舞台は1964年のニューヨークにあるカトリック学校。しかし、アメリカと言うよりはヨーロッパの雰囲気がするのはなぜだろう? それが古きカトリック学校が醸し出す雰囲気にあるのかもしれない。旧時代のシスターが校長職にいる学校に、新風を吹かせようとする司祭が赴任してきたとき、「事件」は起きる。それはほんのささいな「疑い=ダウト」だった。フリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)が特定の男子生徒と不適切な関係にあるのではないか、と疑いを持った校長シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は、その疑いを確信にまで高めて、フリン神父追放へと動く。そのとき、彼らの間に立った若きシスター・ジェイムズはどのように感じ、何を思い、どうしたのだろうか…
なんの証拠もないのに、ひとたび疑いを持てば、その疑いは揺らぎないものとなる。なぜその人を疑うのか? それは、彼が嫌いだから。彼の言動が気に入らないから。爪が長いとか、歌の趣味が合わないとか、万年筆ではなくボールペンを使うからとか、そういった、新しい時代の息吹が気に入らないのだ。
ささいな、ただ一つの疑惑は、シスター・アロイシスの中で確信へと増長し、もはや後戻りのできない戦闘状態へと彼女を追い立てる。フリン神父を追放することは神の使命である! 古き良き時代の価値観に固執するシスター・アロイシスの恐るべき眼差し、おそるべき確信、おそるべき憎しみは、神の正義を盾にとって絶対的なものとなる。これは別に政治的な映画ではないが、アメリカがイラク戦争を始めたときの大義名分を思い出しても、大いなる教訓になることは間違いない。翻って、わたしたちの日常にこのようなことはいくらでもあるではないか。それに実は疑いをもたれたフリン神父もまたなにやら怪しげである。ここに、観客を最後まで悩ませ迷わせる憎い布石がある。少年の母がシスター・アロイシスに語ったことは何を意味するのか?!
メリル・ストリープの演技が怖すぎたので、背筋が冷たいまま、この映画を見終わってしまった。なんという作品だろう…。以て他山の石としたい。
DOUBT
105分、アメリカ、2008
監督: ジョン・パトリック・シャンリー、製作: スコット・ルーディン、原作戯曲: ジョン・パトリック・シャンリー『ダウト 疑いをめぐる寓話』、脚本: ジョン・パトリック・シャンリー、音楽: ハワード・ショア
出演: メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィス