吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

必死剣 鳥刺し

 映画介護。介護映画ではなく。つまり、映画好きの老人を映画館に連れて行くという、まあ一種のボランティアである。でも相手が親ならボランティアではなく親孝行と言う。


 映画の前に両親、わたし、長男Y太郎の4人で食事。この4人で食事なんて17年ぶりかな。Y太郎が赤ちゃんだったとき以来だ。いまや彼が最も大きくなって、もりもりと食べる。食事をしながら母は何度も「これからどこ行くの?」と尋ねる。15分おきぐらいに訊いていた。

母「今日は何しに来たん?」
私「映画を見るのよ、映画」
母「なんていう映画ぁ?」
私「必死剣 鳥刺し」
母「焼き鳥屋さんの話?」

 などという珍問答を繰り広げた後、よちよちと劇場へ。


 藤沢周平の原作は映画化しやすいのか、それとも現代人に通じる哀歓があるのか、ここのところ次々に「隠し剣」シリーズが封切られている。この「必死剣」もそのひとつ。藤沢作品だから、だいたい結末はわかっているし、どういうペーソスがあるのかも予想がつく。今の暗い経済状況、暗い社会をそのまま反映したかのような暗い物語に身につまされる観客も少なくないだろう。


 東北の彦坂藩では、藩主の愛妾が藩政に容喙し、傍若無人に振舞っていたが、誰もそれを止めることができずにいた。藩士兼見三左エ門はある日、衆人環視の下でこの愛妾を刺殺する。斬首も免れないと思われた事件だが、下された刑は1年の閉門という軽いもので、閉門が解けると兼見は近習頭取に抜擢され、藩主の側近くに勤めることとなる……。



 映画は藩主が能舞台を鑑賞している場面から始まる。このオープニングがなかなかのもの。ずらりと居並ぶ藩士たちの微動だにしないきりりとした姿勢をカメラが舐めていく。画面全体に緊張感が漂い、巻頭から何かが起きる予感を観客に与える。やがて舞台が終わり、退席する愛妾を兼見はいきなり一刺しで殺してしまう。ここまで一気に展開し、やがてなぜ兼見三左エ門が藩主の愛妾を殺したのかが徐々に明らかになる。明らかになるとはいえ、兼見が自らの内面を語ることはない。この無口な武士を豊川悦司が演じたのは正解だ。彼は台詞の少ない役が似合う。



 愛妾連子は贅沢三昧の暮らしをし、身内を要職につけるなどやりたい放題。財政難を理由に緊縮予算を組んだ勘定方を切腹に追いやるなど、極悪非道な女だ。しかし彼女の「寺社を修理すれば、大工や人夫に金が回る。彼らが潤えば、藩全体の財政がよくなるではないか!」という理屈には感心した。連子はケインズ主義者であったか。行財政逼迫をどう乗り切るのか、現代日本の財政事情に直結するテーマが描かれているところも興味深い。それに政(まつりごと)に口出しする女、というのも今ふうではないか。出過ぎる女は成敗されるのである。これまたフェミニズムへのバックラッシュという現象を反映している。



 テーマは現代風だが、画面に映る人々の立ち居振る舞いの一つ一つは古風である。襖を開けて膝をすりながら部屋に入り、また閉める。まどろっこしく思えるような所作の一つ一つを丁寧に描いた点で、この映画はゆったりと静かな味わいをかもし出す。かつてこのような時間の流れのなかでわたしたちの先祖は生活していたのだ。その息遣いが伝わるような演出には高感度高し。

 耐える武士兼見をわが身に映して見た観客も多いことだろう。自らの意志で行ったことが裏腹の結果を生み、権力に利用され翻弄され、使い捨てられていく。その悔しさと抑えに抑えた感情が爆発した最後の大立ち回りは圧巻のうえにも圧巻。愛妻を亡くして死に場所を求めていた兼見が、死ぬことを許されずに生かされ、新たに見つけた愛がようやく芽吹き始めたときに、理不尽な運命を科される。その不条理をそのまま飲み込んで死んでいくのか、それとも…。



 最後の殺陣の迫力は誰もが感じることと思うが、そのリアルで鬼気迫る多勢に無勢の斬り合いは身の毛もよだつほど恐ろしい。見ているだけで肩が凝ってしまった。わたしは気づかなかったが、だんだん刀の刃がこぼれていく様子もリアルに映し出されていたとY太郎と父が言っていた。「カットのたびに少しずつ刃こぼれした新しい刀に替えるんやな、小道具も大変や」とY太郎。劇場用パンフレットによると、血しぶきもCGを使わず血糊を用意したという。


 緩急の溜めも見事で、なかなかの作品。大変わかりやすく、映画を見慣れていない人にもよく理解できるよう、工夫されている。惜しむらくは屋外ロケの映像が妙に薄っぺらかったこと。兼見が妻と姪を連れてピクニックしている場面は合成したのかと思うほど背景に奥行きがなく、せっかくの雄大な野山の風景が生かされていなかった。


 吉川晃司はいい役者になった。若いころのイメージとはずいぶん違って、迫力ある武士の役を貫禄たっぷりに演じ、豊川悦司との殺陣も見事であった。この映画、やはり最後の殺陣が素晴らしいので、殺陣師が誰か気になるところ。殺陣指導の久世浩は黒澤作品の殺陣師として有名な久世竜の弟子だそうな。さすがである。時代劇大ファンの父が、「あんな殺陣は見たことがない」と大いに感心していた。将来は映画監督(未定)のY太郎、「あの殺陣はわしが考えていたのと同じやった」と吉川晃司とトヨエツとの立ち回りのある技について語っていた。君が思いつくぐらいなら、プロはとっくに実行済みだよ。

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114分、日本、2010
監督: 平山秀幸、原作: 藤沢周平、脚本: 伊藤秀裕、江良至、殺陣指導: 久世浩
出演: 豊川悦司池脇千鶴、吉川晃司、戸田菜穂、村上淳関めぐみ小日向文世岸部一徳