昔、遊園地の「びっくりハウス」に入るのが好きだった。騙し絵があったり、合わせ鏡の部屋や歪んだ鏡の部屋、床が沈む部屋、いろいろ視覚的トリックがあった。この作品は、基本的にそのびっくりハウスを映像でやったらどうなるか、をとことん追求した作品だ。夢と現実の区別が付かなくなるとか、現実が夢に侵食されるといった世界観は「マトリックス」以来珍しくなくなっているし(その前から押井守の作品あり)、ストーリーの発想にはオリジナリティがないが、それでもどうやったら驚異の映像が見られるのか、思い切りCGを使えばどんなトリックができるのか、スペクタクル派の映画ファンを喜ばせることを骨の髄まで知っている監督の、痺れるほど面白い映画だ。
夢には3層あって一番深いところが無意識で、そこで覚醒できなければ虚無の世界に落ちる、という設定が、フロイトの<自我の三層構造>理論の見事な戯画化であり、「虚無に落ちるって、なんやそれ、ダークサイドか」と苦笑。映画全体の発想が故事などからの借り物なのだが(「邯鄲の夢」とか、エッシャーの騙し絵とか)、その借り物ぶりが巧い。
2回見てやっと理解できた筋書きは、夢を共有できるということと、夢の中でまた夢を見てさらに夢を見て…という重層構造になっていることをきちんと把握できていれば、そして、今見ているこの場面は誰の第何層目の夢かということさえちゃんとチェックしていれば、なにも戸惑うことはない。
面白かった点はいくつもあるが、まず一つは、夢から覚醒する仕掛けの一つが「音楽を聞かせて起こす」という点で、その音楽がエディット・ピアフの「水に流して」であること。主人公コブの亡妻モルの役をマリオン・コティヤール(「エディット・ピアフ」でアカデミー賞主演女優賞受賞)が演じているからこういう選曲になったのだろうか?
夢のなかのどの層にいても、どんぱちどんぱちと派手なアクションが繰り広げられる。おまけに「どうせ夢なんだ、派手にやれ」と重火器をぶっ放す台詞まである。わたしたち観客は、映画の中の手に汗握るアクションシーンを「どうせ映画だから主人公は死なない」という<安心感>をどこかに担保しながら、それでもスリリングな快感を味わっている。ところが本作では、どんなに派手で危険なアクションも、「どうせ夢の中の場面で、登場人物たちは絶対に死なない(というか、死んだら目が覚める)」とわかっていてこのスリルを味わっている。二重三重の虚構の中に放り込まれているわけだが、それでもやっぱりワクワクぞくぞくするのだからこの手の映画の面白さは侮れない。
夢の世界では重力無視、街は丸ごとひっくり返るわ、無重力状態でバトルを繰り広げるわ、それはそれはもう、こんな場面はまだ誰も見たことがありません! しかもそのアクションシーンが夢の各階層で同時に繰り広げられるのだから、こんなに面白いエンタメ作もめったにあるまい。一番上ではカーチェイス、その下の夢の世界では無重力バトル、さらに下の階層では007ばりの雪上アクション、と観客サービスは怠りなし。
あまりにも映像が面白すぎて、この映画にこめられた哲学的な問いが忘れられそうな危惧を感じる。現実世界で多くの困難を持つ人ほど、おそらくこの映画には惹かれる。今のように現実がつらく厳しい時代には、この映画はヒットするだろう。愛妻を亡くしてしまった主人公が、夢の中に現れる彼女が本物ではないとわかっていても、二人で一緒にいたいと、その夢に惑溺したくなる気持ちはとてもよくわかる。夢なら覚めないで、と思うことはわたしにだってある。わたしはもともと悪夢を見てうなされることが多い性質(たち)だが、それでも何年かに一度はとてもいい夢を見て、目が覚めたくなくなるときがある。
新手の産業スパイものとして、人間の頭の中のアイデアを盗むだけではなく、「インセプション」(植え付け)してしまうというこの大掛かりなトリックは、単に産業犯罪物という側面だけではなく、愛する人を喪った現実に人はどう耐えるのか、という人間世界の避けて通れない不条理(死はそれじたいが不条理ではないかもしれないが)を切なく描いた感動作なのだ。
クリストファー・ノーランは、記憶・夢・幻影・多重人格といったものに強く惹かれる監督だ。この人の興味と関心は映画というメディアに親和性が高い。夢の三重構造(映画は最後に4重まで落ちていく)がフロイト理論をなぞっているものだとしたら、この作品のなかには「トラウマ」となる「事件」が夢の深層で発見されるシーンがあっても面白かったのに、と思う。それに近い場面はあるのだが、それは決して「隠されていた、忘れられていた傷の発見」という設定にはなっていない。また、複数人で夢を共有できるという発想はユングの集合的無意識論を踏まえていると思われるが、その構造をもっと掘り下げたら面白かったのに、と思う。
この作品には多くの種が撒かれている。ここからいろんなことが語れそうだ。この作品は劇場で見ないとだめ。それも、最低2回は見てほしいもの。ラストシーンをどう解釈するか、観客に結末をゆだねたノーラン監督の手口も憎いです。
そうそう、忘れてならないのは、役者たちの素晴らしさ。イケメン揃いの男性陣を見ているのも楽しく、個人的には主役のディカプリオには興味なく、なんといってもトム・ハーディです、かっこいい!! ジョセフ・ゴードン=レヴィットもよかったし、渡辺謙も渋かったし、出番は少ないとはいえマイケル・ケインはさすがの貫禄で光っているし、キリアン・マーフィーも神経質そうな金持ちのファザコンぼんぼんを好演し、最後は泣かせました。音楽もよし。サントラが欲しくなった。
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INCEPTION
148分、アメリカ、2010
製作・監督・脚本: クリストファー・ノーラン、製作: エマ・トーマス、音楽: ハンス・ジマー
出演: レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、マリオン・コティヤール、エレン・ペイジ、トム・ハーディ、ディリープ・ラオ、キリアン・マーフィ、トム・ベレンジャー、マイケル・ケイン