吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

縞模様のパジャマの少年

 あんなにひどい結末を考えるなんて、原作者は非道だわ! エイサくんの青い瞳が印象的で、青いベストとぴったり合っていて美しかった。あんな可愛い子役があんなひどいことになるなんて…
 この映画を見て「ざまあ見ろ」とか「天罰だ」と溜飲を下げるようなユダヤ人がいたらそれが一番恐ろしい。


 ひとたび友人を裏切ったという思いにかられた少年は、その汚名を挽回するために、通常よりももっと頑張って過激な行動に出てしまう。それは、「農場の中に入って行方不明の友人の父親を捜す」という大冒険に出ること。それがブルーノ少年にとっての贖罪意識だったならば、その贖罪が結果的にブルーノの父・収容所長の「贖罪」へとつながる。しかしこの「罰」は誰に与えられたのか? 無垢な存在、罪なき子どもたち。その者にすら罰が与えられたのだとしたら、これがユダヤ教の「ザホール」なのだろうか。作者はユダヤ人ではなさそうだが、このような「罰」を考えつくところに戦後のパレスチナ問題の根がつながっているような気がする。

 
 ザホールが「忘却するな、想起せよ」という教えならば、そこには「赦すな」という思想しかないのか? シュムエル少年はブルーノの裏切りを赦して自ら手をさしのべ、和解の握手をしたではないか。ユダヤ人の少年には赦しの心があった。しかし、この物語には赦しがない。その絶望をわたしたちはどう考えるべきなのか。


 この映画の中では「歴史を学ぶ」という設定が何度が登場する。ブルーのとその姉は老教授から「ゲルマン民族の正しい歴史」について学ぶが、ブルーノはその授業が大嫌いだ。ナチスの若き中尉の父は文学教授だったが、最近は歴史が嫌いになったと言ってスイスに亡命した。この映画の中では、ナチスの時代にドイツの歴史を学ぶということがすなわちユダヤ人を排斥し、ゲルマンの唯一の正しい歴史を学ぶことと同義だ。そんな歴史を批判的に描くこの映画は、「忘れてはならない歴史がある」という事を観客に教える。つまりここでは映画の中の歴史観と映画製作者たちの歴史観が対峙しているのである。どちらも「歴史主義」であることにかわりはない。わたしたちはいつの時代も「歴史主義」が間違っていないか、常に検証する必要がある。

 
 ブルーノの母親役を演じたヴェラ・ファーミガは、本作では美しく慎ましく上品な軍人の妻だが、「マイレージ、マイライフ」(http://d.hatena.ne.jp/ginyu/20100519/p1)では色っぽいキャリアウーマンとして颯爽と登場していた。同じ人間とは思えないほどの変身ぶり。やっぱり女優って化け物です。


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THE BOY IN THE STRIPED PYJAMAS
95分、イギリス/アメリカ、2008
監督・脚本・製作総指揮: マーク・ハーマン 、製作: デヴィッド・ハイマン、原作: ジョン・ボイン『縞模様のパジャマの少年』、音楽: ジェームズ・ホーナー
出演: エイサ・バターフィールド、ジャック・スキャンロン、アンバー・ビーティー、デヴィッド・シューリスヴェラ・ファーミガ