキリリと演じる。これは彼女の代表作になるだろう。量販店がまた広い店舗にほとんど客のいない、寒々としたところである。
娘を殺された父親の複雑な心境を柄本明も名人芸で魅せてくれたし、役者の演技についてはけちをつけるところがない。
今、日本の若者が晒されている希望なき格差や、希薄な人間関係、地道に生きることの閉塞感が物語の根底からふつふつと湧き上がってくる。どうしても原作を読みたくてたまらなくなった作品だ。しかし、図書館ではリクエスト35人待ち。気長に待ちましょう(嘆息)。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
139分、日本、2010
監督: 李相日、製作: 島谷能成ほか、原作: 吉田修一、脚本: 吉田修一、李相日、音楽: 久石譲
出演: 妻夫木聡、深津絵里、岡田将生、満島ひかり、塩見三省、池内万作、光石研、余貴美子、井川比佐志、松尾スズキ、宮崎美子、樹木希林、柄本明